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東京生まれ。1953年[[東京商科大学]]([[一橋大学]])卒業<ref name="hq43">{{Cite journal |和書|author=一橋大学 |title= People 辰濃和男 |journal=広報誌「HQ」 |volume=43 |issue= |date= 2014-07 }}</ref>。大学では、[[加藤秀俊]](社会学者)と語学のクラス及び[[南博]]ゼミの同級生で、ともに[[一橋新聞]]部に所属した<ref name="hq43"/>。 |
東京生まれ。1953年[[東京商科大学]]([[一橋大学]])卒業<ref name="hq43">{{Cite journal |和書|author=一橋大学 |title= People 辰濃和男 |journal=広報誌「HQ」 |volume=43 |issue= |date= 2014-07 }}</ref>。大学では、[[加藤秀俊]](社会学者)と語学のクラス及び[[南博 (社会心理学者)|南博]]ゼミの同級生で、ともに[[一橋新聞]]部に所属した<ref name="hq43"/>。 |
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大学卒業後朝日新聞社入社<ref name="hq43"/>。[[浦和]]支局、[[社会部]]、[[ニューヨーク]]支局長、社会部次長、[[編集委員]]、[[論説委員]]、編集局顧問を歴任<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASKDD3T0MKDDUTIL01K.html 「朝日新聞コラム「[[天声人語]]」の元筆者、辰濃和男さん死去」]朝日新聞デジタル2017年12月12日18時29分</ref><ref name="hq43"/>。この間、1975年から1988年まで「[[天声人語]]」を担当し、1993年に退社<ref name="hq43"/><ref>{{Cite web | title = 辰濃和男(たつの かずお)とは - コトバンク | publisher = デジタル版 日本人名大辞典+Plus | accessdate = 2015-10-22 | url = https://kotobank.jp/word/%E8%BE%B0%E6%BF%83%E5%92%8C%E7%94%B7-1089610 }}</ref>。1994年朝日[[カルチャーセンター]]社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた<ref name="hq43"/>。 |
2023年10月22日 (日) 22:33時点における版
辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017年12月6日[1])は、元朝日新聞記者のジャーナリスト、エッセイスト。元日本エッセイスト・クラブ理事長。
人物
東京生まれ。1953年東京商科大学(一橋大学)卒業[2]。大学では、加藤秀俊(社会学者)と語学のクラス及び南博ゼミの同級生で、ともに一橋新聞部に所属した[2]。
大学卒業後朝日新聞社入社[2]。浦和支局、社会部、ニューヨーク支局長、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任[3][2]。この間、1975年から1988年まで「天声人語」を担当し、1993年に退社[2][4]。1994年朝日カルチャーセンター社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた[2]。
ジャーナリストとして多数の著書を刊行している[2]。2017年12月6日、老衰のため死去[1]。87歳没。ノンフィクション作家の辰濃哲郎は息子[1]。
著書
- 『りゅうきゅうねしあ 沖縄・こころの旅』朝日新聞社 1973
- 『反文明の島 りゅうきゅうねしあ紀行』朝日選書 1977
- 『天声人語 人物編』朝日新聞社 1987 のち文庫
- 『天声人語 自然編』朝日新聞社 1988 のち文庫
- 『文章の書き方』岩波新書 1994.3
- 『太古へ ニュージーランドそしてブータン』朝日新聞社 1996
- 『風と遊び風に学ぶ』朝日ソノラマ 1996
- 『漢字の楽しみ方 悪字の数々を弁護する』岩波書店 1998 「私の好きな悪字」岩波現代文庫
- 『歩けば、風の色(風と遊び風に学ぶ2)』朝日ソノラマ 2000
- 『断章・20世紀 100年を刻むことば』朝日ソノラマ 2000
- 『四国遍路』岩波新書 2001
- 『高尾山にトンネルは似合わない 千年の森と高速道路』岩波ブックレット 2002
- 『「私流」を創る(風と遊び風に学ぶ3)』朝日ソノラマ 2003
- 村瀬誠共著『雨を活かす ためることから始める』 岩波アクティブ新書 2004
- 『歩き遍路 土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 2006
- 『文章のみがき方』岩波新書 2007
- 『ぼんやりの時間』岩波新書 2010
- 『極上の人生 人生を楽しむ四つの美学』海竜社 2017