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「ハイパーネオジオ64」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
『[[バーチャファイター]]』シリーズ([[セガゲームス|セガ]])や[[鉄拳シリーズ|『鉄拳』シリーズ]]([[バンダイナムコゲームス|ナムコ]])の登場により、[[対戦型格闘ゲーム]]の分野にも3Dの可能性が示され、当時2D対戦型格闘ゲームの人気を[[カプコン]]と二分していた[[SNK (1978年設立の企業)|SNK]](当時)も3Dを表現できるシステムの開発が急務となる。
『[[バーチャファイター]]』シリーズ([[セガ]])や[[鉄拳シリーズ|『鉄拳』シリーズ]]([[バンダイナムコゲームス|ナムコ]])の登場により、[[対戦型格闘ゲーム]]の分野にも3Dの可能性が示され、当時2D対戦型格闘ゲームの人気を[[カプコン]]と二分していた[[SNK (1978年設立の企業)|SNK]](当時)も3Dを表現できるシステムの開発が急務となる。


ハイパーネオジオ64は、本来はネオジオ<ref group="注>業務用のMVS、家庭用のAESのいずれも含む</ref>の後継機種として、より高品質な2Dゲームを開発するために開発された。しかし、ネオジオでは不可能だった3Dゲームも作れる性能だったために[[SNK (1978年設立の企業)|SNK]]上層部が3D分野に色気を出してしまい、開発された作品は3D表示の物ばかりとなってしまった。このように元々3D表示への対応を考慮して開発されたハードウェアではなかったため<ref group="注>[[浮動小数点]][[演算]]を[[CPU]]上かつ[[ソフトウェア]]で処理していたせいだと言われている{{誰|date=2021年9月|post-text=に}}。</ref>、キャラクターを構成している[[ポリゴン]]が当時のレベルで見ても荒く、さらにゲーム全体の処理も重いものが多かった。
ハイパーネオジオ64は、本来はネオジオ<ref group="注>業務用のMVS、家庭用のAESのいずれも含む</ref>の後継機種として、より高品質な2Dゲームを開発するために開発された。しかし、ネオジオでは不可能だった3Dゲームも作れる性能だったために[[SNK (1978年設立の企業)|SNK]]上層部が3D分野に色気を出してしまい、開発された作品は3D表示の物ばかりとなってしまった。このように元々3D表示への対応を考慮して開発されたハードウェアではなかったため<ref group="注>[[浮動小数点]][[演算]]を[[CPU]]上かつ[[ソフトウェア]]で処理していたせいだと言われている{{誰|date=2021年9月|post-text=に}}。</ref>、キャラクターを構成している[[ポリゴン]]が当時のレベルで見ても荒く、さらにゲーム全体の処理も重いものが多かった。

2023年8月2日 (水) 22:15時点における版

ハイパーネオジオ64
メーカー SNK(旧社)[注 1]
種別 業務用ゲーム機
発売日 日本の旗 1997年9月
前世代ハードウェア ネオジオ
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ハイパーネオジオ64(ハイパーネオジオロクヨン、HYPER NEOGEO 64)は、SNKMVSNEOGEO)の後継機として開発した、3DCGの表示が可能なアーケードゲーム基板およびそれらのシステムである。

概要

バーチャファイター』シリーズ(セガ)や『鉄拳』シリーズナムコ)の登場により、対戦型格闘ゲームの分野にも3Dの可能性が示され、当時2D対戦型格闘ゲームの人気をカプコンと二分していたSNK(当時)も3Dを表現できるシステムの開発が急務となる。

ハイパーネオジオ64は、本来はネオジオ[注 2]の後継機種として、より高品質な2Dゲームを開発するために開発された。しかし、ネオジオでは不可能だった3Dゲームも作れる性能だったためにSNK上層部が3D分野に色気を出してしまい、開発された作品は3D表示の物ばかりとなってしまった。このように元々3D表示への対応を考慮して開発されたハードウェアではなかったため[注 3]、キャラクターを構成しているポリゴンが当時のレベルで見ても荒く、さらにゲーム全体の処理も重いものが多かった。

非常に重大な欠点だが、互換性維持の観点から最後まで改良することはできず、セガやナムコが採用するゲーム基板およびそれらシステムには及ばなかった。発売タイトルはマニア人気はあったものの、どれもヒットには結びつかず、次第に消えていった。結局のところ、1999年発売の『武力 〜BURIKI ONE〜』をもってタイトル開発と発売を終了しており、前代のネオジオより先に終焉を迎えることになる。前代のネオジオは2001年のSNK(旧社)倒産までタイトル開発と発売が行われ、プレイモア(後のSNKプレイモア、現在のSNK〈新社、2代目〉)にSNK(旧社)の全版権が譲渡・受け継ぎされた後もしばらくの間は主力ハードとして使用され、最終的に2004年までタイトル開発と発売が行われた。

当時販売していた携帯ゲーム機ネオジオポケットリリース面での失敗、当時江坂(大阪府吹田市)に存在していた「ネオジオランド」とフジサンケイグループの協力で東京にオープンした「ネオジオワールド東京ベイサイド」の相次ぐ遊園地事業失敗と並び、SNK(旧社)倒産の要因となった(ネオジオワールド東京ベイサイド跡地は後に山崎屋に売却され東京レジャーランドパレットタウン店と改名し2017年まで営業していた)。

専用筐体を用いた作品を除き、基板と汎用筐体との抱き合わせ販売もあったようで、そのうちの一つのバリエーションであった、対戦用汎用筐体には、画面上部に小さな液晶画面とカメラがついていて、対面のプレイヤーを常時モニターできるというものがあったが実際に使っている店は少なかった、ハイパーネオジオ64自体が生産終了になりゲームが発売されなくても、筐体のみ他社のゲームが入った状態で稼動していた例もあった。

発売されたタイトル

カッコ内は、開発元、ジャンル、発売日の順に記載。なお、発売元は全てSNKである。
◎は、専用筐体が必要になるタイトル。

  • ラウンドトリップRV(SNKレースゲーム、1997年9月20日)◎
    大型筺体。第一弾タイトル。SNK初のカーレースゲームでもある。
  • SAMURAI SPIRITS 〜侍魂〜(SNK、格闘アクション、1997年12月19日)
  • オフビートレーサー(SNK、レースゲーム、1998年5月13日)◎
    大型筺体。通信対戦が可能。筐体は二台が最初から連結されたツインタイプの他、前年発売の『ラウンドトリップRV』へのコンバージョンキットも発売された。
  • ビーストバスターズ セカンドナイトメアADKガンシューティング、1998年9月11日)◎
    ハイパーネオジオ64基板唯一のサードパーティー開発作品で、SNKが1989年に発売したガンシューティング、『ビーストバスターズ』の続編。ただし、ストーリーの繋がりはない。筐体は画面29インチのスタンダード筐体と、50インチの大画面を採用した大型のデラックス筐体の2種類が存在する。
  • SAMURAI SPIRITS 2 〜アスラ斬魔伝〜(SNK、格闘アクション、1998年10月16日)
  • 餓狼伝説 WILD AMBITION(SNK、格闘アクション、1999年1月28日)
    後にPlayStationにも移植された。ハイパーネオジオ64のタイトルで唯一家庭用に移植された作品である。
  • 武力 〜BURIKI ONE〜(SNK、格闘アクション、1999年5月21日)
    左に移動用のボタン、右に攻撃用のレバーという、一般的な対戦格闘ゲームとは異なる独自のコンパネ、操作形態を採用。専用コンパネも付属しているが、オペレーターや所有者側で独自に汎用コンパネをこのゲーム向けに改造・制作して動作させることも可能。

脚注

注釈

  1. ^ 現在「SNK」の社名を冠する企業は2001年の設立後にネオジオの販売元であったSNK(旧社)の知的財産権を継承し、2016年に「SNKプレイモア」から社名を変更した別法人である(詳細は当該項目を参照)。本記事中では、特記の無い「SNK」は旧社を、「SNKプレイモア」と記述する場合は2001年設立のSNK(新社)を指す。
  2. ^ 業務用のMVS、家庭用のAESのいずれも含む
  3. ^ 浮動小数点演算CPU上かつソフトウェアで処理していたせいだと言われている[誰に?]

出典

参考文献