永島勝司

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永島 勝司(ながしま かつじ、1943年 - )は、かつて複数のプロレス団体の運営に携わった人物である。新日本プロレスでは取締役、WJプロレスでは専務取締役を務めた。島根県出身。

来歴[編集]

専修大学卒業後、毎夕新聞社を経て東京スポーツ新聞社に入社。東スポ在籍時からガッツ石松藤原敏男の実現に向けて暗躍するなど(石松の項参照)、後の「仕掛け人」としての片鱗を見せていた。その傍ら、その後の盟友長州力と懇意になる。 1988年、新日本プロレスに入社。渉外担当・企画宣伝部長として、UWFインターナショナルとの対抗戦などヒット企画を生み、「平成のプロレス仕掛人」あるいは「背広レスラー」の異名を取るに至る。 取締役時代には長州(当時の役職は現場監督)と共に新日本プロレスにおいて大きな発言力を誇った。

しかし、新日本プロレス内での派閥抗争に破れ、2002年、新日本プロレスを退団した。退団後、他団体のアングルを企画するなどの目的でナガシマ企画を設立した。ナガシマ企画は、後に新日本プロレスを退団した長州が合流し、名称をリキ・ナガシマ企画と変更した。永島は長州が合流したことにより、リキ・ナガシマ企画で長州力のプロデュースも行う予定でいた。

その後、長州のタニマチであった北海道を中心に活動する企業家・福田政二の資金協力が得られることとなり、福田政二を社長としたWJプロレスを設立し、自らは専務取締役に就任した。永島はリキ・ナガシマ企画をWJプロレスのアングルなどを企画する会社として活用する予定であったが、「WJプロレスに専念してほしい」という福田社長の意向により、リキ・ナガシマ企画は事実上の活動停止となった。

WJプロレスの設立に伴い、大森隆男佐々木健介らを次々と引き抜いた。このとき健介の新日本退団に対して永田裕志から「裏で手を引いている奴がいる。背広着て、煙草吸って、頭からごま塩をかけたやつだ」と永島[1]を非難するコメントが出された。上記の一件から、永島がネット上で「ゴマシオ」と呼ばれることがある。

2003年3月に旗揚げされたWJプロレスであったが、2004年7月、経営の悪化により活動休止。永島は残存レスラーによって立ち上げられたリキプロには関与せず、長州と袂を分かち、WJの内情を綴った「地獄のアングル」を出版。内外タイムスの格闘技記事の責任編集者としてマスコミ界に復帰したが、一身上の都合により2006年秋に退職。総合格闘情報フリーマガジン「VIVA FIGHT(ビバファイト)」編集人としても活躍。

2008年5月には、後楽園ホールで昭和の名レスラーを集めた「昭和プロレス」を主催した。

2012年6月、DDTにて高木三四郎が率いる「nWj」の最高顧問に就任した[2]

2016年1月、「バトル・ニュース」編集長就任[3]

著書[編集]

ラジオ[編集]

  • 雪崩式ブレーンバスターラジオ(2011年6月~2012年1月、Shinjuku-NET station)中田ちさととともにメインパーソナリティ

キャラクターグッズ[編集]

  • LINEスタンプ「劇画ゴマシオ親父の迷言」 - 永島K2プロダクション[4]

脚注[編集]

  1. ^ 名指しこそしていないがプロレスファンならこれが永島の風貌と解る可能性は高い
  2. ^ 2012年06月03日(日) 【6・3リポート①】永島氏登場、nWJの最高顧問に就任 DDTプロレスリング
  3. ^ 永島勝司編集長就任のお知らせ”. バトル・ニュース (2016年1月16日). 2016年4月30日閲覧。
  4. ^ “ゴマシオ親父”永島勝司がLINEスタンプに!”. バトル・ニュース (2016年4月29日). 2016年4月30日閲覧。

外部リンク[編集]