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{{参照方法|date=2022年11月30日 (水) 03:23 (UTC)}}
[[ファイル:ShimadaK2010Sept20 Biosphere2-Rainforest-Habitat-WestLung DSC07210.JPG|thumb|400px|左から熱帯雨林温室、居住棟(タワーあり)、日周気圧調整ドーム(西)(2010年)]]


{{Short description|Artificial closed ecological system}}{{Infobox building
'''バイオスフィア2''' ({{lang-en-short|Biosphere2}}) とは、[[アメリカ合衆国]][[アリゾナ州]]オラクルに建設された、巨大な密閉空間の中の人工[[生態系]]である。名称は「第2の[[生物圏]]」の意味であり、建設の目的は人類が[[宇宙空間]]に移住する場合、閉鎖された狭い生態系で果たして生存することができるのか検証することと、「バイオスフィア1」すなわち地球の[[環境問題]]について研究することであった。
| name = バイオスフィア2
| image = File:ShimadaK2010Sept20 Biosphere2-Rainforest-Habitat-WestLung DSC07210.JPG
| image_size = 250px
| caption = 熱帯雨林温室(左)、居住棟(中)、日周気圧調整ドーム(右)
| coordinates = {{coord| 32.578778 |N| 110.850594 |W|region:US-AZ|format=dms|display=inline,title}}
| address = 32540 S Biosphere Rd, Oracle, AZ 85739
| building_type = 研究施設<ref name="NYT-20190329">{{cite news |last=Zimmer |first=Carl |author-link=Carl Zimmer |title=The Lost History of One of the World's Strangest Scientific Experiments - The hummingbirds were dying. Cockroaches were everywhere. And then Steve Bannon showed up. |url=https://www.nytimes.com/2019/03/29/sunday-review/biosphere-2-climate-change.html |date=March 29, 2019 |work=[[The New York Times]] |access-date=March 29, 2019 }}</ref>
| location = アメリカ合衆国、アリゾナ州オラクル
| altitude = {{convert|3,820|ft|m|0|abbr=on}}
| completion_date = 1991
| start_date = 1987
| owner = アリゾナ大学
| website = {{URL|http://biosphere2.org}}
| map_type = Arizona#USA
| map_alt =
| map_caption = Location within Arizona
| floor_area = {{convert|3.14|acre|m2|abbr=on}}
| grounds_area = {{convert|40|acre|m2|abbr=on}}
}}


'''バイオスフィア2'''({{lang-en-short|Biosphere2}}) は、[[アメリカ合衆国]]の[[アリゾナ州]]オラクルにある[[地球]][[システム科学]]の研究施設である。地球とその生命システム、および宇宙におけるその位置づけについての研究、[[アウトリーチ]]、教育、および[[生涯学習]]の拠点となることをその使命としている<ref name="NYT-20190329" />。バイオスフィア2は1.27ヘクタールの建築物で<ref name="auto">{{Cite web|url=http://biosphere2.org/visit/about-biosphere2/fast-facts|title=Fast Facts: Biosphere 2|website=biosphere2.org}}</ref>、もともとは人工の物質的に閉鎖された[[生態系]]、あるいは[[テラリウム|ビバリウム]]として作られた。バイオスフィア2は建設以来、世界最大の[[閉鎖生態系]]である<ref>{{cite book|last=Bahr|first=Jeff|title=Amazing and Unusual USA|publisher=Publications International, Ltd.|year=2009|isbn=978-1-4127-1683-3|page=238}}</ref>。
なお、バイオスフ'''ェ'''ア2と記載される場合もある。


1987年から1991年にかけて建設されたバイオスフィア2は、もともと地球の[[生物圏]]の代わりとして、[[宇宙空間]]での人間の生活を支え、維持するための閉鎖生態系の実現可能性を実証することを目的としていた<ref>{{Cite web|url=http://www.encyclopedia.com/science-and-technology/biology-and-genetics/environmental-studies/biosphere-ii-project|title=Biosphere II Project facts, information, pictures {{!}} Encyclopedia.com articles about Biosphere II Project|website=www.encyclopedia.com|language=en|access-date=2017-02-09}}</ref>。バイオスフィア2はさまざまな[[生物学]]的[[生物群系]]に基づいた異なるセクションを持つ構造で、生命システム内の相互作用の網を探索するために設計された。バイオスフィア2の内部にはいくつかの生物群系と人間の居住区に加え、地球生態学の研究のための新しい種類の実験室として、人間、農業、技術、その他の自然との間の相互作用を研究するための農業エリアと作業スペースがあった。その使命は、8人の人間(「バイオスフィア人」)による2年間の閉鎖実験であった<ref>{{Cite journal |doi = 10.2307/1312123|jstor = 1312123|title = Using a Closed Ecological System to Study Earth's Biosphere|journal = BioScience|volume = 43|issue = 4|pages = 225–236|last1 = Nelson|first1 = Mark|last2 = Burgess|first2 = Tony L|last3 = Alling|first3 = Abigail|last4 = Alvarez-Romo|first4 = Norberto|last5 = Dempster|first5 = William F|last6 = Walford|first6 = Roy L|last7 = Allen|first7 = John P|year = 1993}}</ref>。 長期的には、[[宇宙移民]]における閉鎖生物圏の使用についての知識を得る[[先行研究]]と見なされた。バイオスフィア2は生態系の実験施設として、地球の生物圏に害を与えることなく、ミニ生物圏システムの研究と操作を可能にした。
==施設概要==
バイオスフィア2は[[砂漠]]の中にそびえ立つガラス張りの巨大な空間に、[[熱帯雨林]]、[[海]]、[[湿地|湿地帯]]、[[サバナ (地理)|サバンナ]]などの環境を世界各地から持ち込んだ動植物で再現している。日光によって空気が膨張し気圧が変化するのを防ぐために、巨大な気圧調整室が設けられた。建物の面積は1.27ヘクタール、最高部の高さは約28メートルあり、これまでに建設されたこの種の施設として最大のものである。


バイオスフィア2の生物群系エリアは次の7つから構成された。1,900平方メートルの[[熱帯雨林]]、850平方メートルの[[珊瑚礁]]のある海、450平方メートルの[[マングローブ]]湿地、 1,300平方メートルの[[サバナ気候|サバンナ]]草原、1,400平方メートルの霧の[[砂漠]]、および2つの人為的生物群系:2,500平方メートルの農業システムと生活空間、研究室、作業室を備えた人間の居住空間であった。地下には技術インフラの大部分が配置された。暖房と冷却用の水は独立した配管システムを通して循環し、施設の大部分を覆うガラスの[[スペースフレーム]]パネルを通して[[パッシブソーラー]]が入力され、電力は付設の天然ガスエネルギーセンターからバイオスフィア2に供給された<ref name="auto"/>。
しかし、温度の上昇は防ぐすべもなく、冷却と照明に関しては外界からの電源供給に頼っている。夢としては太陽光などでまかないたいらしい(宇宙に作るなら放射線を防ぐ施設なども必要になる)。実験はこの中で農耕、牧畜を行い食料と水分、そして酸素を自給自足することを最大目的としている。目的達成のために様々な科学的分析なども自らの手で行わなければならないが、廃棄物はすべて狭い生態系を循環するため、通常考えられないほどの高濃度で、食料を介して口に入る可能性がある。したがって試薬なども安全性に十分な配慮がなされている。
<!--(入る数ヶ月前から化学物質の無い有機的な食物やデトックス食品をとるなど)-->


バイオスフィア2は本来の目的である[[系 (自然科学)|閉鎖系]]の実験のためには、2回しか使用されなかった。1回目は1991年から1993年まで、2回目は1994年3月から9月までである。この2回の実験では、食料と酸素の不足、実験に含まれる多くの動植物の死滅(ただし、このプロジェクトでは生物群系の発達に伴う損失を予測して意図的に「"species-packing"([[種 (分類学)|種]]の詰め込み)」戦略を採用していたため予見されてはいた)、居住者間の[[集団力学]]の緊張、外部の政治闘争、そして、プロジェクトの管理と方向性をめぐる権力闘争などが発生した。それにもかかわらずこの閉鎖実験では、閉鎖生態系、農業生産、乗組員が従った高栄養と低カロリーの食事による健康改善、複雑な生物学的システムと[[大気力学]]の[[自己組織化]]に関する洞察において世界記録を樹立した。 2回目の閉鎖実験では食料の完全な自給自足を達成し、酸素の注入を必要としなかった。
==歴史==
実験は2年交替で科学者8名が閉鎖空間に滞在し、100年間継続される予定であったが、実際には最初の2年間で途切れた。第1回は[[1991年]][[9月26日]]から[[1993年]][[9月26日]]まで、その後第2回は[[1994年]]に6か月間一時的に行われた。


1994年6月、2回目の実験の途中で運営会社であるSpace Biosphere Venturesが解散し、施設は宙に浮いた状態になった。[[コロンビア大学]]は1995年に施設の管理を引き継ぎ、2003年まで実験を行った。その後、住宅や店舗建設のため取り壊されるリスクがあるように見えたが、2007年に[[アリゾナ大学]]が研究のために施設を引き継いだ。アリゾナ大学は2011年に施設の完全な所有権を取得した。
[[ファイル:Biosphere2 Inside big.jpg|thumb|200px|right|バイオスフィア2内部からの風景]]
== 企画と施工 ==
[[ファイル:John P. Allen.jpg|サムネイル|ジョン・P・アレン、2009]]


バイオスフィア2プロジェクトは、実業家、慈善家の富豪エド・バスとシステム[[生態学]]者の[[ジョン・P・アレン]]によって1984年に開始され、バスは1991年まで1億5000万米ドルの資金を提供した<ref name=":2">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1991/09/24/science/as-biosphere-is-sealed-its-patron-reflects-on-life.html|title=As Biosphere Is Sealed, Its Patron Reflects on Life |last=Broad |first=William J. |date=1991-09-24|work=The New York Times |access-date=2019-06-06 |language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。アレンは1969年に[[ニューメキシコ州]]に[[カウンターカルチャー]]のコミュニティ、[[シナジア牧場]]を設立しており、アレンはそこで[[バックミンスター・フラー]]の「[[宇宙船地球号]]」コンセプトを標榜し、核戦争などの災害からの避難所としてのバイオスフィアのアイデアを探求していた。バスとアレンは1970年代にシナジア牧場で出会った<ref name=":2" />。シナジア牧場の他の元メンバー数人もバイオスフィア2プロジェクトに参加した<ref name=":2" />。
第1回のミッションで実験生活を行ったのはアビゲール・アリー、ロイ・ウォルフォード、ジェーン・ポインター、リンダ・レイ、マーク・ネルソン、サリー・シルバーストーン、マーク・バンツリオット、ターバー・マッカラムの8名である。実験が継続不可能になった背景には次のような問題がある。


建設は1987年から1991年にかけて、提唱者兼会長であるジョン・P・アレンを主な役員とする[[合弁事業|合弁会社]]であるSpace Biosphere Venturesによって実施された。CEOはマーガレットオーガスティン、財務担当副社長はマリーハーディング、研究担当副社長はアビゲイル・アリング、宇宙および環境アプリケーションのディレクターはマークネルソン、システムエンジニアリングディレクターはウィリアムF.デンプスター、ミッションコントロール担当副社長はノルベルトアルバレスロモ{{Citation needed|date=June 2019}}。


地球そのもの(バイオスフィア1/第一生物圏)に次ぐ第二の完全に自給自足の生物圏となることが意図されていたため、「バイオスフィア2/第二生物圏」と名付けられた。
; 酸素不足
: 事前の計算では[[大気]]は一定の比率で安定するはずであったが、土壌中の[[微生物]]の働きなどが影響して[[酸素]]が不足状態に陥った。また日照が不足すれば、当然[[光合成]]で酸素を生産することができず、不足状態は慢性的なものになった。科学者たちは[[睡眠時無呼吸症候群]]などに苦しめられた。
; 二酸化炭素
: 酸素が不足している状態では[[二酸化炭素]]が増え、光合成が行われるはずであったが、二酸化炭素の一部が建物の[[コンクリート]]に吸収されていることが途中で判明した。一時的に炭素過多な状況になった場合、植物を刈り入れ乾燥させることで炭素を固定し、その後必要なときにそれを使う方法が用いられていたが、コンクリートに吸収された二酸化炭素は用いるすべがなかった。
; 食糧不足
: 多くの植物は、以上述べてきた大気の自律調整の難航や日照不足から、予想していたほど生長しなかった。[[バナナ]]や[[サツマイモ]]などが栽培されたものの、家畜の多くは死に、結果として、バイオスフィア2の食生活は後半に至るほどに悲惨なものとなった。[[コーヒー]]などの嗜好品がごくまれに収穫できたときには、科学者たちは狂喜したという。
; 心理学的側面
: これはしばしば宇宙空間でも問題になることであるが、外界との交流をいっさい断ち切られた空間では情緒が不安定になり、対立構図が生まれる。食の不満足や、安全面での不安がそれをさらに強めたといえる。


== 位置 ==
150億円を地元の資産家らが投じて建設されたバイオスフィア2が8人の人間を短期間しか生存させることができなかったことは、いかに生態系を模倣することが難しいかを物語っている。例えば熱帯雨林の木はすぐに枯れたが、これはバイオスフィア2の中に風がなかったため、木が自らを支えようと幹を強くすることを怠るようになったためだという。このように生態系は様々な複雑な要素が微妙なバランスを保って維持されているのである。
このガラスとスペースフレームの施設は、アリゾナ州オラクルのサンタカタリナ山脈のふもと、[[ツーソン (アリゾナ州)|ツーソン]]から北に約50分の場所にある。その標高は海抜約1,200 m(4,000フィート)である<ref>Tulshyan, Ruchika (July 28, 2010). [https://web.archive.org/web/20100731205650/http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2006404_2006095_2006135,00.html#ixzz0vrqFYKFa/Time "Top 50 American Roadside Attractions: Biosphere 2, Oracle, Ariz."] ''Time''.</ref>。


== エンジニアリング ==
==その後==
[[ファイル:Biosphere 2 - panoramio.jpg|サムネイル|スペースフレームによる温室(右)]]
[[1995年]]にバイオスフィア2の運営は[[コロンビア大学]]に委託され、2003年まで教育施設として利用された。2003年時点で1200人以上の大学院生らがこの跡地で生態系に関する研究活動を行っている。
[[ファイル:Biosphere 2 Lung - Flickr - treegrow (1).jpg|サムネイル|気圧差に対応するための「肺」]]
バイオスフィア2の地上の物理的構造は、鋼管と高性能ガラスおよび鉄骨フレームで構成されていた。フレームとガラスの素材は、バックミンスター・フラーのかつての同僚であるピーター・ジョン・ピアースが経営するPearce Structures, Inc.によって設計され、要求仕様に合わせて作られた<ref>{{cite web|url=http://www.biospherics.org/publications/1984-2003/buckminster-fullers-synergetic-algorithm-and-challenges-of-the-twenty-first-century/|title=Buckminster Fuller's Synergetic Algorithm and Challenges of the Twenty-First Century|author=John Allen, FLS|website=biospherics.org}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.metropolismag.com/July-2008/The-Fuller-Effect/|title=The Fuller Effect|author=Paul Makovsky|date=July 1, 2008|website=metropolismag.com|access-date=21 November 2013}}</ref>。窓のシールと構造は、空気交換が非常に少なく、時間の経過に伴う微細な変化を追跡できるように、ほぼ完全に[[気密性|気密]]になるように設計する必要があった。ピアースとウィリアム・デンプスターによって開発された特許を取得した気密シール方法は年間10%以下のリーク率を達成した。このような厳密な閉鎖がなければ、初回の2年間の密閉実験中に1か月あたり1⁄4%未満の割合で発生した酸素の緩やかな減少は検出されなかったかもしれない<ref>{{Cite journal|last=Dempster|first=William|date=1994|title=Methods for measurement and control of leakage in CELSS and their application and performance in the Biosphere 2 facility|journal=Advances in Space Research|volume=14|issue=11|pages=331–335|bibcode=1994AdSpR..14k.331D|doi=10.1016/0273-1177(94)90318-2|pmid=11540202}}</ref><ref>{{Cite journal |doi = 10.1016/j.asr.2007.03.105|title = Tightly closed ecological systems reveal atmospheric subtleties – experience from Biosphere 2|journal = Advances in Space Research|volume = 42|issue = 12|pages = 1951–1956|year = 2008|last1 = Dempster|first1 = William F|bibcode = 2008AdSpR..42.1951D}}</ref>


日中は太陽の熱で内部の空気が膨張し、夜は冷えて収縮した。体積が固定されていることによって生じる巨大な[[気圧]]の力に対処するために、構造には「lung(肺)」または可変体積構造と呼ばれるドームに保持された大きなダイアフラムがあった<ref>{{Cite journal |doi = 10.1016/S0925-8574(98)00091-3|title = Construction and engineering of a created environment: Overview of the Biosphere 2 closed system|journal = Ecological Engineering|volume = 13|issue = 1–4|pages = 43–63|year = 1999|last1 = Zabel|first1 = Bernd|last2 = Hawes|first2 = Phil|last3 = Stuart|first3 = Hewitt|last4 = Marino|first4 = Bruno D.V}}</ref>。
2005年には建物周辺の土地とともに売りに出され、2006年に宅地開発業者によって購入された。2007年からはこの施設を[[アリゾナ大学]]が利用している。


窓を開けるという選択肢がなかったので、この構造では、生物群系のセクションごとに異なる望ましいパラメータ内で温度を調節するための洗練されたシステムを必要とした。冷却が最大のエネルギー需要であったが、冬には暖房を供給する必要があり、クローズドループパイプと[[エアハンドリングユニット]]がエネルギーシステムの重要な部分であった。敷地内のエネルギーセンターは、天然ガスと予備発電機、[[アンモニア吸収冷凍機]]、[[冷却塔|水冷塔]]を使用して、電気と暖房・冷房水を提供した<ref>{{Cite journal |doi = 10.1016/S0925-8574(98)00090-1|title = Biosphere 2 engineering design|journal = Ecological Engineering|volume = 13|issue = 1–4|pages = 31–42|year = 1999|last1 = Dempster|first1 = William F}}</ref>。
見学者を積極的に受け入れている(有料)。解説付きのツアーでレインフォーレスト、地下の機械類、西の圧力調節ドーム、居住棟を見ることができる。見学者数は[[2004年]][[4月15日]]で延べ200万人。


== 初回のミッション ==
[[ファイル:Biosphere2 Inside big.jpg|サムネイル|バイオスフィア2内部、サバンナと砂漠(手前)と海(奥)の移行地帯から]]
[[ファイル:Biosphere 2 - 1998 d.jpg|サムネイル|農地]]
[[ファイル:Reverse Osmosis Tanks in Biosphere 2 Tunnels - panoramio.jpg|サムネイル|[[逆浸透膜|逆浸透]]水タンク]]
初回の閉鎖ミッションは1991年9月26日から1993年9月26日まで行われた。乗組員は医師兼研究者のロイ・ウォルフォード、ジェーン・ポインター、テイバー・マッカラム、マーク・ネルソン、サリー・シルバーストーン、アビゲイル・アリング、マーク・ヴァン・ティロ、リンダ・リーであった<ref>{{Cite web|url=https://www.biospherics.org/biosphere2/results/3-september-26-1991-to-april-1-1994-biosphere-2-organization/|title=3. September 26, 1991 to April 1, 1994 Biosphere 2 Organization |date=2011-08-12 }}</ref>。

バナナ、パパイヤ、サツマイモ、ビート、ピーナッツ、ラブラブとササゲ豆、米、小麦の作物を含む総食料の83%を農業システムで供給した<ref name="Ingestion">{{cite web |last=Turner |first=Christopher |url=http://www.cabinetmagazine.org/issues/41/turner.php |title=Ingestion / Planet in a Bottle |work=[[Cabinet Magazine]] |date=Spring 2011 |access-date=2011-10-20}}</ref><ref>{{Cite journal |doi = 10.1016/0273-1177(95)00861-8|pmid = 11538814|title = Food production and nutrition in Biosphere 2: Results from the first mission September 1991 to September 1993|journal = Advances in Space Research|volume = 18|issue = 4–5|pages = 49–61|year = 1996|last1 = Silverstone|first1 = S.E|last2 = Nelson|first2 = M|bibcode = 1996AdSpR..18d..49S}}</ref>。特に最初の一年の間、8人の居住者は絶え間ない飢えを訴えた。計算によると、バイオスフィア2の農場は、「インドネシア、中国南部、バングラデシュの最も効率的な農業コミュニティの5倍以上を超えて」世界で最も生産量の高い農場の1つであった<ref>{{Cite journal|last=Harwood|first=Richard|date=1993|title=There Is No Away|journal=Biosphere 2 Newsletter|volume=3|issue=3|pages=9}}</ref>。

乗組員たちはロイ・ウォルフォードが[[カロリー制限|食事制限による寿命延長]]として研究していた、低カロリーで栄養価の高い食事を摂った<ref>{{Cite journal|pmid = 12023257|year = 2002|last1 = Walford|first1 = R. L|title = Calorie restriction in biosphere 2: Alterations in physiologic, hematologic, hormonal, and biochemical parameters in humans restricted for a 2-year period|journal = The Journals of Gerontology. Series A, Biological Sciences and Medical Sciences|volume = 57|issue = 6|pages = B211–24|last2 = Mock|first2 = D|last3 = Verdery|first3 = R|last4 = MacCallum|first4 = T|doi=10.1093/gerona/57.6.b211|doi-access = free}}</ref>。医学的な指標は2年間の乗組員の健康状態が良好であることを示していた。血中コレステロールの低下、血圧の低下、免疫力の向上など、健康指標に同じような改善がみられた。また、乗組員の体重は閉鎖前と比較して平均16%減少し、2年目には体重が安定、回復した<ref>{{Cite journal|pmc = 50586|year = 1992|last1 = Walford|first1 = R. L|title = The calorically restricted low-fat nutrient-dense diet in Biosphere 2 significantly lowers blood glucose, total leukocyte count, cholesterol, and blood pressure in humans|journal = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume = 89|issue = 23|pages = 11533–11537|last2 = Harris|first2 = S. B|last3 = Gunion|first3 = M. W|pmid = 1454844|bibcode = 1992PNAS...8911533W|doi = 10.1073/pnas.89.23.11533|doi-access = free}}</ref>。その後の研究では、乗組員の[[代謝]]が、低カロリーで高栄養の食事への適応として、食物から栄養素を抽出する際により効率的になったことが示された<ref>{{Cite journal |doi = 10.1093/ajcn/72.4.946|pmid = 11010936|title = Energy metabolism after 2 y of energy restriction: The Biosphere 2 experiment|journal = The American Journal of Clinical Nutrition|volume = 72|issue = 4|pages = 946–953|year = 2000|last1 = Weyer|first1 = Christian|last2 = Walford|first2 = Roy L|last3 = Harper|first3 = Inge T|last4 = Milner|first4 = Mike|last5 = MacCallum|first5 = Taber|last6 = Tataranni|first6 = P Antonio|last7 = Ravussin|first7 = Eric|doi-access = free}}</ref>。「バイオスフィア2内の乗組員の全体的な健康状態は、バイオスフィア2人間圏システムの当初の設計が毒素の蓄積を回避し、バイオスフィア2内の[[:en:Bioregenerative_life_support_system|生物再生技術と生命システム]]が健康な環境を維持していたことを裏付けている<ref name="Allen 1629–1640">{{Cite journal|last1=Allen|first1=J.P|last2=Nelson|first2=M|last3=Alling|first3=A|year=2003|title=The legacy of biosphere 2 for the study of biospherics and closed ecological systems|journal=Advances in Space Research|volume=31|issue=7|pages=1629–1639|bibcode=2003AdSpR..31.1629A|doi=10.1016/S0273-1177(03)00103-0|pmid=14503500}}</ref>。」

初回のミッションで農業地域に用意された家畜は次のものが含まれる。アフリカのピグミーヤギ4頭とビリーヤギ1頭。35羽の雌鳥と3羽の雄鶏(インドの[[セキショクヤケイ]]と日本の[[烏骨鶏]]、そしてそれらの雑種)。2頭の雌豚と1頭の猪(オサボー島豚)。数千年前の中国に起源を持つ米と[[アカウキクサ]]の池で育つ[[ティラピア]]<ref name="ReferenceA">{{cite book|isbn=978-0140153927|title=Biosphere 2: The Human Experiment|last1=Allen|first1=John|date=December 1991|url=https://archive.org/details/biosphere2humane00alle}}</ref>。

一部の種が生き残れなかった場合でも[[食物連鎖|食物網]]と生態系機能を維持できるように、「種の詰め込み」戦略が実践された。霧の砂漠地帯は、スペースフレームへの結露により、より[[シャパラル]]な特徴を持つようになった。サバンナは季節により活発になり、その[[バイオマス]]は、二酸化炭素量の管理の一環として乗組員によって伐採・貯蔵された。熱帯雨林の[[先駆種]]は急速に成長したが、熱帯雨林とサバンナの樹木は、通常は自然条件の風に反応して作られる[[ストレスウッド]]の不足によって引き起こされる黄化と衰弱に悩まされた。海のエリアでは珊瑚が繁殖し、乗組員は珊瑚から藻類を手で採取し、炭酸カルシウムとpHレベルを操作して海が酸性に傾くのを防ぎ、もともと過剰な栄養分を取り除くために設置していた[[藻スクラバー]]システムを補完するために改良型の[[プロテインスキマー]]を設置して海洋システムの健康維持を支えた<ref>{{Cite journal|pmid = 11538313|year = 1995|last1 = Nelson|first1 = M|title = Living in space: Results from Biosphere 2's initial closure, an early testbed for closed ecological systems on Mars|journal = Life Support & Biosphere Science: International Journal of Earth Space|volume = 2|issue = 2|pages = 81–102|last2 = Dempster|first2 = W. F|bibcode = 1996smgh.conf..363N}}</ref>。マングローブ地域は急速に発達したが、おそらく光量の減少のため、典型的な湿地よりも[[階層構造 (植生)|下層植物]]が少なかった<ref>{{Cite thesis|last1=Finn|first1=M.|date= 1996|title= Comparison of Mangrove Forest Structure and Function in a Mesocosm and Florida|publisher=Georgetown University|location= Washington D.C|url=https://www.proquest.com/docview/304233980|id={{ProQuest|304233980}}|url-access=subscription|type=Ph.D. dissertation}}</ref> 。それでも、マングローブと湿地帯の植物が採取されたフロリダの[[エバーグレーズの地形と生態系|エバーグレーズ地域の生態系]]の模倣に成功したと判断された<ref>{{Cite journal |doi = 10.1016/S0925-8574(98)00097-4|title = Mangrove ecosystem development in Biosphere 2|journal = Ecological Engineering|volume = 13|issue = 1–4|pages = 173–178|year = 1999|last1 = Finn|first1 = Matt|last2 = Kangas|first2 = Patrick|last3 = Adey|first3 = Walter}}</ref>。

バイオスフィア2はその体積と緩衝地帯が小さく、有機物と生物の密度が高いため、地球の生物圏よりも大きな変動とより速い[[生物地球化学的循環]]を持っていた<ref>{{Cite journal |doi = 10.1016/j.asr.2009.06.008|title = The water cycle in closed ecological systems: Perspectives from the Biosphere 2 and Laboratory Biosphere systems|journal = Advances in Space Research|volume = 44|issue = 12|pages = 1404–1412|year = 2009|last1 = Nelson|first1 = Mark|last2 = Dempster|first2 = W.F|last3 = Allen|first3 = J.P|bibcode = 2009AdSpR..44.1404N}}</ref>。植物や動物の繁殖はあったものの、導入された脊椎動物種のほとんどと、実質的にすべての受粉昆虫が死んだ。ゴキブリのような害虫が繁殖した。多くの昆虫が生物群系の元の種の混合物に含まれていたが、意図せずに封じ込められた世界的に侵略性の[[放浪種]]であるヒゲナガアメイロアリが他のアリ種を支配するようになった<ref>{{Cite journal|jstor = 3496865|title = Ecological Dominance by Paratrechina longicornis (Hymenoptera: Formicidae), an Invasive Tramp Ant, in Biosphere 2|journal = The Florida Entomologist|volume = 82|issue = 3|pages = 381–388|last1 = Wetterer|first1 = J. K|last2 = Miller|first2 = S. E|last3 = Wheeler|first3 = D. E|last4 = Olson|first4 = C. A|last5 = Polhemus|first5 = D. A|last6 = Pitts|first6 = M|last7 = Ashton|first7 = I. W|last8 = Himler|first8 = A. G|last9 = Yospin|first9 = M. M|last10 = Helms|first10 = K. R|last11 = Harken|first11 = E. L|last12 = Gallaher|first12 = J|last13 = Dunning|first13 = C. E|last14 = Nelson|first14 = M|last15 = Litsinger|first15 = J|last16 = Southern|first16 = A|last17 = Burgess|first17 = T. L|year = 1999|doi = 10.2307/3496865|doi-access = free}}</ref>。計画された熱帯雨林の生態[[遷移 (生物学)|遷移]]と、過酷な日光と海からの塩の[[エアロゾル]]から地域を保護するための戦略はうまく機能し、元々の[[生物多様性]]が驚くほど豊かに持続した<ref>{{Cite journal |doi = 10.1016/S0925-8574(98)00092-5|title = Tropical rainforest biome of Biosphere 2: Structure, composition and results of the first 2 years of operation|journal = Ecological Engineering|volume = 13|issue = 1–4|pages = 65–93|year = 1999|last1 = Leigh|first1 = Linda S|last2 = Burgess|first2 = Tony|last3 = Marino|first3 = Bruno D.V|last4 = Wei|first4 = Yong Dan}}</ref>。バイオスフィア2における初期の生態学的発達は[[島嶼生物学]]に例えられた<ref>{{Cite journal |doi=10.1126/science.274.5290.1150|pmid=8966587|title=Biosphere 2 and Biodiversity--The Lessons So Far|journal=Science|volume=274|issue=5290|pages=1150–1151|year=1996|last1=Cohen|first1=J. E|last2=Tilman|first2=D|bibcode=1996Sci...274.1150C|s2cid=38408928}}</ref>。

===集団力学:心理学、対立と協調===
[[ファイル:Jane Poynter at the National Press Club in Washington.jpg|サムネイル|ジェーン・ポインター、2010]]
[[File:Kitchen Biosphere 2.jpg|thumb|right|キッチン]]
[[ファイル:Residential Area - panoramio.jpg|サムネイル|乗組員の個室]]
隔離された人間集団の挙動の分析の多くは、南極の研究基地で越冬している科学者の[[心理学]]的研究から得られている<ref>{{Cite web|url=http://sciencenotes.ucsc.edu/0001/crazy.htm|title=Science Notes 2000 -- Only the Lonely|website=sciencenotes.ucsc.edu}}</ref>。この現象は「[[:en:Confined_environment_psychology|閉鎖環境の心理学]]([[環境心理学]]を参照)」として研究されている。初回の閉鎖ミッションの乗組員であるジェーン・ポインターによると<ref>Poynter, op. cit.</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=bPK05evoFHw&mode=related| archive-url=https://web.archive.org/web/20070521024009/http://www.youtube.com/watch?v=bPK05evoFHw| archive-date=2007-05-21 | url-status=dead|title=Biosphere 2 crewmember & author Jane Poynter interview|date=September 19, 2006|via=YouTube}}</ref>、これは難題として知られており、乗組員はしばしば[[派閥]]に分かれたという<ref>{{Cite book|url=https://isulibrary.isunet.edu/opac/doc_num.php?explnum_id=291|title=Analog Studies for Long Duration Human Spaceflight. A Comprehensive Literature Review|publisher=(International Space University|year=2009|location=Strasbourg, France.|pages=11–29}}</ref>。

初回の閉鎖ミッションが半分も終わらないうちにグループは2つの派閥に分かれ、ポインターによると、親しい友人であった人たちがほとんど口をきかないほどの仲になってしまったという<ref>Poynter, pp.267-8</ref>。他方、バイオスフィア2に害を及ぼす行動は自らの健康を危険にさらす可能性があることを念頭に置き、実験の目的を達成するためにチームとして協力し続けたという指摘もある。これは、他の探査では内部の摩擦が無意識のうちに互いを妨げ、ミッション全体を妨げた可能性があることとは対照的である。乗組員は全員、自分たちの住む世界と強い絆を直感的に感じていた<ref name="ReferenceC">{{Cite journal|last1=Nelson|first1=M|last2=Gray|first2=K|last3=Allen|first3=J. P|year=2015|title=Group dynamics challenges: Insights from Biosphere 2 experiments|journal=Life Sciences in Space Research|volume=6|pages=79–86|bibcode=2015LSSR....6...79N|doi=10.1016/j.lssr.2015.07.003|pmid=26256631}}</ref>。乗組員たちは空気や水の質、大気の挙動、生命システムの健康状態に、非常に本能的かつ深遠な方法で常に注意を向け続けた。この親密な「代謝的なつながり」によって、乗組員は生命システムのわずかな変化さえも識別して対応することができた<ref>{{Cite journal|pmid = 11987306|year = 2002|last1 = Alling|first1 = A|title = Human factor observations of the Biosphere 2, 1991-1993, closed life support human experiment and its application to a long-term manned mission to Mars|journal = Life Support & Biosphere Science: International Journal of Earth Space|volume = 8|issue = 2|pages = 71–82|last2 = Nelson|first2 = M|last3 = Silverstone|first3 = S|last4 = Van Thillo|first4 = M}}</ref>。「生物圏が互いにつながり合っていること、互いに依存し合っていることの意味が、日常の中にある美しさとして、と同時に立ち向かうべき現実として理解できた」<ref name="ReferenceC" />。乗組員のウォルフォードは後にこのように認めている「彼らの何人かは気に入らないが、私たちはずばぬけたチームだった。それが派閥争いの性質だった…しかしそれでも、私たちはひどいミッションを運営し、完全に協力し合っていた」<ref name="ReiderDreaming">{{Cite book|title=Dreaming the Biosphere|last=Reider|first=Rebecca|publisher=University of New Mexico Press|year=2009|isbn=9780826346742}}</ref> 。

バブル内の派閥は、科学研究の進め方について、[[生物圏学]]として進めるのか、あるいは専門的な生態系研究([[還元主義]]的と認識される)として進めるのかという合弁事業のパートナーとの意見対立と権力闘争から形成された。ポインターを含む派閥は、閉鎖性の度合いよりも研究の充実を優先させるべきだと強く考えていた。もう1つの派閥は、プロジェクト管理とミッションの全体的な目標を支持した。2月14日、科学諮問委員会(SAC)の一部が辞職した<ref>Poynter, p. 270</ref> 。

アメリカの大手ニュース雑誌、[[タイム (雑誌)|タイム]]は次のように記事にした。「今、改ざん疑惑のデータや秘密の食糧庫、密輸物資によってすでに傷ついていた信頼性のベニヤ板がひび割れた・・・2年間の自給自足の実験は、科学というより1億5000万ドルのスタントのように見え始めた」<ref>Poynter, p. 270, quoting ''Time'' magazine.</ref>。実際、SACが解散したのは、科学的研究の見直しと改善という任務から逸脱し、経営改革の主張に関与するようになったためである。SACのメンバーの大半は、バイオスフィア2のコンサルタントとして残ることを選択した。

[[海洋科学]]者であるジャック・コーリスの研究部長就任、施設の[[エアロック]]を介した科学サンプルや機材の輸出入の許可、研究の増加と乗組員の労力軽減、正式な研究プログラムの策定など、SACの報告書にある提言が実行に移された。ウォルフォードとアリングが先頭に立って開発した研究プログラムには64ものプロジェクトが含まれていた<ref name="Nelson">{{Cite book|title=Pushing Our Limits: Insights from Biosphere 2|last=Nelson|first=Mark|publisher=op. cit.}}</ref>。

酸素の減少とカロリー制限のある栄養価の高い食事<ref name="CalorieRestriction">{{cite journal|last1=Redman|first1=L. M|last2=Ravussin|first2=E|year=2011|title=Caloric Restriction in Humans: Impact on Physiological, Psychological, and Behavioral Outcomes|journal=Antioxidants & Redox Signaling|volume=14|issue=2|pages=275–287|doi=10.1089/ars.2010.3253|pmid=20518700|pmc=3014770|quote=despite the selective restriction in calories and marked weight loss, all crew members remained in excellent health and sustained a high level of physical and mental activity throughout the entire 2 years.}}</ref>が乗組員の士気を低下させたことは疑いがなかった<ref>Poynter, pp.167-173</ref>。アリングの派閥は、ポインターの派閥が、研究プロジェクトの遂行に必要な体力をつけるためなら、食料の輸入もいとわないと考えていることを危惧していた。彼らは、それは定義上、プロジェクトの失敗にあたると考えていた。

1992年11月、飢えた乗組員たちはバイオスフィア2の内部にある栽培前の種子を食べ始めた<ref>Poynter, p. 247.</ref>。ポインターはこのことを企業のPRディレクターであるクリス・ヘルムズに知らせた。Space Biospheres VenturesのCEOであるマーガレット・オーガスティンは彼女を即座に解任し、バイオスフィア2を出るように言った。しかし、この命令は実行されなかった。ポインターの書くところによれば<ref>Poynter, p.249</ref>、彼女はその命令を実行すれば閉鎖の適切な完了が不可能になると判断し、単にその場にとどまることを決めたという。

隔離された集団は、集団力学やどのような集団にも見られる個人の感情の揺らぎを、より重く感じる傾向がある。極地観測隊員からの報告の中には心理的な問題を誇張したものもある<ref>{{Cite book |isbn=9780387973104 |pages=217–227|title=From Antarctica to Outer Space: Life in Isolation and Confinement|last1=Harrison|first1=Albert A|last2=Clearwater|first2=Yvonne A|last3=McKay|first3=Christopher P|date=January 1991}}</ref>。初回のミッションの乗組員の一部は自分たちを抑鬱状態であると考えていたが、心理検査では抑鬱は無く、探検家/冒険家のプロファイルに適合し、女性と男性の両方が宇宙飛行士と非常に類似したスコアを付けていた<ref>{{Cite book |isbn=9780306453403 |pages=235–244|title=Handbook of Japan-United States Environment-Behavior Research: Toward a Transactional Approach |last1=Demick|first1=Jack|last2=Takahashi|first2=T|last3=Wapner|first3=Seymour|last4=Takiji Yamamoto|first4=C|date=1996-11-30}}</ref>。ある心理学者は、「もし私がアマゾンで道に迷い、そこから脱出し、一緒に生き残るためのガイドを探していたとしたら、バイオスフィアの乗組員が一番の選択肢になるだろう」と指摘した<ref>{{Cite book|title=Pushing our Limits|last=Nelson|first=Mark|publisher=op. cit.|pages=204}}</ref>。

===Challenges===
{{節翻訳スタブ|1=[[:en:Biosphere2]]|date=2022年12月}}
==2回目のミッション==
[[ファイル:Steve Bannon by Gage Skidmore.jpg|サムネイル|[[スティーブン・バノン]]、2017]]
[[ファイル:Biosphere 2 Tour Entrance - panoramio (1).jpg|サムネイル|[[エアロック]]・ドア]]
バイオスフィア2の初回のミッションの後、二酸化炭素が吸収されることを防ぐためにコンクリートをシーリングするなど、大規模な研究とシステムの改良が行われた。2回目のミッションは、1994年3月6日に開始され、10ヶ月運用される予定と発表された。乗組員は、ノルベルト・アルバレス・ロモ(キャプテン)、ジョン・ドルイット、マット・フィン、パスカル・マスリン、シャーロット・ゴッドフリー、ロドリゴ・ロモ、ティラック・マハトの6名である。2回目のミッションの乗組員は食糧生産において完全な自給を達成した<ref name="ReferenceB" />。

1994年4月1日、経営陣の中で激しい争いが起こり、接近禁止命令を出した連邦保安官によって現場管理者が追放された。出資者のエド・バスはカリフォルニア州ビバリーヒルズの投資銀行チーム「Bannon & Co」の当時のマネージャー、[[スティーブン・バノン]]をSpace Biospheres Venturesの運営に起用した。プロジェクトは管財人のもとに置かれ、管財人のために外部の経営陣が設置され、低迷するプロジェクトを立て直していくことになった。争いの原因は3つあった。ミッションの管理の不徹底による悪評、財務の不徹底、研究の不足である。プロジェクトは1992年度には2,500万ドルの損失を出し、重大な財務的不始末が指摘された<ref>Poynter, pp. 325–26</ref>。

バイオスフィア2の初回の乗組員2人は人事に抗議するためにアリゾナに戻り、バノンと新経営陣が彼らの安全を脅かすと現在の乗組員に警告するために、施設に侵入した<ref name=":0">{{Cite news|url=https://www.motherjones.com/politics/2016/08/stephen-bannon-donald-trump-biosphere-2-arizona|title=Trump's Campaign CEO Ran a Secretive Sci-Fi Project in the Arizona Desert|last=Murphy|first=Tim|date=August 26, 2016|work=Mother Jones}}</ref>。1994年4月5日午前3時、初回のミッションの乗組員であるアビゲイル・アリングとマーク・ヴァン・ティロは、プロジェクトを外から破壊し<ref>{{cite news| url=https://www.nytimes.com/1994/04/05/us/two-former-biosphere-workers-are-accused-of-sabotaging-dome.html | work=The New York Times | title=Two Former Biosphere Workers Are Accused of Sabotaging Dome | date=April 5, 1994 | access-date=April 26, 2010}}</ref>、二重[[エアロック]]ドア1つと一重の非常口3つを開け、約15分間開いたままにしたとされる。また、ガラス5枚が割られた。

アリングは後にアメリカの大手紙、[[シカゴ・トリビューン]]に、「バイオスフィアは緊急事態にあると考えた…決して破壊活動ではなかった。それをすることは私の責任だった」<ref name=":1">{{Cite news|url=http://articles.chicagotribune.com/1994-04-16/news/9404160087_1_mark-van-thillo-abigail-alling-texas-billionaire-edward-bass|title=Biosphere 2 Proves A Hothouse For Trouble: Project Yields A Crop Of Rivalry, Confusion|last=de Lama|first=George|date=April 16, 1994|work=Chicago Tribune|archive-url=https://web.archive.org/web/20140819090535/http://articles.chicagotribune.com/1994-04-16/news/9404160087_1_mark-van-thillo-abigail-alling-texas-billionaire-edward-bass|archive-date=August 19, 2014|url-status=dead}}</ref>と語った。システムアナリストのドネラ・メドウズによると、この間にバイオスフィア内の空気の約10%が外気と入れ替わった。メドウズはアリングから連絡を受け、彼女とヴァン・ティロは、乗組員が新しい状況について何を聞かされていたか分からないので、劇的に状況の変わった人体実験を続けるか、もしくは去るかの選択を中の人に与えることが倫理的義務だと判断した、と言ったという。

「1994年4月1日、午前10時頃...リムジンがバイオスフィア敷地に到着した...バス氏によって雇われた2人の投資銀行家と共に...。彼らは、プロジェクトの直接の管理を引き継ぐための一時的な禁止命令を持って到着した...。一緒にいたのはバスの組織が雇った6〜8人の警察官だった...彼らはすぐにオフィスの鍵を変えた...そして、バイオスフィア2の安全性、運営、研究に関するいかなるデータも入手できないようにされた」

アリングは手紙の中で、突然引き継いだ「銀行家」が 「技術的にも科学的にも何も知らず、バイオスフィアの乗組員についてもほとんど知らなかった」ということを何度も強調している<ref>{{Cite web|url=http://donellameadows.org/archives/biosphere-2-teaches-us-another-lesson/|title=Biosphere 2 Teaches Us Another Lesson}}</ref>。4日後、キャプテンのノルベルト・アルバレス・ロモ(当時はバイオスフィア2の最高責任者マーガレット・オーガスティンと結婚していた)が、妻の停職処分を受けて「家族の緊急事態」を理由に突然にバイオスフィアを去った。彼の後任には、初回のミッションのキャプテンに指名されていたものの、直前で交代したベルント・ザベルが選ばれた。その2ヵ月後、マット・フィンに代わってマット・スミスが就任した{{Citation needed|date=May 2020}}。

所有・管理会社であるSpace Biospheres Venturesは1994年6月1日に解散した。これにより、ミッションの科学的・経営的管理は、資金パートナーであるDecisions Investment Co.が契約していた暫定的なターンアラウンド・チームに委ねられることになった<ref name="chrono">{{cite web |url=http://www.biospherics.org/biosphere2/chronology/ |title=BIOSPHERE 2: The Experiment |website=Biospherics.org |access-date=2017-01-14}}</ref>。2回目のミッションは1994年9月6日に早々と終了した。バイオスフィア2はコロンビア大学によって、閉鎖生態系から二酸化炭素濃度を任意のレベルで操作できる「フロースルー」システムに変更されたため、それ以上の総合システム科学は生まれていない<ref name="chrono" />。

スティーブン・バノンは2年後にバイオスフィア2を去ったが、彼の辞任は、侵入した元乗組員によってSpace Biosphere Venturesに対して起こされた「[[:en:Abuse_of_process|訴権の乱用]]」の民事訴訟によって際立つものとなった<ref>{{Cite news|url=http://tucsoncitizen.com/morgue2/1996/05/24/147580-manager-vowed-revenge-on-alling-her-lawyer-says/|title=Manager vowed revenge on Alling, her lawyer says|last=Stern|first=Eric|date=May 24, 1996|work=Tucson Citizen|archive-url=https://web.archive.org/web/20161115233435/http://tucsoncitizen.com/morgue2/1996/05/24/147580-manager-vowed-revenge-on-alling-her-lawyer-says/|archive-date=2016-11-15|url-status=dead}}</ref>。バイオスフィア2の設立当初からの主要な管理者グループは、バノンらによる虐待的な行動と、銀行家たちの実際の目的は実験を破壊することであったと両方述べた<ref>{{Cite web|last=Mayer|first=Ralo|title=How Steve Bannon Wrecked a World well before he went for this one|url=http://was-ist-multiplex.info/2017/03//how-steve-bannon-wrecked-a-world-well-before-he-went-for-this-one|access-date=January 7, 2018}}</ref>。1996年の裁判で、バノンは原告の一人であるアビゲイル・アリングを「自己中心的で妄想的な若い女性」「尻軽女」と呼んだと証言している。また、この女性が現場の安全上の問題をまとめた5ページの陳情書を提出した時、「彼女の喉元に陳情書を押し付ける」と約束したと証言している。バノンは、これを "傷心と幻滅"によるものとした<ref>{{Cite news|url=https://motherboard.vice.com/en_us/article/the-strange-history-of-steve-bannon-and-the-biosphere-2-experiment|title=The Strange History of Steve Bannon and the Biosphere 2 Experiment |last=Cole|first=Samantha|date=November 15, 2016|work=Vice: Motherboard}}</ref>。裁判の結果、裁判所は原告側を支持し、Space Biosphere Venturesに60万ドルの支払いを命じたが、同時に原告側にも損害賠償として40,089ドルを支払うよう命じた<ref name=":0" />。

== 科学 ==
[[ファイル:The Ocean - Flickr - treegrow (1).jpg|サムネイル|海セクション ]]
マリノとハワードT. オダムが編集したEcological Engineering誌の特集号「バイオスフィア2:研究の過去と現在」は、バイオスフィア2から収集した論文や知見を最も包括的にまとめたものとして1999年に出版されたものである<ref>{{Cite book|url=https://www.worldcat.org/oclc/42659686|title=Biosphere 2: Research Past and Present|date=1999|publisher=Elsevier Science|others=Marino, B. D. V. (Bruno D. V.), Odum, Howard T. (Howard Thomas), 1924-2002.|isbn=0-08-043208-5|location=[Amsterdam?]|oclc=42659686}}</ref>。この特集号に掲載された論文は、システムの代謝、[[水文学]]的バランス、熱と湿度を記述する校正モデルから、二酸化炭素の豊富な環境における熱帯雨林、マングローブ、海洋、農耕システムの発達を記述するものまで、多岐にわたっている<ref>For a complete list of Biosphere 2 scientific papers and publications see {{cite web |url=http://biospheres.com/publications.html |title=Biosphere 2 Publications |access-date=2009-02-19 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20081225234053/http://www.biospheres.com/publications.html |archive-date=2008-12-25 }}.</ref><ref>For research projects and consultants during the first closure experiment: {{cite web|url=http://biospheres.com/resbio2jntstudy1.html|title=International Conferences on Biospherics|archive-url=https://web.archive.org/web/20100110205048/http://biospheres.com/resbio2jntstudy1.html|archive-date=2010-01-10|url-status=dead|access-date=2009-02-19}}</ref>。いくつかの学位論文や多くの科学論文がバイオスフィア2での初期の閉鎖実験からのデータを使用しているが、オリジナルのデータの多くは分析されたことがなく、おそらく学派の争いや内紛のために利用できないか失われている<ref name="Allen 1629–1640" /><ref name="Nelson" />。

科学史家のレベッカ・レディエの主張によると、バイオスフィア2の製作者は科学のアカデミアからはアウトサイダーと認識されていたためプロジェクトは精査されたもののメディアでの理解が不十分であり、そして「正当な」科学者と見なされるコロンビア大学が管理を引き継いだ後、精査は中止されてしまったという<ref name="ReiderDreaming" />。

=== 称賛と批判 ===
バイオスフィア2の評価には、「ケネディ大統領が人類を月に打ち上げて以来、米国で実施された最もエキサイティングな科学プロジェクト」というものがあった<ref>''Discover'', May 1987.</ref>。他方、「科学と称した[[ニューエイジ]]の戯言」とも言われた<ref>''Ecology'', 73(2), 1992, p.713</ref>。

ジョン・アレンとロイ・ウォルフォードには、それなりの実績があった。ジョン・アレンは、コロラド鉱山学校で冶金・鉱山工学の学位を、[[ハーバード・ビジネス・スクール]]でMBAを取得している<ref name="ReferenceA" /><ref>''Ibid.''</ref>。ロイ・ウォルフォードは[[シカゴ大学]]で医学博士号を取得後、[[病理学]]の教授として35年間[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校|UCLA]]で教鞭をとった。マーク・ネルソンは1998年にH.T.オダム教授のもとで生態工学の博士号を取得し<ref>{{Cite journal |last=Nelson |first=M. |date=1999 |title=Bioregenerative recycle of wastewater in Biosphere 2 using a created wetland: two year results |journal=Ecological Engineering |volume=13 |pages=189–197 |citeseerx=10.1.1.504.364 |doi=10.1016/s0925-8574(98)00099-8}}</ref>、バイオスフィア2における下水の処理と再利用に用いられる人工湿地の開発や、珊瑚を採取したユカタン沿岸の珊瑚礁の保護に取り組んでいる<ref>Nelson, Mark. 1998. Limestone Wetland Mesocosm for Recycling Saline Wastewater in Coastal Yucatan, Mexico. PhD dissertation, University of Florida. http://www.cep.ees.ufl.edu/emergy/documents/dissertations_theses/Nelson_1998_Dissertation.pdf</ref>。リンダ・リーは、オダムと共同で生物多様性とバイオスフィア2の熱帯雨林に関する論文で博士号を取得した<ref>{{Cite book|title=Basis for Rainforest Diversity and Biosphere 2|last=Leigh|first=Leigh|publisher=University of Florida Ph.D. Dissertation|year=1999}}</ref>。アビゲイル・アリング、マーク・ヴァン・ティロ、サリー・シルバーストーンは、バイオスフィア財団の設立に協力し、珊瑚礁と海洋の保全、持続可能な農業システムに取り組んだ<ref>{{Cite web|url=https://biospherefoundation.org/|title=The Biosphere Foundation}}</ref>。ジェーン・ポインターとテーバー・マッカラムは、[[パラゴン・スペース・デベロップメント]]を共同で設立し、世界で初めて宇宙空間におけるミニ閉鎖系と動物の全生涯を研究するとともに、[[自由降下]]の高度の世界記録樹立に協力した<ref>{{Cite web|url=http://www.paragonsdc.com/who-we-are/|title=Paragon Space Development Corporation|access-date=January 3, 2018}}</ref>。

ジャーナリストのマーク・クーパーは、バイオスフィア2の準備段階において世界中のトップレベルの科学者やとりわけ[[ロシア科学アカデミー]]が貢献しているにもかかわらず参加者の資質に疑問を呈し、「バイオスフィアプロジェクトを構築、構想、指揮しているグループは、科学の最先端にいるハイテク研究者のグループではなく、[[権威主義]]的で明らかに非科学的な[[個人崇拝]]から発展したありきたりな演劇パフォーマーの一群である」と書いている<ref>Cooper, Marc. "Take This Terrarium and Shove It", ''Village Voice'', 1991.</ref>。彼はニューメキシコ州のシナジア牧場に言及していたが<ref>{{Cite web|url=http://ecotechnics.edu/|title=The Institute of Ecotechnics|access-date=2 January 2018}}</ref>、そこは実際にバイオスフィア乗組員の多くがジョン・アレンの指導のもとで演劇を練習し、バイオスフィア2の背後にあるアイデアを発展させ始めた場所であった。彼らはまたエコテクニクス研究所を設立し、成立困難な生物群系を題材に革新的なフィールドプロジェクトを開始して、人間の技術と環境の合理的な統合を進めるため、バイオスフィア乗組員の候補者の多くがリアルタイムの複雑なプロジェクトを運用する経験を積んだ<ref>{{Cite journal |doi = 10.1016/S0251-1088(84)92033-3|title = The Institute of Ecotechnics ''An'' institute devoted to developing the discipline of relating technosphere to biosphere|journal = The Environmentalist|volume = 4|issue = 3|pages = 205–218|year = 1984|last1 = Allen|first1 = J|last2 = Parrish|first2 = T|last3 = Nelson|first3 = M}}</ref><ref>{{Cite book|title=Pushing our Limits: Insights from Biosphere 2|last=Nelson|first=Mark|publisher=op. cit.}}</ref>。

彼ら自身の科学コンサルタントの1人は当初は批判的であった。バイオスフィア内の熱帯雨林の生物群系を設計したのは、イギリスにある[[キューガーデン|キュー王立植物園]]の園長であるギリアン・プランス博士である。後に彼は意見を変え、この実験のユニークな視点を認め、コンサルタントとして成功したが、1983年のインタビュー(実験開始の8年前)ではプランスは次のように述べていた。

「私がエコテクニクス研究所に惹きつけられたのは、研究費が削減される中で、研究所が自由に使えるお金をたくさん持っているように思えたからだ。しかし他の人たちと同様に、私はよく使われなかった。彼らの科学に対する興味は本物ではない。何か秘密めいた意図があり、ある種の宗教的、哲学的なシステムによって導かれているようだ」

その後、プランスは1991年の新聞のインタビューで次のように述べている。

「彼らはビジョナリーだ...そしておそらく彼らが持っているビジョンを実現するために[[カルト]]らしさを帯びたのだろう。しかし、彼ら自体はカルトではないようだ...私は生態系の回復システムに興味がある。そして、この実験から宇宙の目標をはるかに超えたあらゆる種類の科学的なことが生まれると思う...彼らがこの新しいプロジェクトのために私のところを訪れたとき、彼らはとてもよく組織されていて、とても触発された。私は単純に、彼らの過去を忘れることに決めた。過去を引きずるべきではない。<ref>''[[Phoenix New Times]]'', June 19, 1991.</ref>」

ポインターは回顧録の中で、バイオスフィア2の企画チームの一部は信頼ある科学者ではないために試みの結果は価値がないという批判に反論している。

「一部の記者は私たちが非科学的であると非難した。世界最高の科学者が精力的にプロジェクトの設計と運営に携わっていたにもかかわらず、SBVの管理者の多くが科学者の称号を持っていなかったため、プロジェクト全体の妥当性に疑問が持たれたようだ。しかし、その批判はフェアではない。私はバイオスフィア2を去ってから10年間、シャトルと宇宙ステーションに実験を送り出し、代替シャトルと将来の月面基地のための生命維持システムを設計する小さなビジネスを経営してきた。私はジョン・アレンの持つようなハーバード大学のMBAはおろか、学位さえも持っていない。私は科学者や一流のエンジニアを雇っている。私たちの会社の信用は、私の称号のために問題にされることはない。私たちは仕事の品質で判断されている」。

H.T.オダムは、科学の発展には、しばしば奇人やアウトサイダーが貢献してきたと指摘する。

「バイオスフィア2の運営に携わった人たちは、10年間準備のための勉強をし、閉鎖系に携わるロシア人を含む国際的な科学者コミュニティと交流していたにもかかわらず、科学的な学位を持たなかったため、多くの科学者から訓練を受けていないとみなされた。科学の歴史には、非典型的な経歴を持つ人々が科学を新しい方向に開いた例が数多くあり、今回の場合にはメソコスム組織と[[生態工学]]を新鮮な仮説とともに実装している<ref>{{Cite journal|last=Odum|first=H.T.|title=Scales of Ecological Engineering|journal=Op. Cit.}}</ref>」

[[スミソニアン協会]]のトム・ラブジョイを委員長とするバイオスフィア2科学諮問委員会は、1992年8月の報告書の中でこう報告している。

「委員会はバイオスフィア2の構想と建設が先見性と勇気のある行動であったという点で一致している。バイオスフィア2の規模は例のないものであり、バイオスフィア2はすでに他の手段では得られない予見されなかった科学的知見をもたらしている(特に大気中の酸素濃度の予想外の低下の記録)。バイオスフィア2は生物地球化学的循環、閉鎖生態系の生態学、[[復元生態学]]の分野で重要な科学的貢献をすることになるだろう」

コロンビア大学は、施設の運営を引き継いだ後、外部の科学者を集めてこの施設の可能性を評価し、次のような結論を出した。

「世界的な科学者たちが集まり、バイオスフィア2の施設が地球と環境の未来に関わる重要な問題に取り組むための特別な研究所であると判断した<ref>Dr. Michael Crow, Vice-Provost of Columbia University, Press Release December 20, 1994.</ref>」
{{節翻訳スタブ|1=[[:en:Biosphere2]]|date=2022年12月}}

==コロンビア大学==
1995年12月、バイオスフィア2の所有者は管理をニューヨーク市のコロンビア大学に託した<ref>{{cite news
|url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CE2D9133AF93AA25752C1A960958260
|title= Paradise Lost: Biosphere Retooled as Atmospheric Nightmare
|first=William J.
|last=Broad
|newspaper=The New York Times
|date=1996-11-19}}</ref> 。コロンビア大学はバイオスフィア2を2003年まで研究拠点およびキャンパスとして運用した。<ref>{{cite news
|url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C02E7D6173BF93AA3575AC0A9659C8B63
|title= Columbia University Ends Its Association With Biosphere 2
|first=Karen W.
|last=Arenson
|newspaper=The New York Times
|date=2003-09-09}}</ref>。その後、管理は所有者に戻された。1996年、コロンビア大学は、閉鎖系研究用に設計された実質的に気密で物質的に閉鎖された構造を「フロースルー」システムに変更し、閉鎖系の研究を停止した<ref>{{cite journal |last1=Marino |first1=B. D. V. |last2=Odum |first2=H. T. |year=1999 |title=Biosphere 2, Introduction and research progress |journal=Ecological Engineering |volume=13 |pages=3–14 |citeseerx=10.1.1.539.7639}}</ref>。コロンビア大学は[[地球温暖化]]の研究のために二酸化炭素の濃度を操作し、必要に応じて必要な量の二酸化炭素の注入や排出をした。コロンビア大学による運営中、コロンビア大学や他の大学の学生はしばしば1学期を現場で過ごした<ref>{{cite web |last1=Crook |first1=Kendra |title=Columbia University Establishes 10 Earth Institute Scholarships |url=http://www.columbia.edu/cu/news/00/10/earth_institute_scholar.html |website=Columbia News |publisher=Columbia University |access-date=28 November 2016}}</ref>。

コロンビア大学運営中の研究により、地球規模の持続的な[[気候変動]]による大気中の二酸化炭素濃度の上昇や[[海洋酸性化]]が、珊瑚礁に壊滅的な影響を与えることが実証された<ref>{{Cite journal |doi = 10.1029/1999GB001195 |title = Effect of calcium carbonate saturation state on the calcification rate of an experimental coral reef|journal = Global Biogeochemical Cycles |volume = 14|issue = 2|pages = 639–654 |year = 2000|last1 = Langdon|first1 = Chris|last2 = Takahashi|first2 = Taro|last3 = Sweeney|first3 = Colm|last4 = Chipman|first4 = Dave|last5 = Goddard|first5 = John|last6 = Marubini|first6 = Francesca |last7 = Aceves|first7 = Heather|last8 = Barnett|first8 = Heidi|last9 = Atkinson|first9 = Marlin J|bibcode = 2000GBioC..14..639L| s2cid=128987509 }}</ref>。[[米国科学アカデミー]]前会長のフランク・プレスは、バイオスフィア2の高度に制御可能な海洋[[メソコスム]]を利用した、大気と海洋の間のこれらの相互作用の証明を、「人間が地球に与える影響の初めての明白な実験的な確認」と説明した<ref>{{Cite web |url=http://www.columbia.edu/cu/21stC/issue-4.1/harris.html |title=Biosphere 2: sustainable research for a sustainable planet |last1=Harris|first1=W.C|last2=Graumlich|first2=Lisa|access-date=10 December 2017}}</ref>。バイオスフィア2の陸上生物群系の研究では、二酸化炭素濃度の上昇が飽和点に達し、それを超えるとそれ以上吸収できないことが示された。この研究の著者らは、バイオスフィア2の熱帯雨林と砂漠の生物群系のシステム全体の反応に著しい違いがあることから、「複雑な地球変動問題の研究における大規模な実験研究の重要性を示している」と指摘した<ref>{{Cite journal |doi = 10.1007/s004420050765|pmid = 28308165 |title = Ecosystem carbon exchange in two terrestrial ecosystem mesocosms under changing atmospheric CO 2 concentrations |journal = Oecologia|volume = 119 |issue = 1|pages = 97–108|year = 1999 |last1 = Lin|first1 = Guanghui |last2 = Adams|first2 = John |last3 = Farnsworth|first3 = Blake |last4 = Wei|first4 = Yongdan |last5 = Marino|first5 = Bruno D. V|last6 = Berry|first6 = Joseph A |bibcode = 1999Oecol.119...97L|s2cid = 17789085 }}</ref>。

== 敷地の売却 ==
[[ファイル:Biosphere 2 Campus - Flickr - treegrow (7).jpg|サムネイル|バイオスフィア2 遠景]]
2005年1月、バイオスフィア2の所有者であるDecisions Investments Corporationは、プロジェクトの全体の敷地のうちの650ヘクタール(1,600エーカー)を売りに出していると発表した<ref>{{cite news|url=http://columbiaspectator.com/2005/02/04/biosphere-2-now-sale-highest-bidder|first=Elizabeth|last=Trembath-Reichert|publisher=[[Columbia Daily Spectator]]|title=Biosphere 2 Now for Sale to Highest Bidder|date=2005-02-04|access-date=2016-03-13}}</ref>。彼らはバイオスフィア2の複合施設が研究用に利用されることを望んでいたが、大規模大学、教会、リゾート、スパなど、異なる意図を持つ購入者を除外してはいなかった。2007年6月、敷地はCDO Ranching & Development, L.P.に5000万ドルで売却され、1,500戸の住宅とリゾートホテルが計画されたが、バイオスフィア2の主要な施設は依然として研究・教育用途に利用可能であった<ref name="msnbc-2007-06-05">{{cite news|url=http://www.nbcnews.com/id/19055888|title=Biosphere 2 bubble sold to developers|work=NBC News|date=2007-06-05}}</ref>。

== アリゾナ大学による買収 ==
2007年6月26日、アリゾナ大学はバイオスフィア2での研究を引き継ぐと発表した。この発表により、施設が取り壊されるのではないかという懸念は払拭された。大学関係者によると、民間の寄付と助成金により、研究費と運営費を3年間賄うことができ、10年間の資金延長の可能性があるとした<ref>{{cite news|url=http://www.azcentral.com/news/articles/0626biosphere26-ON.html|title=UA to take over Biosphere 2 research|date=2007-06-26|first=Anne|last=Ryman|work=[[The Arizona Republic]]}}</ref>。資金は10年間延長され、現在は、陸域の[[水循環]]とそれが生態学、[[大気科学]]、土壌地球化学、気候変動とどのように関連しているかについての研究プロジェクトに取り組んでいる。2011年6月、大学は7月1日からバイオスフィア2の完全な所有権を引き継ぐと発表した<ref name="UANewsBiosphere">{{cite news|title=Biosphere 2 to Have a Permanent Home With the UA|url=http://uanews.org/node/40358|archive-url=https://web.archive.org/web/20111112035405/http://uanews.org/node/40358|url-status=usurped|archive-date=November 12, 2011|date=2011-06-27|access-date=2011-06-27|publisher=Office of University Communications, The University of Arizona}}</ref>。

CDO Ranching & Developmentは、土地、バイオスフィア2の建物、その他いくつかのサポート用および管理用の建物を寄付した。2011年、フィラコロジー財団 (エド・バスによって設立された非営利の研究財団) は、進行中の科学研究と運用のために2,000万ドルを約束した<ref name="UANewsBiosphere" />。2017年、エド・バスはバイオスフィア2を支援するためにアリゾナ大学にさらに3,000万ドルを寄付し、2つのアカデミックポジションを寄付し、「フィラコロジー生物圏研究寄付基金」を設立した<ref>{{Cite web|url=https://uanews.arizona.edu/story/30-million-gift-positions-ua-biosphere-2|title=$30M Gift Announced for UA's Biosphere 2|date=2017-09-20|website=UANews|language=en|access-date=2019-04-10|last3=Innovation}}</ref>。敷地内ではサイエンスキャンプも開催されている。これには、大学の学部生向けの1週間の「スペースキャンプ」と、学生向けの宿泊キャンプが含まれる<ref>{{cite web |url=http://biosphere2.org/education/overnight-experiences |title=Overnight Experiences At Biosphere 2: Residential K-12 Programming |author=<!--Not stated--> |website=Biosphere 2 |publisher=University of Arizona |access-date=18 September 2019}}</ref><ref>{{cite web |url=https://tucson.com/news/local/first-space-camp-at-biosphere-helps-prepare-students-for-life/article_a125de3c-3800-5278-9c7b-181f436ee92f.html |title=First Space Camp at Biosphere 2 helps prepare students for life on Mars |last=Demers |first=Jasmine |date=11 August 2019 |website=tucson.com |publisher=Arizona Daily Star |access-date=18 September 2019}}</ref>。
==現在の研究==
{{節翻訳スタブ|1=[[:en:Biosphere2]]|date=2022年12月}}
バイオスフィア2では多数の小規模な研究プロジェクトと、下記のような大規模な研究プロジェクトが行われている。
* Lunar Greenhouse(月面温室)。月や火星で野菜を栽培する方法を理解するために、植物の蒸散によって水をリサイクルし浄化する生物再生生命維持システムを開発する、環境制御型農業センターの2番目のプロトタイプ。
* 民間企業のCivic Farmsと共同でバイオスフィア2の西肺に垂直農法プロジェクトの構築が予定されている。水効率を高め、害虫や農薬を使わずに農業公害をゼロにし、外部の気象条件から影響を受けないという目標を目指して、特定の波長に設定したLEDランプによる室内植物成長サイクルを開発しようとするもの。
==大衆文化におけるバイオスフィア2==
* Bio-Dome バイオスフィア2をモチーフにした1996年のコメディ映画。
* Spaceship Earth バイオスフィア2を題材にした2020年のドキュメンタリー映画。
* チアーズ (テレビドラマ) 「(season 11)The Girl in The Plastic Bubble」では、登場人物Lilith Craneが地下の「エコ・ポッド」に住むために旅立ち、明らかにバイオスフィア2プロジェクトのパロディであることがわかる。<ref>{{Citation |last=Burrows |first=James |title=The Girl in the Plastic Bubble |date=1992-11-12 |url=https://www.imdb.com/title/tt0539893/ |series=Cheers |access-date=2022-11-04}}</ref>
== 見学 ==
[[ファイル:Biosphere 2 TucsonAZ 20050822 2.jpg|サムネイル|見学ツアー]]
==日本での類似実験==
==日本での類似実験==
日本においては、[[財団法人]][[環境科学技術研究所]]が[[青森県]][[六ヶ所村]]で閉鎖空間長期間滞在実験を試みている。
日本においては、[[財団法人]][[環境科学技術研究所]]が[[青森県]][[六ヶ所村]]で閉鎖空間長期間滞在実験を試みている。
==参照==
{{Reflist}}


==参考文献==
===参考文献===
{{Refbegin|}}
*{{cite book|author=Allen, John P.|title=Me and the Biospheres: A Memoir by the Inventor of Biosphere 2|publisher=Synergetic Press|year=2009|isbn=978-0-90779-137-9}}
*{{cite book|author1=Alling, Abigail|author2=Nelson, Mark|title=Life Under Glass: The Inside Story of Biosphere 2|publisher=Synergetic Press|year=1993|isbn=978-1-88242-807-6}}
*{{Cite book|journal=Ecological Engineering|volume=13|number=1–4|issn=0925-8574|isbn=978-0-08-043208-3|title=Biosphere 2: Research Past and Present|year=1999|url=http://www.sciencedirect.com/science/journal/09258574/13|last1=Marino|first1=Bruno D. V.|last2=Odum|first2=Howard T.|author-link2=Howard T. Odum}}
*{{cite book|author=Poynter, Jane|title=The Human Experiment: Two Years and Twenty Minutes Inside Biosphere 2|publisher=Thunder's Mouth Press|year=2006|isbn=978-1-56025-775-2|url=https://archive.org/details/humanexperimentt00poyn}}
*{{cite book|last=Nelson|first=Mark|title=Pushing Our Limits: Insights from Biosphere 2|publisher=University of Arizona Press|location=Tucson, AZ|year=2018}}
*{{cite book|first=Rebecca|last=Reider|title=Dreaming the Biosphere|year=2009|isbn=978-0-8263-4673-5}}
*『バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間』アビゲイル・アリング、マーク・ネルソン、平田明隆訳 講談社ブルーバックス ISBN 4062571471
*『バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間』アビゲイル・アリング、マーク・ネルソン、平田明隆訳 講談社ブルーバックス ISBN 4062571471
{{Refend}}

== 外部リンク ==
{{Commons}}
* {{Official website|http://biosphere2.org/}}
* [https://twitter.com/B2science 公式ツイッター]
* [https://www.youtube.com/channel/UCMuD0y0Uz0AFRQMq1C_uWcw 公式Youtube]
* [https://www.instagram.com/biosphere2/ 公式インスタグラム]
* [https://www.tiktok.com/@biosphere2?lang=en 公式Tiktok]
* [https://synergiaranch.com シナジア牧場公式サイト]
* [http://www.paragonsdc.com パラゴン・スペース・デベロップメント公式サイト]
* [https://ecotechnics.edu エコテクニスク研究所公式サイト]


==関連項目==
==関連項目==
* [[宇宙移民]]、[[スペースコロニー]]
* [[スペースコロニー]]
* [[MARS500]]
* [[MARS500]]
* [[エデン・プロジェクト]]
* [[エデン・プロジェクト]]
* [[BIOS-3]] ロシアにある閉鎖生態系研究施設
* MELiSSA 欧州宇宙機関の運用する閉鎖生態系研究施設


==外部リンク==
==外部リンク==
* [http://b2science.org/ Biosphere2](英語Webサイト)
* [http://www.ies.or.jp/ 財団法人環境科学技術研究所]

{{Normdaten}}
[[Category:生態学の実験|はいおすふいあ2]]
[[Category:生態学の実験|はいおすふいあ2]]
[[Category:アリゾナ州の建築物|はいおすふいあ2]]
[[Category:アリゾナ州の建築物|はいおすふいあ2]]

2022年12月6日 (火) 10:11時点における版

バイオスフィア2
熱帯雨林温室(左)、居住棟(中)、日周気圧調整ドーム(右)
Lua エラー モジュール:Location_map 内、547 行目: Location mapのモジュール「"Module:Location map/data/Arizona"」もしくはテンプレート「"Template:Location map Arizona"」が作成されていません。
Location within Arizona
概要
用途 研究施設[1]
所在地 アメリカ合衆国、アリゾナ州オラクル
住所 32540 S Biosphere Rd, Oracle, AZ 85739
座標 北緯32度34分44秒 西経110度51分02秒 / 北緯32.578778度 西経110.850594度 / 32.578778; -110.850594座標: 北緯32度34分44秒 西経110度51分02秒 / 北緯32.578778度 西経110.850594度 / 32.578778; -110.850594
標高 3,820 ft (1,164 m)
着工 1987
完成 1991
所有者 アリゾナ大学
技術的詳細
床面積 3.14エーカー (12,700 m2)
土地面積 40エーカー (160,000 m2)
ウェブサイト
biosphere2.org
テンプレートを表示

バイオスフィア2(: Biosphere2) は、アメリカ合衆国アリゾナ州オラクルにある地球システム科学の研究施設である。地球とその生命システム、および宇宙におけるその位置づけについての研究、アウトリーチ、教育、および生涯学習の拠点となることをその使命としている[1]。バイオスフィア2は1.27ヘクタールの建築物で[2]、もともとは人工の物質的に閉鎖された生態系、あるいはビバリウムとして作られた。バイオスフィア2は建設以来、世界最大の閉鎖生態系である[3]

1987年から1991年にかけて建設されたバイオスフィア2は、もともと地球の生物圏の代わりとして、宇宙空間での人間の生活を支え、維持するための閉鎖生態系の実現可能性を実証することを目的としていた[4]。バイオスフィア2はさまざまな生物学生物群系に基づいた異なるセクションを持つ構造で、生命システム内の相互作用の網を探索するために設計された。バイオスフィア2の内部にはいくつかの生物群系と人間の居住区に加え、地球生態学の研究のための新しい種類の実験室として、人間、農業、技術、その他の自然との間の相互作用を研究するための農業エリアと作業スペースがあった。その使命は、8人の人間(「バイオスフィア人」)による2年間の閉鎖実験であった[5]。 長期的には、宇宙移民における閉鎖生物圏の使用についての知識を得る先行研究と見なされた。バイオスフィア2は生態系の実験施設として、地球の生物圏に害を与えることなく、ミニ生物圏システムの研究と操作を可能にした。

バイオスフィア2の生物群系エリアは次の7つから構成された。1,900平方メートルの熱帯雨林、850平方メートルの珊瑚礁のある海、450平方メートルのマングローブ湿地、 1,300平方メートルのサバンナ草原、1,400平方メートルの霧の砂漠、および2つの人為的生物群系:2,500平方メートルの農業システムと生活空間、研究室、作業室を備えた人間の居住空間であった。地下には技術インフラの大部分が配置された。暖房と冷却用の水は独立した配管システムを通して循環し、施設の大部分を覆うガラスのスペースフレームパネルを通してパッシブソーラーが入力され、電力は付設の天然ガスエネルギーセンターからバイオスフィア2に供給された[2]

バイオスフィア2は本来の目的である閉鎖系の実験のためには、2回しか使用されなかった。1回目は1991年から1993年まで、2回目は1994年3月から9月までである。この2回の実験では、食料と酸素の不足、実験に含まれる多くの動植物の死滅(ただし、このプロジェクトでは生物群系の発達に伴う損失を予測して意図的に「"species-packing"(の詰め込み)」戦略を採用していたため予見されてはいた)、居住者間の集団力学の緊張、外部の政治闘争、そして、プロジェクトの管理と方向性をめぐる権力闘争などが発生した。それにもかかわらずこの閉鎖実験では、閉鎖生態系、農業生産、乗組員が従った高栄養と低カロリーの食事による健康改善、複雑な生物学的システムと大気力学自己組織化に関する洞察において世界記録を樹立した。 2回目の閉鎖実験では食料の完全な自給自足を達成し、酸素の注入を必要としなかった。

1994年6月、2回目の実験の途中で運営会社であるSpace Biosphere Venturesが解散し、施設は宙に浮いた状態になった。コロンビア大学は1995年に施設の管理を引き継ぎ、2003年まで実験を行った。その後、住宅や店舗建設のため取り壊されるリスクがあるように見えたが、2007年にアリゾナ大学が研究のために施設を引き継いだ。アリゾナ大学は2011年に施設の完全な所有権を取得した。

企画と施工

ジョン・P・アレン、2009

バイオスフィア2プロジェクトは、実業家、慈善家の富豪エド・バスとシステム生態学者のジョン・P・アレンによって1984年に開始され、バスは1991年まで1億5000万米ドルの資金を提供した[6]。アレンは1969年にニューメキシコ州カウンターカルチャーのコミュニティ、シナジア牧場を設立しており、アレンはそこでバックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」コンセプトを標榜し、核戦争などの災害からの避難所としてのバイオスフィアのアイデアを探求していた。バスとアレンは1970年代にシナジア牧場で出会った[6]。シナジア牧場の他の元メンバー数人もバイオスフィア2プロジェクトに参加した[6]

建設は1987年から1991年にかけて、提唱者兼会長であるジョン・P・アレンを主な役員とする合弁会社であるSpace Biosphere Venturesによって実施された。CEOはマーガレットオーガスティン、財務担当副社長はマリーハーディング、研究担当副社長はアビゲイル・アリング、宇宙および環境アプリケーションのディレクターはマークネルソン、システムエンジニアリングディレクターはウィリアムF.デンプスター、ミッションコントロール担当副社長はノルベルトアルバレスロモ[要出典]

地球そのもの(バイオスフィア1/第一生物圏)に次ぐ第二の完全に自給自足の生物圏となることが意図されていたため、「バイオスフィア2/第二生物圏」と名付けられた。

位置

このガラスとスペースフレームの施設は、アリゾナ州オラクルのサンタカタリナ山脈のふもと、ツーソンから北に約50分の場所にある。その標高は海抜約1,200 m(4,000フィート)である[7]

エンジニアリング

スペースフレームによる温室(右)
気圧差に対応するための「肺」

バイオスフィア2の地上の物理的構造は、鋼管と高性能ガラスおよび鉄骨フレームで構成されていた。フレームとガラスの素材は、バックミンスター・フラーのかつての同僚であるピーター・ジョン・ピアースが経営するPearce Structures, Inc.によって設計され、要求仕様に合わせて作られた[8][9]。窓のシールと構造は、空気交換が非常に少なく、時間の経過に伴う微細な変化を追跡できるように、ほぼ完全に気密になるように設計する必要があった。ピアースとウィリアム・デンプスターによって開発された特許を取得した気密シール方法は年間10%以下のリーク率を達成した。このような厳密な閉鎖がなければ、初回の2年間の密閉実験中に1か月あたり1⁄4%未満の割合で発生した酸素の緩やかな減少は検出されなかったかもしれない[10][11]

日中は太陽の熱で内部の空気が膨張し、夜は冷えて収縮した。体積が固定されていることによって生じる巨大な気圧の力に対処するために、構造には「lung(肺)」または可変体積構造と呼ばれるドームに保持された大きなダイアフラムがあった[12]

窓を開けるという選択肢がなかったので、この構造では、生物群系のセクションごとに異なる望ましいパラメータ内で温度を調節するための洗練されたシステムを必要とした。冷却が最大のエネルギー需要であったが、冬には暖房を供給する必要があり、クローズドループパイプとエアハンドリングユニットがエネルギーシステムの重要な部分であった。敷地内のエネルギーセンターは、天然ガスと予備発電機、アンモニア吸収冷凍機水冷塔を使用して、電気と暖房・冷房水を提供した[13]

初回のミッション

バイオスフィア2内部、サバンナと砂漠(手前)と海(奥)の移行地帯から
農地
逆浸透水タンク

初回の閉鎖ミッションは1991年9月26日から1993年9月26日まで行われた。乗組員は医師兼研究者のロイ・ウォルフォード、ジェーン・ポインター、テイバー・マッカラム、マーク・ネルソン、サリー・シルバーストーン、アビゲイル・アリング、マーク・ヴァン・ティロ、リンダ・リーであった[14]

バナナ、パパイヤ、サツマイモ、ビート、ピーナッツ、ラブラブとササゲ豆、米、小麦の作物を含む総食料の83%を農業システムで供給した[15][16]。特に最初の一年の間、8人の居住者は絶え間ない飢えを訴えた。計算によると、バイオスフィア2の農場は、「インドネシア、中国南部、バングラデシュの最も効率的な農業コミュニティの5倍以上を超えて」世界で最も生産量の高い農場の1つであった[17]

乗組員たちはロイ・ウォルフォードが食事制限による寿命延長として研究していた、低カロリーで栄養価の高い食事を摂った[18]。医学的な指標は2年間の乗組員の健康状態が良好であることを示していた。血中コレステロールの低下、血圧の低下、免疫力の向上など、健康指標に同じような改善がみられた。また、乗組員の体重は閉鎖前と比較して平均16%減少し、2年目には体重が安定、回復した[19]。その後の研究では、乗組員の代謝が、低カロリーで高栄養の食事への適応として、食物から栄養素を抽出する際により効率的になったことが示された[20]。「バイオスフィア2内の乗組員の全体的な健康状態は、バイオスフィア2人間圏システムの当初の設計が毒素の蓄積を回避し、バイオスフィア2内の生物再生技術と生命システムが健康な環境を維持していたことを裏付けている[21]。」

初回のミッションで農業地域に用意された家畜は次のものが含まれる。アフリカのピグミーヤギ4頭とビリーヤギ1頭。35羽の雌鳥と3羽の雄鶏(インドのセキショクヤケイと日本の烏骨鶏、そしてそれらの雑種)。2頭の雌豚と1頭の猪(オサボー島豚)。数千年前の中国に起源を持つ米とアカウキクサの池で育つティラピア[22]

一部の種が生き残れなかった場合でも食物網と生態系機能を維持できるように、「種の詰め込み」戦略が実践された。霧の砂漠地帯は、スペースフレームへの結露により、よりシャパラルな特徴を持つようになった。サバンナは季節により活発になり、そのバイオマスは、二酸化炭素量の管理の一環として乗組員によって伐採・貯蔵された。熱帯雨林の先駆種は急速に成長したが、熱帯雨林とサバンナの樹木は、通常は自然条件の風に反応して作られるストレスウッドの不足によって引き起こされる黄化と衰弱に悩まされた。海のエリアでは珊瑚が繁殖し、乗組員は珊瑚から藻類を手で採取し、炭酸カルシウムとpHレベルを操作して海が酸性に傾くのを防ぎ、もともと過剰な栄養分を取り除くために設置していた藻スクラバーシステムを補完するために改良型のプロテインスキマーを設置して海洋システムの健康維持を支えた[23]。マングローブ地域は急速に発達したが、おそらく光量の減少のため、典型的な湿地よりも下層植物が少なかった[24] 。それでも、マングローブと湿地帯の植物が採取されたフロリダのエバーグレーズ地域の生態系の模倣に成功したと判断された[25]

バイオスフィア2はその体積と緩衝地帯が小さく、有機物と生物の密度が高いため、地球の生物圏よりも大きな変動とより速い生物地球化学的循環を持っていた[26]。植物や動物の繁殖はあったものの、導入された脊椎動物種のほとんどと、実質的にすべての受粉昆虫が死んだ。ゴキブリのような害虫が繁殖した。多くの昆虫が生物群系の元の種の混合物に含まれていたが、意図せずに封じ込められた世界的に侵略性の放浪種であるヒゲナガアメイロアリが他のアリ種を支配するようになった[27]。計画された熱帯雨林の生態遷移と、過酷な日光と海からの塩のエアロゾルから地域を保護するための戦略はうまく機能し、元々の生物多様性が驚くほど豊かに持続した[28]。バイオスフィア2における初期の生態学的発達は島嶼生物学に例えられた[29]

集団力学:心理学、対立と協調

ジェーン・ポインター、2010
キッチン
乗組員の個室

隔離された人間集団の挙動の分析の多くは、南極の研究基地で越冬している科学者の心理学的研究から得られている[30]。この現象は「閉鎖環境の心理学環境心理学を参照)」として研究されている。初回の閉鎖ミッションの乗組員であるジェーン・ポインターによると[31][32]、これは難題として知られており、乗組員はしばしば派閥に分かれたという[33]

初回の閉鎖ミッションが半分も終わらないうちにグループは2つの派閥に分かれ、ポインターによると、親しい友人であった人たちがほとんど口をきかないほどの仲になってしまったという[34]。他方、バイオスフィア2に害を及ぼす行動は自らの健康を危険にさらす可能性があることを念頭に置き、実験の目的を達成するためにチームとして協力し続けたという指摘もある。これは、他の探査では内部の摩擦が無意識のうちに互いを妨げ、ミッション全体を妨げた可能性があることとは対照的である。乗組員は全員、自分たちの住む世界と強い絆を直感的に感じていた[35]。乗組員たちは空気や水の質、大気の挙動、生命システムの健康状態に、非常に本能的かつ深遠な方法で常に注意を向け続けた。この親密な「代謝的なつながり」によって、乗組員は生命システムのわずかな変化さえも識別して対応することができた[36]。「生物圏が互いにつながり合っていること、互いに依存し合っていることの意味が、日常の中にある美しさとして、と同時に立ち向かうべき現実として理解できた」[35]。乗組員のウォルフォードは後にこのように認めている「彼らの何人かは気に入らないが、私たちはずばぬけたチームだった。それが派閥争いの性質だった…しかしそれでも、私たちはひどいミッションを運営し、完全に協力し合っていた」[37]

バブル内の派閥は、科学研究の進め方について、生物圏学として進めるのか、あるいは専門的な生態系研究(還元主義的と認識される)として進めるのかという合弁事業のパートナーとの意見対立と権力闘争から形成された。ポインターを含む派閥は、閉鎖性の度合いよりも研究の充実を優先させるべきだと強く考えていた。もう1つの派閥は、プロジェクト管理とミッションの全体的な目標を支持した。2月14日、科学諮問委員会(SAC)の一部が辞職した[38]

アメリカの大手ニュース雑誌、タイムは次のように記事にした。「今、改ざん疑惑のデータや秘密の食糧庫、密輸物資によってすでに傷ついていた信頼性のベニヤ板がひび割れた・・・2年間の自給自足の実験は、科学というより1億5000万ドルのスタントのように見え始めた」[39]。実際、SACが解散したのは、科学的研究の見直しと改善という任務から逸脱し、経営改革の主張に関与するようになったためである。SACのメンバーの大半は、バイオスフィア2のコンサルタントとして残ることを選択した。

海洋科学者であるジャック・コーリスの研究部長就任、施設のエアロックを介した科学サンプルや機材の輸出入の許可、研究の増加と乗組員の労力軽減、正式な研究プログラムの策定など、SACの報告書にある提言が実行に移された。ウォルフォードとアリングが先頭に立って開発した研究プログラムには64ものプロジェクトが含まれていた[40]

酸素の減少とカロリー制限のある栄養価の高い食事[41]が乗組員の士気を低下させたことは疑いがなかった[42]。アリングの派閥は、ポインターの派閥が、研究プロジェクトの遂行に必要な体力をつけるためなら、食料の輸入もいとわないと考えていることを危惧していた。彼らは、それは定義上、プロジェクトの失敗にあたると考えていた。

1992年11月、飢えた乗組員たちはバイオスフィア2の内部にある栽培前の種子を食べ始めた[43]。ポインターはこのことを企業のPRディレクターであるクリス・ヘルムズに知らせた。Space Biospheres VenturesのCEOであるマーガレット・オーガスティンは彼女を即座に解任し、バイオスフィア2を出るように言った。しかし、この命令は実行されなかった。ポインターの書くところによれば[44]、彼女はその命令を実行すれば閉鎖の適切な完了が不可能になると判断し、単にその場にとどまることを決めたという。

隔離された集団は、集団力学やどのような集団にも見られる個人の感情の揺らぎを、より重く感じる傾向がある。極地観測隊員からの報告の中には心理的な問題を誇張したものもある[45]。初回のミッションの乗組員の一部は自分たちを抑鬱状態であると考えていたが、心理検査では抑鬱は無く、探検家/冒険家のプロファイルに適合し、女性と男性の両方が宇宙飛行士と非常に類似したスコアを付けていた[46]。ある心理学者は、「もし私がアマゾンで道に迷い、そこから脱出し、一緒に生き残るためのガイドを探していたとしたら、バイオスフィアの乗組員が一番の選択肢になるだろう」と指摘した[47]

Challenges

2回目のミッション

スティーブン・バノン、2017
エアロック・ドア

バイオスフィア2の初回のミッションの後、二酸化炭素が吸収されることを防ぐためにコンクリートをシーリングするなど、大規模な研究とシステムの改良が行われた。2回目のミッションは、1994年3月6日に開始され、10ヶ月運用される予定と発表された。乗組員は、ノルベルト・アルバレス・ロモ(キャプテン)、ジョン・ドルイット、マット・フィン、パスカル・マスリン、シャーロット・ゴッドフリー、ロドリゴ・ロモ、ティラック・マハトの6名である。2回目のミッションの乗組員は食糧生産において完全な自給を達成した[48]

1994年4月1日、経営陣の中で激しい争いが起こり、接近禁止命令を出した連邦保安官によって現場管理者が追放された。出資者のエド・バスはカリフォルニア州ビバリーヒルズの投資銀行チーム「Bannon & Co」の当時のマネージャー、スティーブン・バノンをSpace Biospheres Venturesの運営に起用した。プロジェクトは管財人のもとに置かれ、管財人のために外部の経営陣が設置され、低迷するプロジェクトを立て直していくことになった。争いの原因は3つあった。ミッションの管理の不徹底による悪評、財務の不徹底、研究の不足である。プロジェクトは1992年度には2,500万ドルの損失を出し、重大な財務的不始末が指摘された[49]

バイオスフィア2の初回の乗組員2人は人事に抗議するためにアリゾナに戻り、バノンと新経営陣が彼らの安全を脅かすと現在の乗組員に警告するために、施設に侵入した[50]。1994年4月5日午前3時、初回のミッションの乗組員であるアビゲイル・アリングとマーク・ヴァン・ティロは、プロジェクトを外から破壊し[51]、二重エアロックドア1つと一重の非常口3つを開け、約15分間開いたままにしたとされる。また、ガラス5枚が割られた。

アリングは後にアメリカの大手紙、シカゴ・トリビューンに、「バイオスフィアは緊急事態にあると考えた…決して破壊活動ではなかった。それをすることは私の責任だった」[52]と語った。システムアナリストのドネラ・メドウズによると、この間にバイオスフィア内の空気の約10%が外気と入れ替わった。メドウズはアリングから連絡を受け、彼女とヴァン・ティロは、乗組員が新しい状況について何を聞かされていたか分からないので、劇的に状況の変わった人体実験を続けるか、もしくは去るかの選択を中の人に与えることが倫理的義務だと判断した、と言ったという。

「1994年4月1日、午前10時頃...リムジンがバイオスフィア敷地に到着した...バス氏によって雇われた2人の投資銀行家と共に...。彼らは、プロジェクトの直接の管理を引き継ぐための一時的な禁止命令を持って到着した...。一緒にいたのはバスの組織が雇った6〜8人の警察官だった...彼らはすぐにオフィスの鍵を変えた...そして、バイオスフィア2の安全性、運営、研究に関するいかなるデータも入手できないようにされた」

アリングは手紙の中で、突然引き継いだ「銀行家」が 「技術的にも科学的にも何も知らず、バイオスフィアの乗組員についてもほとんど知らなかった」ということを何度も強調している[53]。4日後、キャプテンのノルベルト・アルバレス・ロモ(当時はバイオスフィア2の最高責任者マーガレット・オーガスティンと結婚していた)が、妻の停職処分を受けて「家族の緊急事態」を理由に突然にバイオスフィアを去った。彼の後任には、初回のミッションのキャプテンに指名されていたものの、直前で交代したベルント・ザベルが選ばれた。その2ヵ月後、マット・フィンに代わってマット・スミスが就任した[要出典]

所有・管理会社であるSpace Biospheres Venturesは1994年6月1日に解散した。これにより、ミッションの科学的・経営的管理は、資金パートナーであるDecisions Investment Co.が契約していた暫定的なターンアラウンド・チームに委ねられることになった[54]。2回目のミッションは1994年9月6日に早々と終了した。バイオスフィア2はコロンビア大学によって、閉鎖生態系から二酸化炭素濃度を任意のレベルで操作できる「フロースルー」システムに変更されたため、それ以上の総合システム科学は生まれていない[54]

スティーブン・バノンは2年後にバイオスフィア2を去ったが、彼の辞任は、侵入した元乗組員によってSpace Biosphere Venturesに対して起こされた「訴権の乱用」の民事訴訟によって際立つものとなった[55]。バイオスフィア2の設立当初からの主要な管理者グループは、バノンらによる虐待的な行動と、銀行家たちの実際の目的は実験を破壊することであったと両方述べた[56]。1996年の裁判で、バノンは原告の一人であるアビゲイル・アリングを「自己中心的で妄想的な若い女性」「尻軽女」と呼んだと証言している。また、この女性が現場の安全上の問題をまとめた5ページの陳情書を提出した時、「彼女の喉元に陳情書を押し付ける」と約束したと証言している。バノンは、これを "傷心と幻滅"によるものとした[57]。裁判の結果、裁判所は原告側を支持し、Space Biosphere Venturesに60万ドルの支払いを命じたが、同時に原告側にも損害賠償として40,089ドルを支払うよう命じた[50]

科学

海セクション 

マリノとハワードT. オダムが編集したEcological Engineering誌の特集号「バイオスフィア2:研究の過去と現在」は、バイオスフィア2から収集した論文や知見を最も包括的にまとめたものとして1999年に出版されたものである[58]。この特集号に掲載された論文は、システムの代謝、水文学的バランス、熱と湿度を記述する校正モデルから、二酸化炭素の豊富な環境における熱帯雨林、マングローブ、海洋、農耕システムの発達を記述するものまで、多岐にわたっている[59][60]。いくつかの学位論文や多くの科学論文がバイオスフィア2での初期の閉鎖実験からのデータを使用しているが、オリジナルのデータの多くは分析されたことがなく、おそらく学派の争いや内紛のために利用できないか失われている[21][40]

科学史家のレベッカ・レディエの主張によると、バイオスフィア2の製作者は科学のアカデミアからはアウトサイダーと認識されていたためプロジェクトは精査されたもののメディアでの理解が不十分であり、そして「正当な」科学者と見なされるコロンビア大学が管理を引き継いだ後、精査は中止されてしまったという[37]

称賛と批判

バイオスフィア2の評価には、「ケネディ大統領が人類を月に打ち上げて以来、米国で実施された最もエキサイティングな科学プロジェクト」というものがあった[61]。他方、「科学と称したニューエイジの戯言」とも言われた[62]

ジョン・アレンとロイ・ウォルフォードには、それなりの実績があった。ジョン・アレンは、コロラド鉱山学校で冶金・鉱山工学の学位を、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得している[22][63]。ロイ・ウォルフォードはシカゴ大学で医学博士号を取得後、病理学の教授として35年間UCLAで教鞭をとった。マーク・ネルソンは1998年にH.T.オダム教授のもとで生態工学の博士号を取得し[64]、バイオスフィア2における下水の処理と再利用に用いられる人工湿地の開発や、珊瑚を採取したユカタン沿岸の珊瑚礁の保護に取り組んでいる[65]。リンダ・リーは、オダムと共同で生物多様性とバイオスフィア2の熱帯雨林に関する論文で博士号を取得した[66]。アビゲイル・アリング、マーク・ヴァン・ティロ、サリー・シルバーストーンは、バイオスフィア財団の設立に協力し、珊瑚礁と海洋の保全、持続可能な農業システムに取り組んだ[67]。ジェーン・ポインターとテーバー・マッカラムは、パラゴン・スペース・デベロップメントを共同で設立し、世界で初めて宇宙空間におけるミニ閉鎖系と動物の全生涯を研究するとともに、自由降下の高度の世界記録樹立に協力した[68]

ジャーナリストのマーク・クーパーは、バイオスフィア2の準備段階において世界中のトップレベルの科学者やとりわけロシア科学アカデミーが貢献しているにもかかわらず参加者の資質に疑問を呈し、「バイオスフィアプロジェクトを構築、構想、指揮しているグループは、科学の最先端にいるハイテク研究者のグループではなく、権威主義的で明らかに非科学的な個人崇拝から発展したありきたりな演劇パフォーマーの一群である」と書いている[69]。彼はニューメキシコ州のシナジア牧場に言及していたが[70]、そこは実際にバイオスフィア乗組員の多くがジョン・アレンの指導のもとで演劇を練習し、バイオスフィア2の背後にあるアイデアを発展させ始めた場所であった。彼らはまたエコテクニクス研究所を設立し、成立困難な生物群系を題材に革新的なフィールドプロジェクトを開始して、人間の技術と環境の合理的な統合を進めるため、バイオスフィア乗組員の候補者の多くがリアルタイムの複雑なプロジェクトを運用する経験を積んだ[71][72]

彼ら自身の科学コンサルタントの1人は当初は批判的であった。バイオスフィア内の熱帯雨林の生物群系を設計したのは、イギリスにあるキュー王立植物園の園長であるギリアン・プランス博士である。後に彼は意見を変え、この実験のユニークな視点を認め、コンサルタントとして成功したが、1983年のインタビュー(実験開始の8年前)ではプランスは次のように述べていた。

「私がエコテクニクス研究所に惹きつけられたのは、研究費が削減される中で、研究所が自由に使えるお金をたくさん持っているように思えたからだ。しかし他の人たちと同様に、私はよく使われなかった。彼らの科学に対する興味は本物ではない。何か秘密めいた意図があり、ある種の宗教的、哲学的なシステムによって導かれているようだ」

その後、プランスは1991年の新聞のインタビューで次のように述べている。

「彼らはビジョナリーだ...そしておそらく彼らが持っているビジョンを実現するためにカルトらしさを帯びたのだろう。しかし、彼ら自体はカルトではないようだ...私は生態系の回復システムに興味がある。そして、この実験から宇宙の目標をはるかに超えたあらゆる種類の科学的なことが生まれると思う...彼らがこの新しいプロジェクトのために私のところを訪れたとき、彼らはとてもよく組織されていて、とても触発された。私は単純に、彼らの過去を忘れることに決めた。過去を引きずるべきではない。[73]

ポインターは回顧録の中で、バイオスフィア2の企画チームの一部は信頼ある科学者ではないために試みの結果は価値がないという批判に反論している。

「一部の記者は私たちが非科学的であると非難した。世界最高の科学者が精力的にプロジェクトの設計と運営に携わっていたにもかかわらず、SBVの管理者の多くが科学者の称号を持っていなかったため、プロジェクト全体の妥当性に疑問が持たれたようだ。しかし、その批判はフェアではない。私はバイオスフィア2を去ってから10年間、シャトルと宇宙ステーションに実験を送り出し、代替シャトルと将来の月面基地のための生命維持システムを設計する小さなビジネスを経営してきた。私はジョン・アレンの持つようなハーバード大学のMBAはおろか、学位さえも持っていない。私は科学者や一流のエンジニアを雇っている。私たちの会社の信用は、私の称号のために問題にされることはない。私たちは仕事の品質で判断されている」。

H.T.オダムは、科学の発展には、しばしば奇人やアウトサイダーが貢献してきたと指摘する。

「バイオスフィア2の運営に携わった人たちは、10年間準備のための勉強をし、閉鎖系に携わるロシア人を含む国際的な科学者コミュニティと交流していたにもかかわらず、科学的な学位を持たなかったため、多くの科学者から訓練を受けていないとみなされた。科学の歴史には、非典型的な経歴を持つ人々が科学を新しい方向に開いた例が数多くあり、今回の場合にはメソコスム組織と生態工学を新鮮な仮説とともに実装している[74]

スミソニアン協会のトム・ラブジョイを委員長とするバイオスフィア2科学諮問委員会は、1992年8月の報告書の中でこう報告している。

「委員会はバイオスフィア2の構想と建設が先見性と勇気のある行動であったという点で一致している。バイオスフィア2の規模は例のないものであり、バイオスフィア2はすでに他の手段では得られない予見されなかった科学的知見をもたらしている(特に大気中の酸素濃度の予想外の低下の記録)。バイオスフィア2は生物地球化学的循環、閉鎖生態系の生態学、復元生態学の分野で重要な科学的貢献をすることになるだろう」

コロンビア大学は、施設の運営を引き継いだ後、外部の科学者を集めてこの施設の可能性を評価し、次のような結論を出した。

「世界的な科学者たちが集まり、バイオスフィア2の施設が地球と環境の未来に関わる重要な問題に取り組むための特別な研究所であると判断した[75]

コロンビア大学

1995年12月、バイオスフィア2の所有者は管理をニューヨーク市のコロンビア大学に託した[76] 。コロンビア大学はバイオスフィア2を2003年まで研究拠点およびキャンパスとして運用した。[77]。その後、管理は所有者に戻された。1996年、コロンビア大学は、閉鎖系研究用に設計された実質的に気密で物質的に閉鎖された構造を「フロースルー」システムに変更し、閉鎖系の研究を停止した[78]。コロンビア大学は地球温暖化の研究のために二酸化炭素の濃度を操作し、必要に応じて必要な量の二酸化炭素の注入や排出をした。コロンビア大学による運営中、コロンビア大学や他の大学の学生はしばしば1学期を現場で過ごした[79]

コロンビア大学運営中の研究により、地球規模の持続的な気候変動による大気中の二酸化炭素濃度の上昇や海洋酸性化が、珊瑚礁に壊滅的な影響を与えることが実証された[80]米国科学アカデミー前会長のフランク・プレスは、バイオスフィア2の高度に制御可能な海洋メソコスムを利用した、大気と海洋の間のこれらの相互作用の証明を、「人間が地球に与える影響の初めての明白な実験的な確認」と説明した[81]。バイオスフィア2の陸上生物群系の研究では、二酸化炭素濃度の上昇が飽和点に達し、それを超えるとそれ以上吸収できないことが示された。この研究の著者らは、バイオスフィア2の熱帯雨林と砂漠の生物群系のシステム全体の反応に著しい違いがあることから、「複雑な地球変動問題の研究における大規模な実験研究の重要性を示している」と指摘した[82]

敷地の売却

バイオスフィア2 遠景

2005年1月、バイオスフィア2の所有者であるDecisions Investments Corporationは、プロジェクトの全体の敷地のうちの650ヘクタール(1,600エーカー)を売りに出していると発表した[83]。彼らはバイオスフィア2の複合施設が研究用に利用されることを望んでいたが、大規模大学、教会、リゾート、スパなど、異なる意図を持つ購入者を除外してはいなかった。2007年6月、敷地はCDO Ranching & Development, L.P.に5000万ドルで売却され、1,500戸の住宅とリゾートホテルが計画されたが、バイオスフィア2の主要な施設は依然として研究・教育用途に利用可能であった[84]

アリゾナ大学による買収

2007年6月26日、アリゾナ大学はバイオスフィア2での研究を引き継ぐと発表した。この発表により、施設が取り壊されるのではないかという懸念は払拭された。大学関係者によると、民間の寄付と助成金により、研究費と運営費を3年間賄うことができ、10年間の資金延長の可能性があるとした[85]。資金は10年間延長され、現在は、陸域の水循環とそれが生態学、大気科学、土壌地球化学、気候変動とどのように関連しているかについての研究プロジェクトに取り組んでいる。2011年6月、大学は7月1日からバイオスフィア2の完全な所有権を引き継ぐと発表した[86]

CDO Ranching & Developmentは、土地、バイオスフィア2の建物、その他いくつかのサポート用および管理用の建物を寄付した。2011年、フィラコロジー財団 (エド・バスによって設立された非営利の研究財団) は、進行中の科学研究と運用のために2,000万ドルを約束した[86]。2017年、エド・バスはバイオスフィア2を支援するためにアリゾナ大学にさらに3,000万ドルを寄付し、2つのアカデミックポジションを寄付し、「フィラコロジー生物圏研究寄付基金」を設立した[87]。敷地内ではサイエンスキャンプも開催されている。これには、大学の学部生向けの1週間の「スペースキャンプ」と、学生向けの宿泊キャンプが含まれる[88][89]

現在の研究

バイオスフィア2では多数の小規模な研究プロジェクトと、下記のような大規模な研究プロジェクトが行われている。

  • Lunar Greenhouse(月面温室)。月や火星で野菜を栽培する方法を理解するために、植物の蒸散によって水をリサイクルし浄化する生物再生生命維持システムを開発する、環境制御型農業センターの2番目のプロトタイプ。
  • 民間企業のCivic Farmsと共同でバイオスフィア2の西肺に垂直農法プロジェクトの構築が予定されている。水効率を高め、害虫や農薬を使わずに農業公害をゼロにし、外部の気象条件から影響を受けないという目標を目指して、特定の波長に設定したLEDランプによる室内植物成長サイクルを開発しようとするもの。

大衆文化におけるバイオスフィア2

  • Bio-Dome バイオスフィア2をモチーフにした1996年のコメディ映画。
  • Spaceship Earth バイオスフィア2を題材にした2020年のドキュメンタリー映画。
  • チアーズ (テレビドラマ) 「(season 11)The Girl in The Plastic Bubble」では、登場人物Lilith Craneが地下の「エコ・ポッド」に住むために旅立ち、明らかにバイオスフィア2プロジェクトのパロディであることがわかる。[90]

見学

見学ツアー

日本での類似実験

日本においては、財団法人環境科学技術研究所青森県六ヶ所村で閉鎖空間長期間滞在実験を試みている。

参照

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参考文献

外部リンク

関連項目

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