「プロジェクト‐ノート:神道」の版間の差分

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::::: 根拠不足という主旨ではありません。貴方様は、ミコト→スクネだと断言したのです。しかしスクネは主に古代豪族に用いられた称号であって、ミコトとは性質が全く異なるものです。ましてやその証明として稲荷山古墳出土鉄剣と日本書紀を合成して論述されましたが、「大彦命」とは8世紀当時の知識による表記であって、稲荷山古墳出土鉄剣当時に当該人物が「オオヒコノミコト」と称された事実は今もってありません。[[ノート:健磐龍命]]でも申しましたが、「解釈を加える」すなわち「点と点を結んで線にする」とは立派な研究に相当しますが、二次文献が示されない限りはただの独自研究です。こうした称号は古代史学の論考上で重要な要素であって興味本位で深入りしましたが、議論の本筋から離れたためこの場のコメントで収めますが、私の興味が湧いてしまいますので独自研究をして無知の暴論をひけらかさないよう切にお願いいたします。--[[利用者:Saigen Jiro|Saigen Jiro]]([[利用者‐会話:Saigen Jiro|会話]]) 2018年7月18日 (水) 12:03 (UTC)
::::: 根拠不足という主旨ではありません。貴方様は、ミコト→スクネだと断言したのです。しかしスクネは主に古代豪族に用いられた称号であって、ミコトとは性質が全く異なるものです。ましてやその証明として稲荷山古墳出土鉄剣と日本書紀を合成して論述されましたが、「大彦命」とは8世紀当時の知識による表記であって、稲荷山古墳出土鉄剣当時に当該人物が「オオヒコノミコト」と称された事実は今もってありません。[[ノート:健磐龍命]]でも申しましたが、「解釈を加える」すなわち「点と点を結んで線にする」とは立派な研究に相当しますが、二次文献が示されない限りはただの独自研究です。こうした称号は古代史学の論考上で重要な要素であって興味本位で深入りしましたが、議論の本筋から離れたためこの場のコメントで収めますが、私の興味が湧いてしまいますので独自研究をして無知の暴論をひけらかさないよう切にお願いいたします。--[[利用者:Saigen Jiro|Saigen Jiro]]([[利用者‐会話:Saigen Jiro|会話]]) 2018年7月18日 (水) 12:03 (UTC)
::::: (追記) ついでに申し上げると、「武内宿禰で、このような人名は敬称を付さなければ記事名として成り立ちません」ということでしたが、既に私も同様の主旨で「日本武尊」が「日本武」と表記されては分からないと申し上げたのですが、「武内」はダメで「日本武」は良い理由が全く分かりません。結局は全て貴方様のさじ加減なのですか? 今は「ヤマトタケル」の記事名だから例外とか仰るならば、[[大彦命]]でも良いです。「大彦」の記事名では正直言って「誰?」です。ダブルスタンダードに基づく主張だと強く非難いたします。--[[利用者:Saigen Jiro|Saigen Jiro]]([[利用者‐会話:Saigen Jiro|会話]]) 2018年7月18日 (水) 12:32 (UTC)


{{コメント}}あらためてウィキペディアの考え方をご案内します。
{{コメント}}あらためてウィキペディアの考え方をご案内します。
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::: あと、越前守は守護ではなく国司です。
::: あと、越前守は守護ではなく国司です。
::: ミコトが敬意の念を呼び起こすものかどうかは、私や貴方が判断するものではありません。判断できない限り、通常の敬称と同じように扱うべきです。--[[利用者:Aitok I|Aitok I]]([[利用者‐会話:Aitok I|会話]]) 2018年7月18日 (水) 09:24 (UTC)
::: ミコトが敬意の念を呼び起こすものかどうかは、私や貴方が判断するものではありません。判断できない限り、通常の敬称と同じように扱うべきです。--[[利用者:Aitok I|Aitok I]]([[利用者‐会話:Aitok I|会話]]) 2018年7月18日 (水) 09:24 (UTC)

:::: {{コメント}} Wikipediaでしか使用されない人名表記の可能性が高いということで、Wikipediaの三大方針の1つである[[Wikipedia:独自研究は載せない|独自研究は載せない]]を侵犯する案件であることは明らかになったので私としてはもう賛成に到る余地が無くなったのですが、少しだけコメントします。どうも議論が噛み合わないのですが、私(や柒月例祭さん)の言う「慣習」とは現代人物科学的慣習であって、人物当時(古代以前)の慣習ではありませんからね? 文字の無い時代(ましてや実在性の無い時代)の慣習などを論じてもナンセンスですし。現代日本語上で人物表記をどう決定して解説するかは我々ではなく人文科学の役割であり、Wikipediaが学術的百科事典を目指す以上、人文科学の動向を俯瞰する各三次文献の慣習に即して記述されるのが筋です。まあ理解して頂けないのでしょうが。--[[利用者:Saigen Jiro|Saigen Jiro]]([[利用者‐会話:Saigen Jiro|会話]]) 2018年7月18日 (水) 12:32 (UTC)

2018年7月18日 (水) 12:32時点における版

  • 過去ログ1 2008年1月20日 (日) 08:10 (UTC) までの議論 - 神社の記事名について、全般、神道の神の記事、神社の記事、カテゴリ、祭神の別名等の記載について、プロジェクトの適用についての議論、神業と神事、「◯◯を祀る神社」について、神道霊学、都道府県の神社一覧について、皇學館大学について
  • 過去ログ2 2011年7月22日 (金) 18:03 (UTC) までの議論 - 花祭りの記事について、曖昧さ回避について、記事「救世主」についての提案告知、神社の一覧記事・一覧形式の例示部分について、信仰等によるカテゴリーについて、過去ログ化の提案、府県社・郷社・村社の都道府県別サブカテゴリ化の提案、Category:日本の神、「Wikipedia:良質な記事」運用開始のお知らせ、括弧付きの神社の項目、ノート:神、ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」新設のお知らせ、神名の表記について、日本の神の一覧 の分類について、曖昧さ回避の町名について、神社の項目名について、神社の項目の構造(冒頭部)について
  • 過去ログ3 2013年4月22日 (月) 14:30 (UTC) までの議論 - 申し訳ありませんが質問があります、掲載可能な神社記事の要件、議論参加のお願い、神社の項目についての注意喚起、市区町村以下のカテゴリについて、ナビゲーションサイドバーについて、北海道の神社についての質問です、過去ログ化の提案2

お知らせ:ノート:宗教法人一覧にて被包括宗教法人も一覧に加えるべきとの提案がなされています。

ノート:宗教法人一覧#ローカルルール変更の提案にて、被包括宗教法人も一覧に加えるべき、との提案がなされています(膨大な数の被包括宗教法人の記事が有る事を鑑みて、私は断固反対しています)。御意見をお願いします。--Kinno Angel会話2013年10月18日 (金) 04:01 (UTC)[返信]

「××の神社一覧」の記事群についての質問と提案

質問と提案があります。
質問は、「日本の神社一覧」には「神社本庁が包括する本務社と兼務社を」という表現があるのに対し、各都道府県の記事では「××神社庁が包括する」という表現のある記事とない記事があることです。親記事である「日本の神社一覧」の表現にあわせるのが当然のように思います。このことについての合意はどのようになっているのでしょうか。
提案は、いくつかの都道府県の記事で用いられている「××神社庁が包括する」という表現についてです。宗教年鑑によると、「××神社庁」は包括宗教法人とされていません。出張所と同様の機関なのか、あるいは、他の宗教法人・宗教団体を包括する宗教団体という位置づけだと思われます。どちらにしても、いささか曖昧な表現なので、この表現を避け「日本の神社一覧」と同じ「神社本庁が包括する」と変更することを提案します。(一括ではなく、それぞれの記事のノートで提案するほうがよいと思われる方はその旨をお書きください。)デイナイスホテル東京会話2013年10月19日 (土) 08:59 (UTC)[返信]

宗教法人としての包括・被包括の関係はそうなのですが、東京都神社庁のサイトには「東京都神社庁は、東京都内にある1,398の神社を包括する組織です」と書かれていますし、北海道神社庁のサイトには「全道の神社神道系宗教法人の約8割を包括しています」とあり、京都府神社庁のサイトでも「京都府神社庁は、21の支部を擁し、府内約1,570の神社を包括している組織です」とあって、こういう表現が使われることがあるのもまた事実です。統一するなら議論による合意が必要と考えますが、この一覧に掲載する神社をどうするかは、本ノートの掲載可能な神社記事の要件の議論と関わっていまして、それも中断中なので、そちらと切り離して決めてしまうのはどうかなという気もします。それと、どうもノート:宗教法人一覧#ローカルルール変更の提案の議論にも関連しているような気がしますので、まずそちらを片付けてからにされてはいかがでしょうか。--立花左近会話2013年10月19日 (土) 12:49 (UTC)[返信]

(補足)神社庁包括の神社は存在しません-西野神社 社務日誌によると、「法律上、各神社は(法人だとして)神社本庁の被包括宗教法人であり、「神社庁」も(法人であるとして)神社本庁の被包括宗教法人である。ただ、実務上神社本庁と各神社が直接連絡をすることはなく、神社庁を通じて連絡を行うので神社庁が各神社を包括するという表現が用いられることがある。」ということのようです。権威のあるサイトではありませんが、筋の通る内容なので信用してよいと思います。なお、今回の質問・提案は私がノート:宗教法人一覧#ローカルルール変更の提案に関連して「××の神社一覧」を見ていて気づいた疑問・提案ですが、この件はこの件で「宗教法人一覧」とは別に整理しておいた方がよいと思います。デイナイスホテル東京会話2013年10月19日 (土) 16:01 (UTC)[返信]

まあ、デイナイスホテル東京さんのおっしゃるように記述を変えても、それによって採録する神社が変わるわけではないと思いますので、他の方が賛同されるようであれば、反対するものではございません。ただ、申し上げましたように、神社の個別記事の掲載条件と一覧への掲載条件とが議論途中で中断したままになっていますので、根本的に変更される可能性も残っています。--立花左近会話2013年10月20日 (日) 12:41 (UTC)[返信]

深見氏の著書について

こんにちわJapaneseAと申します。プロジェクトの皆様に質問させて下さい。白山比め神社鹿島神宮など多数の記事(この中の神社仏閣記事)に参考文献として、「深見東州 『全国の開運神社案内 並装版』 たちばな出版」(たちばな出版は深見氏が代表の会社です)が使用されています。この文献は参考文献として使用する歴史書として適切なものでしょうか?深見氏は実業家以外に様々な分野で活動されている方のようですが、この分野においての功績は私にはわかりかねます。私はこの分野はド素人なので、プロジェクトの皆様が「問題ない」と太鼓判を押して頂けるのであれば、それで納得致します。なぜこのような事を申すかといえば、深見氏を宣伝擁護する目的外利用者5名がブロックされましたが((その1)(その2))、他にもSPAMのような編集が残っていないか懸念し、調査しております。--JapaneseA会話2013年11月18日 (月) 05:16 (UTC)[返信]

  • コメント どうもです。個人的に当該書籍を出典とした情報に関しては、他の信頼性のある出典と同様の記述となっているものもある一方で、独自研究的な「解釈」も見受けられるため、なかなか扱いが難しいように思います。ただ、専門の神道家や学者の著作ではありませんので、出来れば順次高次出典と置き換えていくべきかと思います。具体的には、由緒や祭神等の事実確認が容易な情報に関しては都道府県神社庁や公式サイト等の情報に置き換え、祭神に係る説(俗説等)などは公式サイト等にないものは順次除去していくことで対応すべきかなと。--ろう(Law soma) 2013年11月18日 (月) 07:31 (UTC)[返信]
  • コメントこんにちは。Siwamuraです。あくまで個人的な感覚ですが、神道系ですと、神社本庁がまずあり、関係研究機関として国学院大学皇學館大学があります。で、出版物は、神社本庁系の出版社である神社新報社の出版物、国学院・皇學館大学の出版物、また松下財団が編纂した神道大系というシリーズがありまして、これら関係の出版物や大手出版社、歴史書をよく扱っている出版社の出版物や市町村史・地誌等であれば出典として問題ないと思います。
で、深見東州氏ですが、神道系の書籍を多数出されておりますが、私が知る限り神社本庁や神道系大学の関係者の方ではありません(大本系らしいので教派神道系と言えないこともない?)。なので太鼓判を押す事はできません。ただ、出典として全く使えないかというと、そうでもなく、内容次第では出典として使用することも不可能ではない、という印象を持ちます。--Siwamura会話2013年11月18日 (月) 08:57 (UTC)[返信]
    • コメント 早速のコメントありがとうございます。amazonでの商品説明公式サイトでの紹介文を見るに、あまり望ましいものには思えませんが、記述をどうするかは皆様に御任せしたく思います。協力は勿論惜しみませんが、この分野に関する知識がない事、上記で報告した5名とのやりとりのせいで深見氏に関する事物に対しネガティブなイメージを拭い去る事ができておらず中立的な観点が危うい事(勿論、深見氏御自身に問題があるわけではありません)より記事本体への着手は避けたく思います。なお、各記事の深見氏の文献による記述は、利用者:Yorunooni会話 / 投稿記録 / 記録様によって追加されたようですね。--JapaneseA会話2013年11月18日 (月) 13:30 (UTC)[返信]
結局は各個別的に検証していくのだろうと思いますが、例えば箱根神社の場合、「箱根神社は、明治に神仏分離が行われるまで「関東総鎮守・箱根権現」といわれていたが、神仏分離以後に社格が旧国幣小社と低いものになってからも、かつて総鎮守であった箱根神社の存在感は非常に大きく、吉田茂を始めとする政財界の大立物が陸続と参拝したことで知られる」という記述に出典として用いられています。まるっきり嘘ということはないという前提ですが、見かけ上、この文章で怪しいとしたら“~ことで知られる”というところぐらいで、<政財界の大物がいっぱい来た>こと自体が事実であれば、<そのことで知られる>というのが怪しいとしても、(専門家や霊能力者ではない)素人でも容易に検証できる程度の事実しか書いていないように見えます。(むしろあまり一般的ではない表現「大立物が陸続と」あたりに著作権との心配を感じるぐらい。)--零細系統保護協会会話2013年11月18日 (月) 15:11 (UTC)[返信]
  • コメント Saigen Jiroと申します。対処ご苦労さまです。その書籍を載せられた方と対話をしたことがあるので、私からもコメントさせて頂きます。参考程度にして頂ければ幸いです。
  • 人物について
まず、ご指摘と類似の編集をなされた方は利用者:Yorunooni会話 / 投稿記録 / 記録さん、利用者:Eagle22会話 / 投稿記録 / 記録さん、利用者:T-prince会話 / 投稿記録 / 記録さん、利用者:弥栄会話 / 投稿記録 / 記録さん、利用者:Sharpener会話 / 投稿記録 / 記録さん、利用者:Itachi14会話 / 投稿記録 / 記録さんがおり、編集内容からいずれも同一人物と考えています。ただし、Sharpenerさんのノートでお聞きしましたが、応答がないまま各アカウントの編集が激減した状態ですので、憶測での発言です。上記のアカウントが同一人物であるとすれば、Yorunooniさんの鹿島神宮での編集の「各団体のイベント」節に見えるように、ワールドメイトの宣伝行為を行なっていた事実はあります。しかしながら、その後の他編集者からの指摘を経て編集姿勢が変化したこともまた事実です。以後は主に旧官国幣社の編集をなさっていましたが、深見氏の書籍を引用しつつも宣伝姿勢は薄いものでした。もちろん多重アカウントは論外なのですが、上記ブロック対象者とは性格が異なる編集者であると私は考えています。
  • 書籍について
私はその書籍を読んだことがないのでこれも憶測になりますが、一般向けの神社案内書でありおよそ歴史書とは言えないものと思っております。しかしながら、通説・俗説をWikipediaに載せることはダメでないと思いますし、上記編集者の編集内容を見る限りではよく見られる内容が多く、一概に除外する必要性は薄いと感じます。参考文献欄への掲載は不要と思いますが、引用に関してはろうさん・零細系統保護協会さんに同じで逐次検証のうえ対処をするのがベターではと思います。--Saigen Jiro会話) 2013年11月18日 (月) 15:42 (UTC)(追記)--Saigen Jiro会話) 2013年11月18日 (月) 15:56 (UTC)--Saigen Jiro会話2013年11月18日 (月) 17:04 (UTC)[返信]

報告 利用者:Yorunooni会話 / 投稿記録 / 記録氏他のアカウントに対し、Wikipedia:コメント依頼/特定団体を擁護するアカウント群を提出しました。--JapaneseA会話2013年11月21日 (木) 10:16 (UTC)[返信]

ご対処に改めて感謝申し上げます。--Saigen Jiro会話2013年11月21日 (木) 12:11 (UTC)[返信]
  • コメント ここで挙げられている著作を含めて氏の思想(神社観?)を扱った論文がありますのでご紹介しておきます→「深見東州の巡礼論」。この分野については詳しくありませんが「深見の理論には奇抜なものが少なからず含まれている」ということも指摘されていますので、単純な事実は別として、一般的な理解として氏の著作に基づいて記述することは適当ではないかも知れません。--Gd1031会話2014年1月10日 (金) 07:52 (UTC)[返信]
  • コメント 神話や神社や寺など宗教にまつわる話は、荒唐無稽であったり奇抜だったりするのは普通のことですから、それを理由に不適当であるとも言えないかもしれません。やはり、逐次検証のうえ対処するということになるのだろうと考えます。--Husa会話2014年1月10日 (金) 19:17 (UTC)[返信]
上記で私が挙げた文献は、深見の著作には一般的な神道の常識からして奇抜な理論が含まれている、と述べている文献です。深見の著作についての二次文献として、深見の著作が百科事典における神道関係記事の出典として適当か否かの判断の一助にはなるかと思いご紹介したまでです。一般的に「宗教にまつわる話は荒唐無稽だったりする」という話ではありません。どうぞ誤解のなきよう。--Gd1031会話2014年1月11日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
Gd1031氏が挙げられた深見東州の巡礼論を正確に引用しますと「深見の語るやや抽象的な理論には奇抜なものが少なからず含まれている。しかし、彼が勧める具体的な行動やその行動の背景となる理論の部分は、そのほとんどがきわめて常識的な内容である。」「深見は、神社参拝によって開運できるとしているが、それによってすべての願いがかなうと述べているわけではない。まずは本人の努力が必要だという、極めて常識的な態度をとっている。」とあります。つまり、宗教に必ずつきものの抽象的な理論には少なからず奇抜なものが含まれているとはいえ、具体論やその背景理論はきわめて常識的な内容であり、神社で願いが叶う開運論も極めて常識的な態度であるとされています。Gd1031氏が主張されるように、「一般的な神道の常識からして奇抜な理論が含まれている」という内容は、この文献には述べられておりません。ですから、やはり、逐次検証のうえ対処するという方向性が適当だと考えます。Gd1031氏は、かつてノート:ワールドメイト/過去ログ1等で論争されていた際にも、自分の推測や記憶に頼る執筆態度や独自な文献解釈や完全な誤情報の執筆を指摘されています[1][2][3]。どうぞ、文献解釈の際は、正確に読み取られますよう細心の注意をお願いします。--Husa会話2014年1月12日 (日) 09:04 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。では正確を期するならば、
  • 深見の理論のある部分には奇抜なものが含まれている、しかし、
  • 特定の部分に関してはきわめて常識的な内容である
ということですね。留意しておきます。
ところで私が同文献を挙げたのは、深見の文献が神道に関する記事の出典として適切かどうかについての参考情報を提供するためです。「逐次検証のうえ対処する」のも結構ですが、そのためにはさらに他の文献を参照して検討することになりましょう。ならば上記文献が少なくとも一部に関して「奇抜」と判断している深見の文献を重視するよりも、最初からより信頼性のおける文献を参照するということも選択肢ではなかろうかと思います。
それから蛇足ですが、過去の議論における私の発言を一方的に誹謗してこの議論に加える態度はあまり褒められたものではないと存じます。当時の議論の相手方であった方々は軒並投稿ブロックされてしまいましたし、ここでHusa様に反論するのはおそらく場違いでしょう。いずれにせよ、議題のそれぞれについて「逐次検証のうえ対処するという方向性」でお願いできればと思料いたします。--Gd1031会話2014年1月12日 (日) 14:08 (UTC)[返信]
正確を期するならば、一人の学者が
  • やや抽象的な理論には奇抜なものが少なからず含まれている。
  • 彼が勧める具体的な行動やその行動の背景となる理論の部分は、そのほとんどがきわめて常識的な内容である。
と指摘しているということになると存じます。「一般的な神道の常識からして奇抜な理論が含まれている」という記載はありません。ほとんどがきわめて常識的な内容である旨の強調した記載が二カ所ありますから、その学者が深見氏の書籍を「奇抜」と判断したということにはなりません。通説・俗説の類が奇抜であるのは、ふつうのことですから、特筆性がみなされる主題であるならば深見氏の出典をもとにして書くことも問題ない場合もあるでしょう。既に、神道にお詳しい利用者様からなるコミュニティで結論が出ています通り、深見氏の書籍を出典にする際は、逐次検証のうえ対処するというのが適当だと考えます。--Husa会話2014年1月12日 (日) 14:32 (UTC)[返信]
深見の文献に「奇抜な理論が含まれている」ということを指摘する文献のご紹介としては目的を果たしたと思いますので満足しております。あわせて、深見の文献については、その神社観が単独論文の主題となり得ているということの意味も勘案して逐次検証していただければと存じます。再三のご指摘ありがとうございました。--Gd1031会話2014年1月12日 (日) 14:46 (UTC)[返信]
ある学者から「やや抽象的な理論には奇抜なものが少なからず含まれている」という指摘がありますが、「ほとんどがきわめて常識的な内容」であると結論づけられており、深見氏の記述のほとんどは出典としても問題ないと考えます。通説・俗説の類に関しては、奇抜であるからダメということではなく、逐次検証するというのが適当だと考えます。Gd1031氏の過去の履歴を拝見しましたが、ワールドメイトで数々の問題を起こし、名誉棄損の記載をした版が削除になっていますね[4]。Gd1031氏の文献読解能力には(Tiyoringo氏など比較にならないほどに)大きな問題があるようですし、対話拒否をしたままWikipediaを去られておられますから、Gd1031氏はワールドメイトや深見東州氏関連の審議に立ち入られるべきではないと存じます。--Husa会話2014年1月12日 (日) 18:06 (UTC)[返信]
よく分からないのですが、私の過去の履歴が深見の文献の妥当性とどう関係があるのでしょうか。またWikipedia での行動について指南される覚えはありません。Husa様におかれましては、それほど私の編集に問題があるとお思いであれば、個人攻撃的な印象操作ではなくて私についてのコメント依頼やブロック依頼などの御提出を考慮されてはいかがでしょうか。--Gd1031会話2014年1月12日 (日) 18:51 (UTC)[返信]

(インデント戻します)ある特定人物の著書が、ある分野の出典としてふさわしいか否かは、当該特定人物に対する評価と切り離した上で、分野に対する専門家か否かで判断されるべきであり、深見氏の著書が神社等の神道分野の出典として用いられた状況にあっては、現に存在する神道学者や神道団体の研究より高次の出典にはなりえないと考えます。要するに、深見氏の理論云々以前の問題として、神道学界や神社庁等の解釈が優先することに異論の差し挟みようはありません。--ろう(Law soma) 2014年1月14日 (火) 03:15 (UTC)[返信]

(補足)深見氏の著書を出典とする記述については、それがふさわしくないと考える利用者により、より高次の出典に置き換えられるか、又はより高次の出典により記述自体を修正するかしていくことが望ましいと考えます。ただし、高次の出典と同趣旨のないようである場合、当面の間は深見氏の著書が出典となっていても格別の問題は生じないとも思います。--ろう(Law soma) 2014年1月14日 (火) 05:15 (UTC)[返信]
資料はあくまで文献評価の参考のため、というつもりでございましたが、議論を長びかせてしまった感があり恐縮です。専門家あるいは学識などを優先し、その他についてはこれに基いて吟味するというろう(Law soma)様のご意見に異論ありません。以降の議論は基本的にプロジェクトの皆様に一任させていただければと存じます。--Gd1031会話2014年1月15日 (水) 13:51 (UTC)[返信]
その分野に対する専門家か否かが最も優先されるべきでしょう。当初より、プロジェクトの皆様に一任するつもりでありましたので、異論ありません。--Husa会話2014年1月15日 (水) 14:32 (UTC)[返信]

神社の都道府県別カテゴリと旧社格別のカテゴリについて

表題についての質問です。最近、都道府県・市町村関係でカテゴリ改変がなされておりますが、その中で「○○県の神社」と「○○県の旧県社/郷社/村社」が統合なされていることに違和感を感じております。理由は以下3点によります。

  • 現在のプロジェクトでは、都道府県別のカテゴリと社格のカテゴリを入れることとなっていますが(プロジェクト:神道#カテゴリ・リスト (神社))、この条文は「または」ではなく「かつ」であろうこと。
  • 「○○県の旧県社/郷社/村社」は「府県社/郷社/村社」のサブカテゴリであって、「○○県の神社」カテゴリには便宜上組み込まれたものしかないこと。廃止された社格、すなわち「現在は存在しないもの」の区分をもって、現在の都道府県別神社カテゴリのサブカテゴリを任じるに足るとするのは、不適当かと。
  • 都道府県別の旧社格カテゴリが作成された時の経緯をみましても(過去ログ2の府県社・郷社・村社の都道府県別サブカテゴリ化の提案)、「○○県の他の神社を探すため」と「○○県の旧県社を探すため」の2通りに便宜が図られていること。社格が廃止されている現在、利用可能性のあるユーザーの大多数は前者であると思われます。

私の考えすぎかもしれませんが、いずれにしても皆様から意見を頂いて、統合するか併記するかを明文化しておきたいと思います。よろしくお願いいたします。--Saigen Jiro会話2013年12月6日 (金) 11:54 (UTC)[返信]

おっしゃるとおり併記と読むべきであろうと思います。--ろう(Law soma) 2013年12月9日 (月) 00:57 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。もう一週間ほど待って意見が出ないようでしたら、「併記」の結論に達したとし、プロジェクト:神道#カテゴリ・リスト (神社)にも明記させて頂こうと思います。--Saigen Jiro会話2013年12月12日 (木) 01:30 (UTC)[返信]
相当期間超過。では、「併記」で合意形成とします。--Saigen Jiro会話2013年12月19日 (木) 13:43 (UTC)[返信]
お疲れ様でした。--ろう(Law soma) 2013年12月20日 (金) 01:15 (UTC)[返信]

神社テンプレートへの地図掲載について

Template‐ノート:神社#「位置」欄に地図追加の提案」において、Template:神社に地図を掲載するか否か、また掲載する場合の対象範囲について議論がされています。プロジェクトの表にコメント依頼欄がありませんでしたので、こちらでお知らせさせて頂きます。--Saigen Jiro会話) 2014年3月1日 (土) 13:51 (UTC)(追記)--Saigen Jiro会話2014年3月1日 (土) 13:57 (UTC)[返信]

各郡記事の式内社の掲載について

表題の通り「各郡記事の式内社の掲載」についてのご意見をうかがいたいと思います。先日、ある編集者様が各郡記事(例:添上郡)から式内社の記載を各国の式内社一覧記事(例:大和国の式内社一覧)への移動をなさっていました。式内社一覧記事が充実するのは良いのですが、各郡記事から情報が無くなることに懸念を感じています。

  • 私見(賛成意見)としては、有意な情報であれば重複であっても掲載する必要があると思っています。有意性ですが、「式内社の数」が当時の各郡の文化水準の1つの指標であること、「式内社の社名」が当時の氏族の各郡への展開を表すものであること、から各郡の古代史上必要な情報であると考えています。平凡社や角川のような百科事典でも記載は見えますから。
  • 反対意見としては、重複が無駄であること、両方を編集する手間や表記統一の手間を省くこと、とうかがっております。

確かに、体裁統一の観点からは膨大なstub記事を作るよりは情報の少ない方で完全記事を作った方がはるかに楽ではあります。しかしながら、各国の式内社一覧なので各国記事(例:大和国)で省略するのはわかるのですが、各郡では省略するべきでない情報であると個人的には思います。これまでに事実として編集をなさっていた方がいたわけですし。「各郡でも掲載」か「各郡では省略」か、皆様のご意見をよろしくお願いいたします。--Saigen Jiro会話2014年3月30日 (日) 14:35 (UTC)[返信]

反対意見について考えてみました。
  • 重複: 重複していたとしても、記事の主題の理解に資するものとして必要であればためらうべきではありません。したがって、重複は単にメンテナンス性の問題でしかないと考えられます。
  • 表記統一: 各国の式内社一覧に社名について凡例があり、大まかに言うと『延喜式』に関する国学院COEの研究成果を参照し、社名についても採用基準が明記されています。これをプロジェクトとしての合意事項とするというのはひとつの考え方としてあるでしょう。
『延喜式』は過去の資料ですでに完結した文書であり、収載された神社の数は増えようがありません。したがって、いちど一貫した形で整備されれば(例えば上掲の表記統一)その後メンテナンスの必要は発生しないものと考えられます。
表記の統一についてはメンテナンス性と統一性という2つの問題点があるように思います。メンテナンス性については、一案ですが各郡ごとの式内社テンプレートを作って、各郡の記事と各国の式内社一覧との両方から参照させるという仕方は可能ではないかと思いました。
しかしながら、そうすると表記の統一性について慎重に適切なやり方を決める必要がいっそう増すように思われます。というのも、世の史料の中には異本が複数あり、その異同が問題になるという性質のものもあります。『延喜式』はその点、どうでしょうか。異本・異系統があって、その内 容や表記に関して異説が生まれるようなタイプの史料なのか、正本が比較的確実に確定されていてその種の問題がおきないものなのか。後者のタイプに属するの であれば、表記についても悩む余地は相当小さくなるのではないかと考えました。
何分、神道(というか日本史や宗教学も)を系統的に学んだことがありませんので、適切に判断するに足る知識があいにく私にはありません。恐れ入りますが、議論の材料を兼ねるということもあり、ご教示いただけますでしょうか。--ikedat76会話2014年3月31日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
Ikedat76さん、いつもお世話になっております。非常に建設的なご意見ありがとうございます。必要であれば重複をためらうべきでないこと、メンテナンス性と統一性の2点を問題視すべきとのこと、承知いたしました。各郡ごとのテンプレートは良案と思いますので前向きに考えたいと思います。
『延喜式』については、私も素人で恐縮ながら知る分を申しますと、『延喜式』には大きく分けて平安から鎌倉期の写本(古写本)と江戸期に国学者が刊行した版本とがあります。後者の中でも享保本が「流布本」として、国史大系始め近現代の諸史料に定本として採用されているようです[5]
一方、國學院大學COEプログラムの「神社史料集成」の底本は、凡例に記載がなく明らかではありません。確認してみましたら、古写本にあって流布本にない記載(河内国の感古神社の感、越中国の気多神社の名神大等)とともに、その反対の記載(伊豆国の阿米都和気命神社の和、伊豆国の意波与命神社の名神大無し等)もありました。おそらくこの「神社史料集成」では、古写本・流布本・考証から総合的に判断されているのではないでしょうか。とすればWikipediaも原則神社史料集成に従った上で、表記揺れを付記すれば良いものと考えますが、いかがでしょうか。--Saigen Jiro会話2014年3月31日 (月) 15:48 (UTC)[返信]
移動を行った編集者です。私はikedat76さんのテンプレートの案に賛成します。私も複数の項目に同一のデータを張るためにTemplate:日本橋区の発足時の町名等を作成したことがあります。現在、各国の式内社一覧の項の表は一体化していますが、これを郡ごとに分けてテンプレート化する形がいいと思います。また、これまで式内社に関する記述は項目の最後になっていましたが、歴史節の古代のところに入れた方が良いと思います。--検見川町会話2014年4月1日 (火) 00:48 (UTC)[返信]

試案

節区切りを追加します。--ikedat76会話2014年4月4日 (金) 12:07 (UTC)[返信]

(インデント戻します)検見川町さんご意見ありがとうございます。仰る通り古代に入れるが良いかと思います。とりあえずTemplate:県別神社一覧にならった形でテンプレートの試案を下に示しました。要点は次の通り。

  • header・内容・footerに分割。各国の式内社一覧において1つの表で表示可能にするため。
  • footerに凡例テンプレートへのリンクを設置。各国の一覧では表の上に凡例を掲載するが、各郡ではリンクのみで省略する。
  • 内容テンプレートにTnavbarを設置。
  • これまでの各国の式内社一覧同様、國學院大學COEプログラムの「神社史料集成」の表記を基本表記とする。

ご意見よろしくお願いいたします。--Saigen Jiro会話2014年4月3日 (木) 17:09 (UTC)[返信]

試案の提示、ありがとうございます。単純な箇条書き()より可視性も向上しますし、よろしいと思います。--ikedat76会話2014年4月4日 (金) 12:07 (UTC)[返信]

ありがとうございます。1週間の異論無きにより合意形成とします。近いうちに作業を開始します。--Saigen Jiro会話2014年4月9日 (水) 16:11 (UTC)[返信]

Some question about Shinto Gods (Kami)

Hello ladys and guentelmens! Sorry me, that I speak English: I don't speak Japanese at all. I have some question about Japanese religion - Shinto. What a Shinto God (Kami) is a patron of the firearms (guns). If you can't answer me, tell me, what is you Japanese wikipedia's forum. Also, I haven't permament IP, so answer me on this page.--213.87.141.242 2014年4月26日 (土) 22:08 (UTC)[返信]

to 213.87.141.242 Hello,213.87.141.242. I don't know the Kami of the firearms (guns). But I know the Kami of fire. The Kami of fire is Kagu-tsuchi.--Siwamura会話2014年5月5日 (月) 11:16 (UTC)[返信]

神社一覧記事全てに「無差別な情報収集を行わないようにお願い」のテンプレートを作成・貼付する提案

こちらに書き込むのは6年ぶりとなります。過去の関連議論は過去ログ#神社の一覧記事・一覧形式の例示部分について

過去に宮城県の神社一覧WP:IINFOに抵触した住所録データベース状態を編集対処しましたが、最近になって再び神奈川県の神社一覧で同様の状況に陥っていることを発見し、こちらは80KB超の記述除去によって対処としました。

本題ですが、一覧系記事で問題になるのは過去も現在も同じく「地域内神社を完全網羅しようとする善意不特定多数の編集者」であると思いますので、上記過去の合意に基づき、無差別情報収集がウィキペディアのガイドラインに沿わない行為であること、プロジェクトでも推奨された行動ではないことを追記編集を行う編集者に告知することを目的として、冒頭に「お願い」を追記し注意喚起を行った方が良いのではないかと考えました。前回・今回の改訂経験から、編集対処するには莫大な時間を要するため、追記編集対処するにせよ無差別情報収集状態は何らかの注記文章により加筆抑制を促す必要性が高いと考えています。

神奈川県の神社一覧では冒頭に

を貼付しましたが、これを既に存在している神社一覧記事(20記事程度)、および今後新規に作成された際に冒頭に貼付するテンプレートとして作成することについて、また既にいくつか貼付されている独立記事作成基準・過去の合意ページリンクなどの文言を組み込み1つのテンプレートとすること、上記文言の適正化も含めてコミュニティの判断を仰ぎたく思います。よろしくお願いします。--Nami-ja 会話 / 履歴 2015年5月26日 (火) 21:55 (UTC)[返信]

◆ 特に反対意見も無さそうですので、実施したいと思います。--Nami-ja 会話 / 履歴 2015年6月5日 (金) 09:18 (UTC)[返信]

神社の格記事に{{神道 横}}は必要か?

山の記事(主に火山)の記事を編集してますが、格山の記事において{{地形}}のテンプレがあったり、同様に長嶋茂雄の記事に{{野球}}を貼ったりする行為と同じで、やりすぎでおかしいと思うわけです。--以上、利用者‐会話:Siwamuraより転載

他で議論になったので、こちらへ転載しておきます。どうやら1年以上コメントもないのでどれだけの方のご意見があるか分かりませんが議論が深まれば幸いです。私からは以上です。神社記事において{{神道 横}}テンプレを外しはじめたり、これ以上こちらにコメントしたりはありません。--Batholith会話2016年10月23日 (日) 07:48 (UTC)[返信]

コメント 当該テンプレートをよく各神社項目の最下部に設置していた者です。当該テンプレートは最下部にあって邪魔にならない点、および神道の基本情報のリンク集として項目理解のための前提情報が提供可能だという点の2点から、多かれ少なかれプラスはあってもマイナスの面はないと考えていました。しかし、確かにこのようなテンプレート設置が神社分野だけに限る特殊事例であれば考えものかもしれません。現状では他の分野の状況を知らないので、賛成・反対を判断せずコメントのみにて。--Saigen Jiro会話2016年10月23日 (日) 10:16 (UTC)[返信]
コメント 特に議論になった感覚はありませんが、当事者となってしまったので少し補足します。ここ最近のわたしの編集作業として、神社記事などに、、{{Normdaten}}(典拠管理)の追加とレイアウトなどのちょっとした草取り作業を行っております。わたしがみたところ、多くの神社記事には、{{神道 横}}のテンプレが追加されてますので、{{Normdaten}}(典拠管理)の追加作業のついでに、{{神道 横}}が無いいくつかの記事にこのテンプレートを追加しておりました。そこにBatholithさんより{{神道 横}}追加に関するコメント[6]をいただきました。私自身は、正直あまり深く考えて追加していたわけではなく、神社記事では以前よりよく見かけるテンプレートですし、無いより有った方がこのテンプレ―トを元にして情報が広がる可能性があるのでいいと考えています。神社記事を読みにいらっしゃる方々は、みなさん必ずしも神道に詳しい方ばかりとは限りませんので、テンプレートをきっかけに神道情報を少しでも知ることがよいのではとは思っております。無いより有った方が便利だと考えておりますが、自分が作成したテンプレートでもありませんので、Batholithさんのコメント「誰かがやり始めて問題があるのに後の方が広げてしまっているやりすぎ系のことは、まあ山岳記事でもありまして……困ったもんです。」[7]のように、このテンプレートの追加が問題であり、困ったものだと多くの方が考えておられるのであれば、自分が追加した分は取り消すつもりです。--Siwamura会話2016年10月23日 (日) 13:27 (UTC)[返信]
報告 その後特に議論展開がございませんし、提案者様も積極的に動かれることはないと意思表示されていますので、合意の成立はなしと認識いたします。私は引き続き当該テンプレートの掲載は続ける方向で活動いたします。--Saigen Jiro会話2016年11月6日 (日) 07:35 (UTC)[返信]
コメント 提案者さん以外の方より当該テンプレートについて消極的な意見はありませんし、私を含めむしろ有った方がよいという意見が寄せられましたので、Saigen Jiroさんに同じく、この提案の合意成立はなしと解釈します。一旦、当該テンプレートの追加作業は控えておりましたが、再開しようと思います。--Siwamura会話2016年11月7日 (月) 11:26 (UTC)[返信]

日光二荒山神社

この記事において、それは「なお、社伝などでは上記のように勝道上人が開祖と説明されるが、実際には太郎山神社周辺で古代の祭祀の痕跡を示す遺跡が見つかっており、相当古くから聖地として信仰対象であったことがわかっている。」書かれる。 あいにく、出典が全然ない。 私は出典が必要であると思う。 誰かがこの情報を確認できるか? どうもありがとう。 --ContributorQ会話2017年4月19日 (水) 19:41 (UTC)[返信]

「Category:○○年設立」および「Category:○○年竣工の建築物」について。

Wikipedia‐ノート:カテゴリの方針#「Category:○○年設立」についてにおいて、神社記事への当該カテゴリ貼り付けを含めた議論を行なっています。こちらのプロジェクト参加者のご意見をお待ちしております。--KAMUI会話2017年5月6日 (土) 21:05 (UTC)[返信]

「カテゴリの方針」での合意について

Wikipedia‐ノート:カテゴリの方針#「Category:○○年設立」についてでの議論で、以下について反対意見無しで概ね合意されましたことをお知らせします。

まず、寺院や神社について「設立」と言う語を使用することが適切ではない。また、創建・開山の経緯などがはっきりしない寺院や神社が少なくないこと。寺院や神社を創建や開山の年号でカテゴライズする必要性に疑問符がつくためです。

次に、寺院や神社には境内に複数の建物があることが少なくなく、「xxxx年竣工の建築物」が複数並ぶことになります。また、新築・建て替えで「xxxx年竣工の建築物」の追加や貼り替えを行なうのは過剰な対応であるという理由から、カテゴリの方針としてはこれを除去することに決したものです。

寺社の記事を編集する際に当該のカテゴリについて、ついでにでも除去していただければ幸いです。--KAMUI会話2017年6月27日 (火) 16:10 (UTC)[返信]

式内社関連事項の「壱岐国」・「対馬国」から「壱岐島」・「対馬島」への変更議論の告知

標題の通り、式内社関連事項について「壱岐国」・「対馬国」から「壱岐島」・「対馬島」への変更を「ノート:対馬国の式内社一覧」にて提案・議論しておりますので、こちらプロジェクトのノートにおいても告知をさせて頂きます。例えば、「対馬国の式内社一覧」から「対馬島の式内社一覧」への改名などです。理由等詳細も「ノート:対馬国の式内社一覧」にて。--Saigen Jiro会話2017年9月15日 (金) 12:24 (UTC)[返信]

報告 改名をいたしましたので、報告いたします。--Saigen Jiro会話2017年9月25日 (月) 11:00 (UTC)[返信]

「Template:神社」の保護解除依頼を提出いたしました

特別:差分/68707078で申上げたとおり、Template:神社の全保護を解除するための提案をいたしましたため、関係プロジェクトに通知しております。保護の解除に反対などの意見をお持ちの方は是非ともコメント下さいますと幸いです。--軽快(旧名: Kkairri会話2018年5月28日 (月) 01:45 (UTC)[返信]

貴人記事の項目名変更の提案

神のみならず、上古を中心とした多くの貴人に関係した提案です。

現在、一部の記事において項目名に「」「」が付されています(例:神八井耳命)。しかし、これらは敬称であるので、「Wikipedia:記事名の付け方#人名」の「原則として敬称・肩書はなし。」に適合しません。上古の貴人が「原則」からはずれる例外となるようにも思えませんので、これらの記事を敬称を付さない項目名に改名することを提案します。実際、神道分野ではすでに「大国主」のような項目名も存在します。

合意形成に必要な期間は1週間とします。議論は結論が出るまで行いたいと思います。合意が形成された場合、各記事においては通常の改名提案における合意と同じように扱いたいと思います。--Aitok I会話) 2018年7月12日 (木) 18:47 (UTC)(修正)--Aitok I会話2018年7月13日 (金) 05:54 (UTC)[返信]

  • 賛成」「」がつけられた形からのリダイレクトを容認することを前提として、賛成します。これは、「尊」や「命」が敬称なのか名の一部なのかを理解していない利用者が多数想定されるからです。挙例されている「大国主」には、リダイレクトとして「大国主命」があります。また、「ヤマトタケル」の場合、リダイレクトとして「日本武尊」が存在しています(ちなみに現時点では「日本武」はありません)。--山田晴通会話2018年7月12日 (木) 20:51 (UTC)[返信]
  • 神名はプロジェクト:神道#項目名で「原則として片仮名書き」かつ「原則として神号の「ノカミ(神)」「ノミコト(命・尊)」「オオミカミ(大御神)」「オオカミ(大神)」などは略」すと定められていますので、特に合意形成の必要な議論では無いかと思います。人名は、漢字表記の場合に例えば「日本武」では不自然で、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」(Wikipedia:記事名の付け方の冒頭文)という主旨を満たさないので、反対です。あと議論が広範におよぶので、1週間は性急かと。--Saigen Jiro会話2018年7月12日 (木) 23:12 (UTC)[返信]
  • 原則論としては賛成しますが、個別の記事についての検討が必要でしょう。例えば「尊」は仏教系でも使われており、日切地蔵尊など複数の「○○地蔵尊」記事がありますが、それらは今回の提案の対象なのでしょうか。また「尊」、「命」以外の「明神」や「権現」などの神号、聖徳太子の「太子」号、神武天皇などの「天皇」はそのままなのでしょうか。
また、改名手続きが不十分です。少なくとも今回改名しようとする記事を一覧として明記し、各記事に改名提案テンプレートを貼る必要があります。合意形成にはそれらの改名提案の手続きが漏れなく行われてから最低1週間必要でしょう。--アルビレオ会話2018年7月12日 (木) 23:19 (UTC)[返信]
  • 神道は、八百万の神を祀り、これら神々には古来からの神もあれば仏教、道教、自然現象、実在した人物などルーツからして様々であり、ある意味例外だらけと感じます。日本の古代史の人物も同様に例外を感じます。あいまいなものは、あいまいにしておくのも神道の作法の一つではないかと思います。また、本提案の範囲が漠然としていて、あまりにも広く感じられますので、反対とさせていただきます。ひとまず改名を希望される場合には、各項目ごとに、個別に改名提案を行うのがいいのではないでしょうか。また、すでに述べられてますが、合意形成の期間は「最低1週間」であり、長いものは数年に及ぶこともあります。--Siwamura会話) 2018年7月13日 (金) 00:03 (UTC) 追記--Siwamura会話2018年7月13日 (金) 00:56 (UTC)[返信]

コメント すでに指摘がありますが、PJ神道の合意で「ノミコト(命・尊)」などは略すとなっています。ただし、「人」であるか「神」であるかは線引が難しい部分もあります。一律・機械的な判断は避け、個別的に慎重に検討を行うべきでしょう。

  • Wikipedia:記事名の付け方#各分野での慣例は、あくまでも「慣例」を列記したものです。そこにも明記されているとおり「下記以外にも各ウィキプロジェクトにおいて記事名の付け方の合意がある」もので、プロジェクト:神道#項目名がその合意にあたります。したがいまして「原則として敬称・肩書はなし。」という部分だけをみて一律に適否を判断するのは不適切です。
  • 類似の規定はWikipedia:表記ガイド#人名Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)にもあります。「これは付けることが慣習となっているものまで付けてはいけないということではありません。」
  • 「命」「尊」などは「敬称」というよりは固有名詞の一部と考えることもでき、「よく用いられるもの」ともいえるでしょう。こうしたものは「日本の貴人/神」に限られず、聖アグネスマハーヴィーラなどでもみられるものです。個別的な事情で付すことが一般的であるならば、それでいいのです。
  • これも他の方々から指摘があることですが、合意は通常「1週間」などと期限を切って形成するものではありません。合意が得られるまで、ときには年単位の期間を要することもあります。
  • Aitok Iさんはアカウント作成からわずか2日ほどの間に、多くの記事で情報の除去を行っています。「無出典」「文献の信頼性が低い」などを除去の理由としていますが、総体として些か性急過ぎます。「文献の信頼性が低い」などの問題提起はよいのですが、仮にも出典があるわけですから、{{信頼性要検証}}を用いる、ノートページなどで議論を行うなど、もう少し丁寧な対応を心がけるべきでしょう。どうも、ノート:健磐龍命で独自研究を指摘されたことをきっかけに、「片端から無出典部分を除去して回っている」ようにもみえます。WP:DISRUPTPOINTに例示されている「良い例・悪い例」を参考にしていただき、より建設的な編集をしたいただけるといいなあと思います。--柒月例祭会話2018年7月13日 (金) 02:40 (UTC)[返信]
返信 みなさんご意見ありがとうございます。まとめて返信します。
  • 「1週間」について
    これは意見募集する期間の最低限度を示したもので、1週間で議論を打ち切るなどというつもりはありません。ただ皆様に誤解を与えてしまったようですので修正させていただきます。
  • 改名手続について
    これは改名提案ではなく、ガイドライン解釈の合意提案です。よって、各ページにテンプレート貼付けは行いませんでした。また、改名の際にはここでの合意ではなくガイドライン違反を主根拠として行うこととなります。上に「通常の改名提案における合意と同じように扱いたいと思います」と書いたのは、移動の理由欄にこのページへのリンクを付すというような意味です。
  • 山田晴通さんへ
    賛成票ありがとうございます。リダイレクトは必要でしょうから反対しません。なお「日本武」がないのは用例の少なさ(この形でリンクされることの少なさ)によると思います。
  • Saigen Jiroさんへ
    仮名書きのものに問題は少ないのですが、漢字表記のものにはかなり敬称が入っています(例:「天児屋命」)。また神名と人名を区分するお考えについてですが、両者のミコト敬称に本質的な違いが感じられないことと、仮名書き・漢字書きの間で敬称の有無が別れるのは不適当であるとの考えより反対です。また、「不自然」とは「非一般的」との意味でしょうか。そうでしたら反対です。人の名が実生活の中で呼び捨てにされることは少ないと思いますが、百科事典においてそれは非一般的である根拠にはなりません。たとえば「ホメイニ師」は「ルーホッラー・ホメイニー」への転送となっています。
  • アルビレオさんへ
    「尊」、「命」という敬称は今回は「みこと」と読む場合に限っていますので(冒頭のリンクからわかると思います)、仏教関係は対象としません。また「明神」「権現」は略さないことになっているようです(「プロジェクト:神道#項目名」)。また、「聖徳太子」「神武天皇」などの「太子」「天皇」は、敬称というより漢風諡号の一部と捉えるべきで、人名表記に不可欠ですので改名するべきではないと考えます。
  • Siwamuraさんへ
    「あいまいなものは、あいまいにしておく」というのには反対です。これは百科事典であり、神道儀礼ではないのです。そうである以上何らかの基準を明確化して執筆する必要があるわけです。また、「あまりに広く感じられ」るからこそここに書いたのです。この問題はここでガイドライン解釈について合意すればよいことで、改名提案する必要が感じられません。
  • 柒月例祭さんへ
    上にも書いたように、漢字表記で敬称を入れた項目があります。また人か神かは正直言って判断する必要はないと思います。神ならば敬称付加可能とか、その逆とかいったルールは存在しません。
「下記以外にも各ウィキプロジェクトにおいて記事名の付け方の合意がある」とおっしゃいましたが、それがないので提案したのです。現状の規定範囲は仮名書き神名に限っており、漢字書き神名・人名には規定がおよんでおりません。よって上位ルールを適用するのが適当と判断したのです。また、表記ガイドの適応範囲が記事名に及ぶかも不明確ですし、スタイルマニュアルには「人物が敬称で呼ばれる場合は第1段落中で紹介するべきです。ただし、あくまで紹介にとどめて、他の文を敬称で書かないようにしてください。」とか『事件・災害等の被害者や、「ある特定の集団からは○○と敬称をつけて呼ばれる」のような中立的な観点から敬称を記述するのは問題ありません。』とあるのみです。また、ミコトが完全に固有名詞と一体化していないのは、プロジェクトの現状の規定(『片仮名書きの場合、原則として神号の「ノカミ(神)」「ノミコト(命・尊)」「オオミカミ(大御神)」「オオカミ(大神)」などは略します。』)からも分かります。
私の編集については、ここで述べることではないようにも思うのですが、「利用者‐会話:Aitok_I#除去につきまして」に書いたとおりです。なお、健磐龍命と一連の編集については何の関係もありません。
  • コメント 神道学の文献(ミコト無しの片仮名表記の傾向)と歴史学の文献(ミコト付きの漢字表記の傾向)で表記が違う傾向にあり、バックグラウンドカテゴリが違えば神名・人名のミコト有無の表記統一をする必然性は無いと考えます。また私の発言の「不自然」の根拠について指摘を受けましたが、『日本人名大辞典』(講談社)、『国史大辞典』(吉川弘文館)はミコト付きの漢字表記である一方、松前健氏の著作など(特に近年の)神道学の文献はミコト無しの片仮名表記を採るので、それらが一般性としての根拠になります。神道学の扱いが強い神・人物ほど片仮名表記を採るのが良いように思っていますが、その線引きは各記事で判断した方が良いかもしれません。とりあえず議論を見ますが、説得力ある意見で意思変更を示さない限り、私は 反対 と捉えて頂けると幸いです。--Saigen Jiro会話2018年7月13日 (金) 11:46 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。
ある記事が神道よりか歴史よりかは非常に判断の難しいところです。それに、他の文献でどのような項目名が採用されているにせよ、WikipediaではWikipediaのルールに沿った記事名を定めるべきです。よって、やはり敬称をのぞいた記事名で統一すべきと思います。記事内の記載と違い、項目名では出典の表記にとらわれずルールに従った名を定める必要があります。--Aitok I会話2018年7月13日 (金) 13:15 (UTC)[返信]

いくつか追加で述べます。

  • (Saigen Jiroさんへ)『「日本武」では不自然』というご主張はあたりません。不自然でないからこそ、現記事名が「ヤマトタケル」なのです。
  • (柒月例祭さんへ)人名における「みこと」が聖アグネスなみに「個別的な事情で付すことが一般的」とは思えません。その旨を明記した文献がない限り、(たとえミコトを付して解説した文献が存在するにしても)Wikipediaにおいて敬称を付すのは不適当です。
  • (重要)返信を待つとなるときりがないので、私への有効な反論がない状態が1週間続いた段階で、ミコトなしでの合意がとれたものとみなします。私としてもそのような合意形成はしたくありませんので、ご意見の表明をお待ちしております。--Aitok I会話2018年7月14日 (土) 16:21 (UTC)[返信]
  • 現状を客観的にみると、反論に対してAitok Iさんがご自分だけ有効だと思っている反論をしているが、説得力のある有効な反論ができていない状態です。1週間有効な反論ができなかった段階で議論を打ち切るのはご自由ですが、その場合は当然ながらミコトなしでの合意はとれないことになります。--アルビレオ会話2018年7月14日 (土) 22:13 (UTC)[返信]
返信 失礼ですが、貴方のそのご主張には何か根拠はおありですか。1週間有効な反論がなければ合意形成とみなすのはWikipediaでの慣例と認識しておりますが。--Aitok I会話2018年7月14日 (土) 22:22 (UTC)[返信]
横から失礼。Aitok I氏の主張は基本正しいとは思いますが、ただ、反論が有効なものかどうかを決めるのは、まさかAitok I氏ご本人ではないでしょうな。反論されたご本人が有効でないと言い張ってしまえば有効な反論など存在しえないので。あと、合意形成には数年かかる場合もあるとのご指摘があるのですから、「返信を待つとなるときりがな」くなるのは数年待ってからと思いますよ。--シールド会話2018年7月15日 (日) 08:41 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。反論が無効な場合とは、誰が見てもそうとわかるもの(理由を書かずにただ反対するなど)のことです。
数年かかるとおっしゃいましたが、返信が一向につかず議論が進展しない場合に、反論なしと解釈することはできないのでしょうか。--Aitok I会話2018年7月15日 (日) 08:46 (UTC)[返信]

コメント いろいろと心得違いをなさっているようです。合意形成というものは、一人の利用者が独断で「これは有効な反論ではない」などと決めつけて押し通るものではありません。「1週間有効な反論がなければ合意形成とみなす」などという文化はありません。

基礎的な考え方はWP:CRITERIAです。「信頼できる情報源において最も一般的」などが基本的な指針です。多くの場合にはここから細則が導かれます。換言するならば、ウィキペディアで勝手にルールを作り、「信頼できる情報源で一般的でない」記事名にするというのは本末転倒なのです。

WP:NC#PERSONは「人名」を対象としています。対象が「人名」でないならば、この規定を援用するのは誤りです。

  • なおここでは「原則として」「敬称・肩書」をつけないということになっています。「原則」というのは、個別具体的に合理的な事情がある場合には例外もあるということです。また「敬称・肩書」部についても検討の余地があり、デーモン閣下のような場合には「敬称」というよりは「固有名詞の一部」と捉えられています。日本武尊の場合には、「尊」部は「敬称」であるか、あるいはこの部位分も含めて固有名詞として一体として認識されているかは、考慮の余地があるでしょうね。多くの人が特別に信仰心や敬意を抱いているわけでもないのに「日本武尊」と表記するのであれば、それはもはや固有名詞です。

「人名」でなく「神道の神名」ということになるとPJ神道の取り決めが指針となってきます。そこでは「カタカナ」「神・命などは略す」と定められている、というのはすでにご案内のとおりです。ここでは「神号」としており、「敬称」とか「敬意」には言及はありません。カタカナや「神・命を略す」のは、もっぱら利便性のためです。

  • 古事記と日本書紀などでは漢字表記が違っていたり、また史料ごとに「-命」「-尊」「-神」など表記が多様であるため、この部分を取り除いて、いうなれば固有名詞の語幹部分だけをカタカナ化しているわけです。もしかすると「-命」とすると「『古事記』偏重だ/『日本書紀』軽視だ」と言われかねないので、それを回避しようというものです。おそらく、学術的な文献も同じような考え方に基づいているものが多いでしょう。大国主の例示のように、そもそも多様性・利便性の点で問題がなく、なおかつ「信頼できる情報源で一般的」なのであれば、結果として「尊」「命」などがついていたとしてもあまり問題はないし、一般規則(WP:CRITERIA)にも反さないのです。これは大国主の例示からも読み取ることが可能ですし、PJ神道の過去議論を参照してもわかることです。

実際上は、「古代の貴人」は、文脈によって「人物」であったり、「(神道の)神/信仰の対象」であったりします。神道と仏教を明確に切り分けることが困難な文脈もあります。現実世界はあいまいなのです。そのため、個別的・具体的に一件一件、検討をすることになります。プロジェクト:神道#このプロジェクトで扱う範囲でも、「神」と「人物(人物神)」のあいだには一応の目安として「神武天皇」を境に線が引かれていますが、「ただし」などの例外の考え方も多く示されていて、個別的な検討を求めています。

いずれにせよウィキペディアでは、技術的にはリダイレクトを使うことで、多様な表記を吸収することも可能です。多様な表記のうちの一つが記事名に採用されている場合には、ひどく問題があるというのでもなければ、過度に「統一化」に拘って記事名に執着したり、改名に勤しんだりするのもあまり生産的ではないでしょう。たいていは記事の冒頭部でいろいろな表記があることを示したり、リダイレクトで誘導されたりしていて、それで事足りているのです。

現実世界において複雑で統一されていないものを、単純さや様式美を求めて統一しようとしたり、そのためにわざわざルールをウィキペディアに作ろうというのはおすすめしません。それは規則主義指示の肥大化であったりして非生産的ですし、なによりも現実と乖離してしまいます。--柒月例祭会話2018年7月15日 (日) 09:37 (UTC)[返信]

コメント 話をもとの位置に戻しておきますが、私を含めてここでコメントされた多くの方々は、「神八井耳命神八井耳カンヤイミミノミコト・カンヤイミミに改名することは絶対に認めない」と言っているわけではないのですよ。

神八井耳命について、多くの信頼できる情報源が「神八井耳」あるいは「カンヤイミミ」としているといったような事情が、個別具体的に示されるならば、改名はありえることだと言っているのです。

「-命」とついている記事を一律に「命」を外すことにしようとか、そのために根拠となる指針を変えちゃおうとか、そういうことに反対しているのです。

神八井耳命の場合には、「神武天皇以降」ですから、PJ神道の指針では、原則的には「人物」として扱うことになりますね。「原則的には」というのは、この人物(神)が、もっぱら神としての言及が多いならば神として扱うこともありえるということです。そうでなく基本線として人物として扱うならば、PJ神道の「カタカナ」「命・尊を省略」には縛られず、人物名として検討することになります。そこで、多くの信頼できる情報源でどう書かれているかを具体的に調べていくことになります。

ただ、神八井耳命という表記が信頼できる情報で用いられていることが示されていて、なおかつ神八井耳カンヤイミミノミコトなどのリダイレクトが既にあるわけですから、改名しなくてもあまり困りません。現に神八井耳命を目指したリンク元が多数あり、神八井耳へのリンクはゼロである、ということも考慮に入れる余地はあるでしょう。困らないのに、ただ改名のためだけに議論したりするのはいささか非生産的・非合理的です。しかし、改名のために調べ物をして、その結果として信頼できる情報源を示しながらの加筆が捗るならば、生産的ですね。--柒月例祭会話2018年7月15日 (日) 10:09 (UTC)[返信]


  • (競合したけどそのまま)ちょっと訂正を。WP:NC#PERSONの項番8に『競走馬名などの動物の固有名、架空の人名、神名、キャラクター名も、原則として以上の人名の指針に準じる。』とあり、神についても原則としては「敬称・肩書」を付けないことになります。柒月例祭さんのコメントのようにあくまでも原則であり、付けることが一般的になっているものまで無条件に禁止するものではありません。前に出した聖徳太子については、「太子」は「敬称・肩書」に当たるが付けることが一般なので記事名はこのままでよいと考えています。なお、英語版だとen:Prince Shōtokuだったりします。--アルビレオ会話2018年7月15日 (日) 10:21 (UTC)[返信]
返信 コメントありがとうございます。
  • 人名分野については「原則として敬称・肩書はなし」と規定されているので、ここではそのローカルルールでの具体的規定を重視すべきではないでしょうか。敬称の適当・不適当は、一般的な使用例のみで判断すべきではありません。
  • 「原則」からはずれるのは、上にも書きましたが聖アグネスなみに「個別的な事情で付すことが一般的」なもののことです。ミコトがそうであるとする資料は確認できません。
  • 日本武尊は記事名になっていませんので、実例として不適当です。あと、「日本武尊」という表記があるのは「特別に信仰心や敬意を抱いている」からにほかならないでしょう。それがWikipediaにおいて不適当だからこそ、記事名が「ヤマトタケル」なのです。
  • 「もっばら利便性のため」とは、貴方の個人的意見でしょうか。それでしたら意味はありません。ミコトが敬称であることは、手っ取り早いところでは『広辞苑』(第六版、新村出編、岩波書店、2012年第三刷発行)において述べられています(「みこと」項 「上代、神または貴人の尊称。」)。
  • 個別的な検討とおっしゃいましたが、神道分野においてすでに規定があるのはご承知のとおりです。人名分野も含めて議論しようというのがこの場です。人名分野内において、各記事別に議論する必然性はありません。神道分野・人名分野の双方において無敬称が適当なら、神道分野・人名分野のどちらに属するかという判断はもはや不要のものになるのです。
  • 「生産的ではない」という理由のみで議論を避けるのは、あまり良い考えとは言えません。いつかの段階で、人名に関する基本的方針は確定させておく必要があります。
  • 「現実と乖離」とおっしゃいましたが、敬称不記によってなにか問題が生じるとは思えません。むしろ百科事典的で平等な記述となるでしょう。特定の人・神に敬称があり、別の人・神にないのは明らかに不統一的すぎて、それこそ非一般的です。
  • 根拠となる指針を変えようなどとは誰も言っておりません。むしろ根拠となる指針にのっとって対応するべきと言っているのです。
  • 困る・困らないという問題ではないのです。百科事典的でないと言っているのです。それに記事名と本文中では表記法が違いますから、リンク元は根拠になりません。
  • 『「太子」は「敬称・肩書」に当たる』というご主張にはどのような根拠があるのでしょうか。「太子」は地位に過ぎません。あと、「Prince Shōtoku」は直訳すれば「聖徳皇子」となり、やはり身位を含みます。
  • (まとめ)同じことを言っていても不毛なのでまとめます。「一般的」を理由に敬称付記を主張されるなら、「みこと」は付すことが一般的である旨を明記した文献を示して下さい。(たとえミコトを付して解説した文献が存在するにしても)敬称不記の原則からはずれるだけの十分な理由がない限り、Wikipediaにおいて敬称を付すのは不適当です。一律に敬称を外すべきでしょう。--Aitok I会話2018年7月15日 (日) 10:30 (UTC)[返信]
  • まずはご質問のあった『「太子」は「敬称・肩書」に当たる』の根拠から。「太子」が地位にあたることは認められているので、それは前提とします。国語辞典などで「肩書」を検索してみると、例えばデジタル大辞泉が『1 名刺や印刷物などで、氏名の上部や右肩に官位・職名などを添えて書くこと。また、その官位・職名など。2 その人を特徴づける社会的な地位・称号など。』としています。従って「地位」の一種である「太子」はまた「肩書」の一種であることが証明されます。
次に元々の議論に戻りますが、Aitok Iさんの論調は上記の「太子」の例にも表れているようにご自分の都合のいいところだけを抜き出して主張し、相手の意見についてご自分の意見と会わないものは有効な反論ではないと切り捨てるような、極体に言えばまともな対話をしようとしていない姿勢が目立ちます。もう少し相手の意見を謙虚に聞いて頂きたい。
なお、誰も一律に敬称をつけようなどとは主張していません。むしろ一律に判断すべきではなく個別に判断すべきだと言っています。それに対して「みこと」は付すことが一般的である旨を明記した文献を示して下さいとは筋違いな要求です。--アルビレオ会話2018年7月15日 (日) 21:12 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。
  • 肩書であることはわかりました。しかし敬称にはあたらないので、この例(ミコト)を考える上での参考にはなりません。
  • 「都合のいいところ」ではなく、疑問に思ったところです。疑問点を「抜き出して」質問することに、何か問題があるのでしょうか。それに、前にも述べましたが、有効な反論でないものとは、理由を示さずに反論するようなもののことであり、私の意見とくいちがうものを無効にしようなどとは思っておりません。
  • あと、誤解されているようですが、私は皆様が一律な敬称付記を主張されているなどとは申しておりません。私が言いたいのは、個別に議論する必要がないということです。ミコトは神名にしろ人名にしろ敬称ですので、この場でまとめて議論可能と思います。
  • 強いてローカルルールに反した体裁を取ろうとする方が根拠を提示されるべきなのは道理というものです。少なくとも「筋違い」ということはないでしょう。
  • もう一度言いますが、人名記事の敬称においては、信頼できる情報源の記載はさほど重要ではありません。敬称付記が一般的である旨を明記した文献が示されない限り、敬称は一律に外されるべきと考えます。--Aitok I会話2018年7月15日 (日) 21:37 (UTC)[返信]
ガイドラインでは『原則として敬称・肩書はなし。』です。なぜ敬称だけを抜き出して一律に外されるべきだとおっしゃるのでしょうか。一律に外すのであれば肩書も一律に外すべきということになるでしょう。(あくまであなたの主張に従えば、であり、私は敬称・肩書を一律に外すべきとは主張していません)「聖徳太子」は肩書を付けておいてよいケースだと認めるのであれば敬称も付けておいてよいケースがあるうることを認めるべきです。--アルビレオ会話2018年7月16日 (月) 00:10 (UTC)[返信]
敬称のみについて述べたのはミコトが敬称であるからです。私は肩書も一律に外すべきと思います。ただし聖徳太子など一部は例外です。その理由を説明いたします。
外すべきである肩書とは、人名に敬称的に地位を付したものです。たとえば「安倍晋三首相」などがあたるでしょう。しかしこれに対し、「神武天皇」や「聖徳太子」などは、いわゆる漢風諡号です。諡号とは、生前の地位も含めて一連の号としてとらえるものです。そのため、例えば「昭和天皇」の名は「昭和」ではありません。「昭和天皇」というかたまりではじめて号として成立するのです。
聖徳太子は「Prince Shōtoku」にはなっても「Shōtoku」にはなりません。同じように、昭和天皇は「Emperor Shōwa」にはなっても「Shōwa」にはならないのです。これは肩書がもはや肩書としての意味を失い、全体でひとかたまりとして把握するべきであることを示しています。
これに対してミコトはどうでしょうか。「手研耳命」の例を見ます。英語版の記事名は「Tagishimimi」です。これはミコトがただの敬称に過ぎず除去可能で、聖徳太子と比較することは不可能であることを意味します。なにか反論はおありでしょうか。--Aitok I会話2018年7月16日 (月) 01:44 (UTC)[返信]
神武景気は「神武天皇景気」ではありません。これはあなたの意見が一律に成り立つものではなく、例外があることを示しています。やはり一律にするのではなく、個々の事例で検討する必要があるでしょう。--アルビレオ会話2018年7月16日 (月) 02:09 (UTC)[返信]

組み合わせ造語における特殊例は反例としてあまり適さないように思います。もう一つ例を挙げると、en:Wikipedia:Manual_of_Style/Japan-related_articles#Names of Emperorsに次のようにあります。「The word Emperor is an integral part of the name and not merely a title, so it should be capitalized and the article the should not appear before it.」すなわち、「天皇」は名の表記に必須で、単なるタイトルではないのです。--Aitok I会話2018年7月16日 (月) 02:30 (UTC)[返信]

(上に加えて)この提案で対象としているのは、あくまで貴人の記事名です。「神武景気」のような発展的単語まで含むつもりはございません。--Aitok I会話2018年7月16日 (月) 02:33 (UTC)[返信]
  • 特殊例かどうかを争うつもりはありませんが、すくなくとも反例があることを認めていただき、記事の改名についても一律になどという乱暴な進め方をしなければ結構です。最初にコメントしたように、方向性としてはむしろ賛成であり、個々の事情を検討せずに一律に改名しようとする進め方に反対しているのです。--アルビレオ会話2018年7月16日 (月) 03:08 (UTC)[返信]
返信
  • 特殊例かどうかこそが重要なのです。つまり、神武景気を特殊例とみなすことができれば、歴代天皇は(今上陛下以外は)例外なく一律に「天皇」の語を付した記事名にできるのです。「一律に」と言ったのは人名記事に関してなので、「神武景気」は反例にはなりません。
  • そして議論が脱線しているので再度言いますが、「天皇」「太子」は一般的な肩書とは言えないうえに、この提案に肩書は無関係なので、「みこと」に関係のある議論のみ行いたいと思います。
  • 一般的な肩書とは言えない「太子」「天皇」をのぞいて、肩書や敬称を一律に外してはいけない理由があるでしょうか。
  • 議論の堂々巡りを防ぐために絞ってお聞きします。ミコト敬称を付すことが明らかに不適切な実例(一律に外すと問題が生じる実例)はありますか。--Aitok I会話2018年7月16日 (月) 03:49 (UTC)[返信]

  • 情報ありがとうございます。たしかにおっしゃるとおりです。最初からこの質問をすべきでした。
  • 伊勢命については、地名のみで構成される例外的場合と言えるでしょう。それに、そもそも伊勢命は単独記事となっておりません。
  • しかし、不適切な実例が存在することははっきりしましたので、「一律」はやめて「基本的には」とします。しかし除去不適当が少数派であることには変わりないので、除去不適当な例を現在存在する記事中から書き出していく方式をとるのはどうでしょうか。基準の案としては、「除去してしまうと神名・人名として意味不明になるもの」としたいと思います。なお、個別記事のノートで議論することは、手間が不必要に増える上に今後にもつながらないと思うので反対です。
  • ここにミコトつき貴人記事名をすべてリストアップするという方法も当然考えられるでしょうから、できれば時間が取れた時にやってみようと思います。ただし少し後になるかもしれません。--Aitok I会話2018年7月16日 (月) 05:19 (UTC)[返信]

コメント ここに至っても漢字表記でミコトを除く文献例が示されていないまま議論されていますが、お示し頂いてもよろしいでしょうか。先述の通り私の知る百科事典では漢字表記ではどの文献も「命(尊)」を付しているのですが。Wikipediaの表記ルールをお題目にして、文献で見られない表記にしようとしていませんか? もはや独自研究を侵しているとしか思えません。--Saigen Jiro会話2018年7月16日 (月) 09:29 (UTC)[返信]

返信 要点としては、WP:CRITERIAWP:NC#PERSONのどちらをより優先すべきかというところになるのでしょうか。しかし、WP:NC#PERSONWP:CRITERIAをふまえた上で定められと考えられるので、PERSONを具体的規定として重視すべきでしょう。文献で見られる表記が敬称付記のみであっても、敬称不記が不適当ということにはなりません。「認知度が高い」は、人名そのもの(敬称以外)の選び方について適用されるべきでしょう。私は、片仮名表記と漢字表記で敬称の有無が別れるのは、CRITERIAの「首尾一貫している」に明確に違反しているとしか思えません。ここで「Wikipediaの表記ルールをお題目に」することは問題ないと思います。神道分野での敬称不記がありうることが分かっている以上、歴史分野でそれを適用しない理由は何一つとしてありません。両者の敬称の性格に明確な違いを見出すことができない限り、特定記事のみに敬称を付すのは百科事典的でないと思います。
ミコトを付して解説する文献が多いのはわかりました。しかしそれを無批判にWikipediaに取り入れることが適当かどうかご検討ください。敬称を付さなければその人物に関する記事名として成り立たない場合でない限り、敬称は不付記とすべきです。
もう一ついうと、ミコトが用いられなくなったあとの敬称は「宿禰」(例:武内宿禰紀角宿禰など)あるいはです。姓は記事名に入れないが通例ですし、宿禰も一部の例をのぞいて記事名には入れません。その一部の例の代表的なものが武内宿禰で、このような人名は敬称を付さなければ記事名として成り立ちません。このような例でない限り、Wikipediaにおいては敬称は記事名に入れないべきです。--Aitok I会話2018年7月17日 (火) 03:06 (UTC)[返信]
求めたのは漢字表記でミコトを除く文献例の提示だけです。まず文献をご提示下さい。--Saigen Jiro会話2018年7月17日 (火) 03:30 (UTC)[返信]
この提案においては、ミコト号が人名表記に不可欠である旨が明記されていない限り、文献例を示すことにあまり意味はないと申し上げたのです。今までの議論をご確認ください。--Aitok I会話2018年7月17日 (火) 04:00 (UTC)[返信]
Wikipediaのみの独自表記方法を採るということですね?--Saigen Jiro会話2018年7月17日 (火) 06:22 (UTC)[返信]
ミコト不記の文献が無いのなら、そうなります。よほど不適当な場合を除き、記事名は百科事典的であるべきです。
ただし記事の本文中で出典に基づいた表記を取ることは問題としませんし、ミコトは省略不可能であると明記した文献があるのならそれに従います。--Aitok I会話2018年7月17日 (火) 07:58 (UTC)[返信]
(上に加えて)ミコト付記の文献が多いのはわかっています。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#敬称にあるように、第一段落で紹介するべきですが、項目名は別問題です。--Aitok I会話2018年7月17日 (火) 08:09 (UTC)[返信]
文献が提示されていない現状、Wikipediaのみの独自表記方法を採る方向である旨承知いたしました。議論で重要と考える要素は人それぞれですので、「文献例を示すことにあまり意味はない」として貴方様が意味を勝手に決めつけないで頂けると幸いです。あと、市販の百科事典を無視して「百科事典的であるべき」が分からないので、その点詳しく教えて下さい。--Saigen Jiro会話2018年7月17日 (火) 08:58 (UTC)[返信]

「文献例を示すことにあまり意味はない」とは、ミコトを付して解説した文献がいくらあっても、それが「慣習」(Wikipedia:表記ガイド#人名)となっていることの証明にはならないということです。それを直接的に明記している資料がなければいけません。「百科事典的」でないとは、不統一な敬称付記で余計な誤解を招くべきではないという意味です。敬称付記・不付記が項ごとに方針なく分かれる「市販の百科事典」など存在しないでしょう。たとえば「大国主」と「天児屋命」の例を見てください。史料ではどちらも「命」がつくのに、Wikipediaでは不付記・付記で分かれています。これでは、一般の利用者の方が神の尊さの違いと受け取りかねません。--Aitok I会話2018年7月17日 (火) 09:30 (UTC)[返信]

私の知りたいのはAitok Iさんの思う妥当性でなく、学術的妥当性なだけなのですが、学術的妥当性を何一つお示し頂けない旨は承知いたしました。もう1つ学術的妥当性で言うと、『「宿禰」あるいは姓はミコトが用いられなくなったあとの敬称である』ことの論拠をお示し頂いてもよいでしょうか。--Saigen Jiro会話2018年7月17日 (火) 13:05 (UTC)[返信]
敬称を入れるか入れないかに学術的も何もありません。貴方がおっしゃっているのは「鈴木様を鈴木と呼び捨てにする学術的妥当性を示せ」というようなもので、そこは出典にこだわらずとも対応可能でしょう。
また、スクネや姓がミコトより後というのは、実例をみれば(スクネの例:金錯銘鉄剣銘文の解釈)わかることです(ただし、スクネとミコトは併用される場合もあります)。
これらが敬称ということについてです。まず、『広辞苑』(岩波書店、第六版)で「かばね」をみますと、「はじめは私的な尊称であったが、」とあり、姓が尊称としてはじまったことが分かります。同書で「すくね」をみますと、「古代、重臣に対する敬称。」とあり、敬称である旨が明記されています。--Aitok I会話2018年7月17日 (火) 13:42 (UTC)[返信]
「敬称を入れるか入れないか」の学術性の話はしていません。学術的に各人物の漢字表記をするにあたり、ミコトを除くことに妥当性は無いという話をしています。稲荷山古墳出土鉄剣はワケ→スクネ→ヒコの変遷でよく引き合いに出されますが、ミコトは無いです。改めて論拠をお示し下さい。全般的に独自解釈・独自ルールが甚だしいですが、「貴方様の解釈」でなく「学術的な解釈」をお示し頂き、地に足が着いた議論をお願いいたします。--Saigen Jiro会話2018年7月17日 (火) 14:28 (UTC)[返信]
  • 横からですが、「大国主」については尊称をつけないものが
    • 『大国主の神話 : 出雲神話と弥生時代の祭り』、吉田敦彦著、ISBN 9784791766390
    • 「大国主の神の名について」、川崎庸之著『文学』23巻7号掲載
 など多数あります。ただし、この神の場合『日本大百科全書(ニッポニカ)』では「大国主命」ですが『世界大百科事典 第2版』では「大国主神」と尊称を含めると表記が一定していないので、例外かもしれません。--アルビレオ会話2018年7月17日 (火) 13:48 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ただ現状、神代の大国主はプロジェクト:神道#項目名で原則片仮名表記と定められる範疇ですので、私の上記論点(漢字表記でミコトを除くのが妥当か)の範疇では無いです。人代の大彦命の場合には、
  • 『世界大百科事典』(平凡社):大彦命
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館):大彦命
  • 『日本国語大辞典』(小学館):大彦命・大毘古命
  • 『日本人名大辞典』(講談社):大彦命
  • 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』:大彦命
  • 『大辞林』(三省堂):大彦命
としておりますが、これを無視して「大彦」を項目名とする学術的妥当性は無いという論点です。ご理解いただけると幸いです。--Saigen Jiro会話2018年7月17日 (火) 14:28 (UTC)[返信]

  • まず大国主についてですが、Wikipediaでは原則片仮名表記で尊称(神号)なしと定められた中の、例外的に漢字表記となっている場合です。よってミコトの有無はWikipediaでの規定にしたがっており、資料での表記は根拠とされていません。
  • Saigen Jiroさんの「ワケ→スクネ→ヒコ」は順番が逆です。よくご確認ください。稲荷山古墳の鉄剣人名の「上祖」はオホヒキ(オホヒコ)ですが、これは大彦命と同一人物とする説があります。そうであれば、ミコトの直後にスクネがきていることになります。なおヒコが明確な敬称であるという話は聞きませんので、ヒコはこの場で取り上げるべきではないと思います。
  • ミコトを除くか除かないか=「敬称を入れるか入れないか」です。前にも述べましたが、敬称を付して解説した文献がいくらあっても、それが「慣習」(Wikipedia:表記ガイド#人名)となっていることの証明にはなりません。言ってしまえば、「大彦命」を「大彦」としてあつかう一次資料が稲荷山古墳出土鉄剣であるという見方もできるのです。--Aitok I会話2018年7月17日 (火) 16:09 (UTC)[返信]
書き間違えていましたね、失礼。5世紀の考古資料と8世紀の文献資料を合成するとは驚きですが、その解釈は誰が主張されているのでしょうか? 私には「慣習」であることの証明になっているとしか思えません。--Saigen Jiro会話2018年7月17日 (火) 20:25 (UTC)[返信]
Wikipediaの「大彦命」にも記載があります。ここで『日本古代氏族人名辞典 普及版』 (吉川弘文館、2010年)を出典として挙げられたのはSaigen Jiroさんご自身のようですが、お忘れですか。
敬称付記の文献が多いという事実から、それが慣習となっているという結論を導き出すのはWikipedia編集者の独断ですることではありません。その判断をくだした文献をご提示ください。--Aitok I会話2018年7月17日 (火) 20:44 (UTC)[返信]
合成してミコト→スクネの証左とする解釈の論拠ですよ?--Saigen Jiro会話2018年7月17日 (火) 22:36 (UTC)[返信]
根拠不足だと思われるなら、『日本書紀』で屋主忍男武雄心命の子が武内宿禰であるという例をとってもよいでしょう。ほかに地方豪族にも例があります。とにかく、ミコトの後にスクネが来る例や両者が併用される例があっても、スクネがミコトの前に来る事例はひとつも知りません。ミコト→スクネという敬称変化が起きた場合があったのは確かです。ただし、両者が併用される場合(大水口宿禰命など)があることも考えると、宿禰を「ミコトが用いられなくなったあとの敬称」と言ったのは不正確でした。すみません。--Aitok I会話2018年7月18日 (水) 02:52 (UTC)[返信]
根拠不足という主旨ではありません。貴方様は、ミコト→スクネだと断言したのです。しかしスクネは主に古代豪族に用いられた称号であって、ミコトとは性質が全く異なるものです。ましてやその証明として稲荷山古墳出土鉄剣と日本書紀を合成して論述されましたが、「大彦命」とは8世紀当時の知識による表記であって、稲荷山古墳出土鉄剣当時に当該人物が「オオヒコノミコト」と称された事実は今もってありません。ノート:健磐龍命でも申しましたが、「解釈を加える」すなわち「点と点を結んで線にする」とは立派な研究に相当しますが、二次文献が示されない限りはただの独自研究です。こうした称号は古代史学の論考上で重要な要素であって興味本位で深入りしましたが、議論の本筋から離れたためこの場のコメントで収めますが、私の興味が湧いてしまいますので独自研究をして無知の暴論をひけらかさないよう切にお願いいたします。--Saigen Jiro会話2018年7月18日 (水) 12:03 (UTC)[返信]
(追記) ついでに申し上げると、「武内宿禰で、このような人名は敬称を付さなければ記事名として成り立ちません」ということでしたが、既に私も同様の主旨で「日本武尊」が「日本武」と表記されては分からないと申し上げたのですが、「武内」はダメで「日本武」は良い理由が全く分かりません。結局は全て貴方様のさじ加減なのですか? 今は「ヤマトタケル」の記事名だから例外とか仰るならば、大彦命でも良いです。「大彦」の記事名では正直言って「誰?」です。ダブルスタンダードに基づく主張だと強く非難いたします。--Saigen Jiro会話2018年7月18日 (水) 12:32 (UTC)[返信]

コメントあらためてウィキペディアの考え方をご案内します。

記事名の付け方の基本的な考え方はWP:CRITERIAです。「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」(認知度が高い)など、5つの基準を満たすものがそれにあたります。

したがいまして、信頼できる情報源で見いだせないものや、「最も一般的」でないものを記事名とするのは大原則に反します。

Aitok IさんはWP:NC#PERSONの「原則として敬称・肩書はなし」という一文だけをぬきとってそれを過剰に重視し、大原則に反することを主張なさっています。これは字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうもので、ウィキペディアの理念に反します。

Aitok Iさんにおかれましては、ルールの理念や目的・趣旨をご理解いただくとよいと思います。すなわち、「なぜ敬称や肩書をつけないべきとされているのか」です。これについては過去に議論を行ったことがあります。おおもとの英語版 のルールでは、敬称や肩書は「絶対につけるな」ではなく「必要に応じてつけろ」となっています。(厳密に言うと、「敬称≒敬意表現」は日本文化でやや特殊なもので、英語圏におけるHonorific titlesとはちょっと違いますが。)ともかく、これらは結局のところ、基本理念信頼できる情報源において最も一般的に使われているからそうなるのであって、それは読者のためなのです。読者が期待する記事名として最大手のものを用いるべきで、そのときそこに敬称的表現が含まれるならば、含んでよいのです。

では、なぜ表記ガイドや記事名の付け方で「原則として敬称・肩書なし」とされているかというと、それを付すことが冗長化を招いたり、中立性を損なう記述を招く結果になることを避けようという意図があるのです。たとえば「天皇陛下は・・・」と書くと、「この文章は天皇に対する敬意を有する立場から書かれてるんだな」というメッセージをはらむことになり、その文章が第三者的な目線ではないかもしれない、という疑いを招くかもしれないということです。(その「疑い」どおり中立性が損なわれて事実が歪められているかどうかは、文脈次第です。たとえば「天皇陛下は皇居にお住まいです」と書いた場合、これは敬意表現を伴っていますが、事実関係としては間違ってません。)

「原則として」と断り書きがあることからもわかるように、冗長化や中立性の毀損の心配がなく、信頼できる情報源で一般的な表現であるならば、敬称・肩書を付与することもありえるのです。すでに話題に出ている「聖徳太子」「聖アグネス」などはその実例といえます。Wikipedia:表記ガイド#人名にも「付けることが慣習となっているものまで付けてはいけないということではありません。」「固有名詞として扱われているような場合など(中略)は省略しないでください。」となっています。(この部分は、上で紹介した議論によって修正した部分です。)

ところで、神道分野における神号の扱いは、こうした「敬称・敬意表現」とは些か異なる観点から、回避することを基本則としています。

(いちどご紹介しましたがご理解されてないようなので再掲します)PJ神道の「カタカナ優先」「神・命などを略す」という規定もまた、大方針の下にあり、「最も一般的」などの基準に準じています。しかしこの分野の特性として、同じ神/人物が、『古事記』と『日本書紀』で漢字表記が異なっている・神号が変化する・異なる、という事情があります。どれかの表記を「最も一般的」として採用し難いのです。さらに、用いられている漢字がPCでの表示・検索に難がある、というような事情もあります。そのためにカタカナを採用し神号を省略することになっています。カタカナ表記は、なにもウィキペディア独自というわけでもなく、『神道事典』(國學院大學日本文化研究所編)で採用されている方式でもあります。カタカナ化は、神道学や歴史学の文脈のなかで史料によって異なる漢字表記のどれかを「正」として選んでしまうことを避ける機能のほか、宗教学や比較文化学などが学問的に元来の「音」に着目して研究対象として分析的に記述しようとする機能も果たします。

すなわちこの分野では、「敬称」が敬意を導き、それにより中立性が毀損されたり冗長化を招く、という理由で敬称・神号が忌避されているというわけではないのです。Aitok Iさんが懸念されたような、「『大国主』と『天児屋命』で一般の利用者の方が神の尊さの違いと受け取る」というような心配は、率直に申し上げて、Aitok Iさんだけのもので、多くの利用者はそんな心配はない(読者はそこまで馬鹿じゃない)と考えているのでは。ここでの「中立性の毀損」の懸念はむしろ、日本書紀表記を採用し古事記表記を採用しないことで、史料の価値に軽重をつけてしまうこと、にあるのです。

Aitok Iさんは、ノート:タギシミミの反逆で、正史である『日本書紀』の表記が適当漢字表記が正式名称だから、との主張をなさいました。このように、「日本書紀が正で古事記は誤」というような判断を下すことは、避けなければいけません。カタカナ表記はそういう機能があるのです。

このあたりは「㭍月例祭の独自解釈」ではなく、12など、PJ神道におけるコミュニティの合意事項です。(『神道事典』がなぜカタカナ表記を採用しているかは、國學院大學に尋ねるしかないですかねえ。世の中には、古事記の表記をベースにする『日本神名辞典 』(神社新報社,1994)というものもあるようです。)

いずれにしろ、「基本則」と「個別的事情による例外」とが併存することは当然のこととして許容されています。自分たちで決めた基本則を重視するあまり、現実世界の実態に反する命名表記を行うのはナンセンスであり、読者のための百科事典としては本末転倒なのです。それは大原則であるWP:CRITERIAからも当然に導かれるものなのです。

繰り返しますが、私たちは「絶対に神号をつけろ」とか「絶対にカタカナにしろ」と主張しているわけではないのです。基本則はあるにせよ、あとは個別具体的に個々の案件で丁寧に手間暇を惜しまず実際の根拠を出しながら議論していこう、としているのです。手間を惜しんで机上の空論で一律・機械的に決めつけて実情に合わないことまでやってしまおう、ということに反対しているのです。そういうやり方は、知性的プロジェクトがやるべきではない手法です。たとえば、明日までに納品させないと会社が潰れてしまうから質を顧みず手間をかけずにとにかくやっつけで済ませよう、という場合には、ありえる方式かもしれませんね。--柒月例祭会話2018年7月18日 (水) 03:41 (UTC)[返信]

丁寧なご意見ありがとうございます。
私が敬称付記に反対するのは、それを付すことが中立性を損なう記述を招く結果になっているからにほかなりません。上での大国主天児屋命の例をあげれば、「Wikipediaは大国主命より天児屋命を尊敬している」と思われかねません。これを中立性を損なっていると言わずして何というでしょうか。貴方が主張されるようにこれが私のみの意見だとしても、客観的にみて非常に不自然です。
「聖徳太子」が一般的な敬称・肩書の例として不適当ということは前に述べたとおりです。過去議論でも「肩書、立場、役割、役職、敬称、尊称、学位、位階、勲、爵位なども含めてその人物の固有名詞として扱われているような場合」となっています。そして、ミコト号を「付けることが慣習となっている」とか、ミコト入りの人名表記が「固有名詞として扱われている」という十分な根拠は未だに示されておりません。
神道プロジェクトで神号を略すのが表記不一定のためであるというのは過去ログをみて分かりました。しかしだからといって、この話が敬称・肩書不記の問題と無関係であるということにはなりません。
さらに「タギシミミの反逆」について言えば、私は「『古事記』は誤」などとは言っておりません。『古事記』の表記は正式名称ではないと言っただけです。神道プロジェクトではウガヤフキアエズの代以前を神代とし、神名は原則片仮名書きとする合意がありますので、それは尊重します。しかし神武天皇の代以後はいわゆる人代で、(史実かどうかはともかくとして)「歴史」の部類に入ります。そして神武天皇以後は原則片仮名書きの規定は適用されませんので、基本的には正式名称を取るべきと考えます。そう考えた時に何を正式名称とするかですが、『日本書紀』が官撰の正史(朝廷が認めた正統歴史書)であるのに対し、『古事記』は奉勅撰とする説があるとはいえ正史ではありません。『古事記』には確かに史料価値はありますが、だからといって人代の人名の正式名称とするには適さないだろうと申し上げたのです。この件に関しては、人名そのものの記事というより説話を対象とした記事ということもありますし、何よりも『古事記』重視の文献を示していただいたので提案は取り下げました。しかし、人代の人名は『日本書紀』表記を用いるべきという意見は変わっておりません。
何度も言いますが、ミコト付記が「個別的事情による例外」として認められるという根拠をご提示ください。私が求めているのは実例の羅列ではなく、その旨を明記したものです(たとえば人名事典の編纂方針など)。
あと㭍月例祭さんは過去議論へのリンクをはられましたが、ここで主に議論されたのは「捕手」など属性表示に不可欠な肩書やその類似物の例です。これに対しミコトや「○○さま」などはあきらかな敬称で、記事名に不可欠な場合を除き入れるべきではありません。
(まとめ)「信頼できる情報源において最も一般的に」敬称付記が行われていたとしても、それを編集者が独断で「慣習」とみなすべきではありません。故人を呼び捨てにする表記が「信頼できる情報源で見いだせない」のはそれほどおかしいことではありませんので、それは根拠にはなりません。「読者が期待する記事名として最大手のもの」とは、中立性をたもち「その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」(WP:CRITERIA)です。敬称を付すのはそれが避けられない場合に限るべきで、ミコトがそうであるという十分な根拠は未だ示されておりません。--Aitok I会話2018年7月18日 (水) 05:37 (UTC)[返信]
返信 Aitok Iさんの主張には、一理ある部分もあるとは思います。「-命」と書かれた文献が10あろうが1000あろうが、「-命をつけるのが一般的だ」と明記された文献が1つなければ、「-命をつけるのが一般的だ」と考えることはできない、ということですね。
でも、それは、どうでしょう。「みなす」という概念をご紹介します。「みなす」というのは、A=Bでないとしても、AをBと同じように扱う、ということです。信頼できる情報源での言及が明らかに収束しているならば、それは「一般的だ」と「みなす」ことは妥当ではないでしょうか。
Aitok Iさんの主張に基づけば、ありとあらゆる記事名が、「○○というのが最も一般的である」と書かれた文献を示さない限り、「最も一般的であるかどうか」を判定できないということになりますよね。それってちょっとヘン、いかにも不合理だと思いませんか?この場合、「最も一般的である」と書かれた文献がどれだけ信用できるのか、というところに問題がシフトしていくだけだと思いませんか?
Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないを満たしながら記事の中で「これこれは一般的である[1]」と書く場合と、WP:CRITERIAに基づいて「信頼できる情報源において最も一般的に使われて」いるかどうかを判断する場合の話を、ごっちゃになさっていませんか?WP:CRITERIAには、「最も一般的に使われていると明記された文献がない限り、最も一般的と判断してはいけない」とは書かれていませんよね。
根拠として示された複数の文献について、その文献の出版元は思想的に偏向している、5冊とも同じ著者だとかいうように、個別具体的な問題点を指摘して、これでは「一般的」であるとは言えない、いうのであればわかります。ですが、平凡社・吉川弘文館・小学館・講談社・三省堂といったところから出ている文献での表記が一致しているならば、それは「一般的」とみなす・考える・取り扱うには、じゅうぶん合理的な材料といえるのではないでしょうか。そして、それらの判断を「独断」ではなく、複数の利用者でコンセンサスを形成するならばそれは「独断」ではなくなりますよね。
これは意地悪で言うのですが、Aitok Iさん流のやり方に則れば、「『古事記』は人代の人名の正式名称とするには適さない」とする文献を示さない限り、それは未証明です。「朝廷が定めた正史だから正式名称として採用すべし」というのは、本当に中立的と言えますか?「官史というものは、官の都合がいいように歪められている可能性があり、額面通りに受け取っていいかどうかは議論の余地がある」というような批評に耐えますか?
まあこういう揚げ足取りはともかく、WP:NC#PERSONには「古代の人名は日本書紀が正史であるからそれを正式名称として採用すべし」なとという規程はありませんよね。「認知度が高い」ならば、それが「正式名称」ではないとしても、それが記事名に採用されることも妥当なのです。(古代の人名というものに「正式」という概念が当てはまるかどうかというところもありますが。)
Aitok Iさんのロジックは、
  • (0)敬称は必ず中立性を損なう
  • (1)「命」は常に必ず敬称である
  • (2)ウィキペディアでは敬称は必ず除去すべしと決まっている
  • (3)だから「命」は必ずすべて除去しなければならない
というように構成されていますよね。私は、0-3の各命題について、大筋ではそういう面もあるかもしれないが、「常に・絶対に・100%」ではない、その例外には例外として1件づつ検討しましょう、という考え方をもっています。とくに古代の人名については、「-ミコト」(等)がついていたとしても、それは一般的な読者に敬意の念を呼び起こすものではない、と考えています。そこはAitok Iさんとは考え方が大きく違いますね。私は、「-ミコト」は、せいぜい「昔の人の名前っぽいなあ」程度の印象しか与えないものだと。たとえば江戸時代に「ナントカ越前守」みたいな名前の人がいるとして、この人は越前国の守護だ、とは思わないだろう、というのと一緒です。--柒月例祭会話2018年7月18日 (水) 08:47 (UTC)[返信]
  • Aitok Iさんの提案されている基本的に日本書紀の表記を使うということであれば、例えば神武天皇は「神日本磐余彦天皇」とするか、そこから「スメラミコト」を除いた「神日本磐余彦」とすべきということになりますが、Aitok Iさんのご意見はいかがでしょうか。--アルビレオ会話2018年7月18日 (水) 08:21 (UTC)[返信]
いちおう『日本書紀』にも「神武天皇」とありますが、これを後世の追記と見れば記事名は「神日本磐余彦天皇」か「神日本磐余彦」が適当です。しかし、WP:CRITERIAには「首尾一貫している」と規定がありますので、平安時代に絶える和風諡号ではなく現代まで存続する漢風諡号を使用するのが適当と判断できます。よって、神武天皇は現記事のままでよいと考えられます。--Aitok I会話2018年7月18日 (水) 08:46 (UTC)[返信]
>「最も一般的である」と書かれた文献がどれだけ信用できるのか、というところに問題がシフトしていくだけだと思いませんか?
そのとおりです。それが正しい進み方です。
「独断」は撤回します。この問題に関して必ずしも専門家ではない、ネット百科事典編集者の合意のみでの安易な判断は控えるべきということです。
>「朝廷が定めた正史だから正式名称として採用すべし」というのは、本当に中立的と言えますか?
そうするしかないのです。上古の人名について第三者の記録は存在しません。官撰史書を再優先すべきでしょう。今でも、正式な法人名は政府への届出名称とするのが一般的ではないでしょうか。
>「官史というものは、官の都合がいいように歪められている可能性があり、額面通りに受け取っていいかどうかは議論の余地がある」というような批評に耐えますか?
そんな問題は生じません。勘違いされているようですが、「正式」と「史実」は違います。そもそも初期の天皇の実在性は疑わしいですし、そのなかから史実を取り出すのは非常に困難です。百科事典で望ましい方法は、まず記録を示し、それに関する諸考察をまとめることです。ここで優先的に記事に採用すべきなのは官史・公記録です。たとえ公記録がほぼ100%ゆがめられているとしてもです。たとえば明治天皇公式崩御日は史実より一日遅らされているようですが、テンプレートでは公式のものを採用しています。それが非史実である旨は記事中で示せばよいのです。
敬称は必ず除去すべきとは言っておりません。よっぽど不適当な場合をのぞいて不記とすべきと言ったのです。
あと、越前守は守護ではなく国司です。
ミコトが敬意の念を呼び起こすものかどうかは、私や貴方が判断するものではありません。判断できない限り、通常の敬称と同じように扱うべきです。--Aitok I会話2018年7月18日 (水) 09:24 (UTC)[返信]
コメント Wikipediaでしか使用されない人名表記の可能性が高いということで、Wikipediaの三大方針の1つである独自研究は載せないを侵犯する案件であることは明らかになったので私としてはもう賛成に到る余地が無くなったのですが、少しだけコメントします。どうも議論が噛み合わないのですが、私(や柒月例祭さん)の言う「慣習」とは現代人物科学的慣習であって、人物当時(古代以前)の慣習ではありませんからね? 文字の無い時代(ましてや実在性の無い時代)の慣習などを論じてもナンセンスですし。現代日本語上で人物表記をどう決定して解説するかは我々ではなく人文科学の役割であり、Wikipediaが学術的百科事典を目指す以上、人文科学の動向を俯瞰する各三次文献の慣習に即して記述されるのが筋です。まあ理解して頂けないのでしょうが。--Saigen Jiro会話2018年7月18日 (水) 12:32 (UTC)[返信]