劉智容

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

劉 智容(りゅう ちよう、423年 - 472年)は、南朝斉の高帝蕭道成の正室(即位前没)。皇后に追封された。本貫広陵郡

経歴[編集]

劉寿之と桓氏(上虞都郷君)の娘として生まれた。十数歳で蕭道成にとつぎ、蕭賾蕭嶷を生んだ。泰豫元年(472年)、死去した。享年は50。蕭承之の墓のそば、のちの泰安陵の地に葬られた。昇明2年(478年)、竟陵公国夫人の位を追贈された。昇明3年(479年)、斉国妃の位を追贈された。同年(建元元年)に斉が建てられると、昭皇后と追諡された。その後、夫のを重ねて「高昭皇后」と称された。

伝記資料[編集]