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涼風 (駆逐艦)

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涼風
艦歴
発注: マル2計画
起工: 1935年7月9日
進水: 1937年3月11日
就役: 1937年8月31日
その後: 1944年1月25日戦没
除籍: 1944年3月10日
性能諸元(計画時)
排水量 基準:1,685トン
全長 111m
全幅 9.9m
吃水 3.5m
機関 オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp
最大速力 34ノット
航続距離 18ktで4,000浬
乗員 226名
兵装 50口径12.7㎝連装砲 2基4門
50口径12.7㎝単装砲 1基1門
13mm連装機銃 2基
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(魚雷16本)
爆雷投射機2基
爆雷×16

涼風(すずかぜ)は、日本海軍駆逐艦白露型の10番艦(改白露型4番艦)である。第二次軍備補充計画(マル2計画)では改白露型を14隻建造の予定であったが、軍縮条約脱退もあり本艦で建造を打ち切り、残りは設計を改め朝潮型として完成した。

艦歴

浦賀船渠で1935年7月9日に起工し、1937年8月31日に竣工した。

1937年8月から「海風」「山風」「江風」と共に第24駆逐隊を編成し、1940年11月、第2艦隊第4水雷戦隊に編入された。1941年2月5日、呉で「山風」と触衝し修理を行った。太平洋戦争開戦以後、南方部隊に属しレガスピー上陸作戦、ラモン湾上陸作戦に従事。1942年1月から蘭印部隊に属しタラカン攻略作戦、バリックパパン攻略作戦に参加した。2月3日、スターリング湾外で哨戒中、敵潜水艦の雷撃を受け、応急修理の後佐世保に帰投し、7月まで修理を行った。8月11日、横須賀を出港し空母「千歳」をトラックまで護衛、17日からガダルカナル島輸送作戦に10回従事。10月26日南太平洋海戦、11月30日ルンガ沖夜戦に参加、12月、マダン攻略作戦に従事した。

1943年1月2日、ガダルカナル島輸送の途中、空爆を受け至近弾で損傷し、ラバウルで応急修理を行いガダルカナル島撤退作戦に従事の後佐世保に帰投、5月25日まで修理を実施した。6月16日、第4戦隊を横須賀からトラックまで護衛し、ラバウル輸送に従事。7月5日、コロンバンガラ島輸送の途中、クラ湾夜戦において被弾し損傷を受けた。横須賀で修理を行い、8月17日、第3戦隊を横須賀からトラックまで護衛し、その後、ラバウル輸送に従事。9月18日、第3戦隊をブラウン環礁方面へ護衛した。10月には、第5戦隊をラバウルまで、第3戦隊をブラウン方面へ護衛。同月末には戦艦「伊勢」「山城」、空母「隼鷹」を佐世保まで護衛した。整備後、12月に船団を佐伯港からトラックまで護衛し、陸戦隊をポナペナウルへ輸送した。

1944年1月24日にトラックを出港、「日置丸」「興津丸」をブラウンまで護衛の途中、25日ポナペ島北東で米潜水艦「スキップジャック」(USS Skipjack, SS-184)からの雷撃を受け沈没、山下艦長以下231名が戦死した。

歴代艦長

艤装員長

  1. 井上良雄 少佐(1937年5月1日 -)

艦長

  1. 井上良雄 少佐(1937年8月31日 -)
  2. 田中正雄 中佐(1938年12月15日 -)
  3. 守屋節司 少佐(1939年11月15日 -)
  4. 神山昌雄 少佐(1940年9月21日 -)
  5. 柴山一雄 少佐(1942年6月2日 -)
  6. 山下正男 少佐(1943年5月23日 - 1944年1月25日戦死)

同型艦

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。

関連項目