司馬茂英
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司馬皇后 | |
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南朝宋の皇后 | |
在位 |
永初3年5月21日 - 景平2年5月25日 (422年6月26日 - 424年7月7日) |
別称号 | 海塩公主 |
全名 | 司馬茂英 |
出生 |
太元18年(393年) |
死去 |
元嘉16年(439年) |
配偶者 | 少帝 |
氏族 | 河内司馬氏(晋皇族) |
父親 | 恭帝(東晋) |
母親 | 恭思皇后褚氏 |
司馬 茂英(しば ぼうえい)は、南朝宋の少帝劉義符の皇后。本貫は河内郡温県。
経歴
[編集]東晋の恭帝司馬徳文と恭思皇后の娘として生まれ、海塩公主に封じられた。劉裕が宋公に封じられた後、彼の長男である劉義符に嫁いだ。夫より13歳年上であった。
永初元年(420年)、宋の成立に伴い劉義符が皇太子に立てられると、皇太子妃となった。
永初3年(422年)、少帝が即位すると、皇后に立てられた。
元嘉元年(424年)、少帝の廃位により営陽王妃に降格され、さらに南豊王太妃となった。
元嘉16年(439年)、死去した。享年は47。