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片山安孝

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かたやま やすたか

片山安孝
生誕 1960年6月(64歳)
日本の旗 日本 兵庫県高砂市
出身校 中央大学
職業 地方公務員
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片山 安孝 (かたやま やすたか、1960年 <昭和35年> 6月2日 - ) は日本の地方公務員兵庫県公営企業管理者、同県信用保証協会理事長、同県副知事を歴任。

来歴[編集]

高砂市出身。地元の進学校白陵高校を卒業。1983年 中央大学法学部を卒業し、兵庫県庁に入庁。総務省自治行政局給与能率推進室に出向経験がある。その後人事畑を歩み、人事課長、2012年 企画県民部管理局長、西播磨県民局長、2016年 産業労働部長、公営企業管理者。県庁退職後の2021年4月 兵庫県信用保証協会理事長[1][2][3]。同年9月 兵庫県副知事に就任。「守るべきものを守り、変えるべきものは果敢に改める。職員の力を引き出し、斎藤元彦知事を職員全体で支える。38年勤務した県庁に恩返しをしたい」との抱負を語った[4]

県幹部の告発文書問題[編集]

2024年3月、西播磨県民局長 (当時) が斎藤知事のパワハラなどの疑惑7項目を内部告発した。なお、告発文には片山に関する項目も含まれていた。同月25日 片山は人事課長とともに同局に乗り込み、局長のパソコンを押収した[5]。同月27日 県は局長職を解任し直後に予定されていた定年退職も停止。5月に停職3か月の懲戒処分とした。6月 県議会が本件における百条委員会設置に向けて議案提出を検討した際には同議会最大会派である自由民主党県議団に対し片山は自身の辞職と引き換えに議案を提出しないよう依頼したが、拒絶された。この時点で片山は一旦辞職を翻意した[6]。7月7日 元局長が自殺と見られる状況で死亡した。それを受けて同月10日 兵庫県職員労働組合は斎藤の辞職を片山に申し入れた。翌11日 片山は斎藤に「一緒に辞職しませんか」と促したが斎藤は拒否。翌12日 片山は兵庫県庁で記者会見を開き、県政の混乱を招いた責任をとって同月末で辞任する意向を表明。「悔しゅうてしゃあない。一生懸命やってる知事を支えられなかった」と涙ながらに語った[7][8]。告発文書内にあるパーティー券の販売で商工会議所などに圧力をかけたなどと指摘されていることについていずれも「事実ではない」と述べるなど、自身に関して指摘された内容を否定した[9]

著作[編集]

  • 「地方公共団体の定員管理の取組--集中改革プランにおける定員管理の数値目標の状況について」『地方公務員月報』総務省自治行政局公務員課編 (520) 26-48, 2006-11
  • 「雇用確保推進プラン~ひょうごキャリアアップ・プログラム~について」『地方公務員月報』総務省自治行政局公務員課 編 (469) 20-32, 2002-08

人物[編集]

副知事就任時点で20年前から容姿はほとんど変わらない。播州弁を駆使し、播州人特有のユーモアとざっくばらんの人柄である[2]。産業労働部長時代、議会での地場産業振興の質問を受け、「地場産業の振興に一番効果がございますのは、地場産品を購入すること。私自身も播州織のシャツを着て、スーツの襟に真珠を付けて、たつののレザーの財布と豊岡鞄を持って、長田のビジネスシューズを履いて出勤しているところでございます」と答え、喝采をあびたこともある[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]