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司馬茂英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
司馬皇后
南朝宋の皇后
在位 永初3年5月21日 - 景平2年5月25日
422年6月26日 - 424年7月7日
別称号 海塩公主

全名 司馬茂英
出生 太元18年(393年
死去 元嘉16年(439年
配偶者 少帝
氏族 河内司馬氏(皇族
父親 恭帝東晋
母親 恭思皇后褚氏
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司馬 茂英(しば ぼうえい)は、南朝宋の少帝劉義符皇后本貫河内郡温県

経歴

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東晋の恭帝司馬徳文恭思皇后の娘として生まれ、海塩公主に封じられた。劉裕が宋公に封じられた後、彼の長男である劉義符に嫁いだ。夫より13歳年上であった。

永初元年(420年)、宋の成立に伴い劉義符が皇太子に立てられると、皇太子妃となった。

永初3年(422年)、少帝が即位すると、皇后に立てられた。

元嘉元年(424年)、少帝の廃位により営陽王妃に降格され、さらに南豊王太妃となった。

元嘉16年(439年)、死去した。享年は47。

伝記資料

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