歩歩高

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広東歩歩高電子工業有限公司
現地語社名 广东步步高电子工业有限公司
企業形態 株式会社
業種 電子業
設立 1995年9月18日(23年前) (1995-09-18
創業者 段永平
本社 中華人民共和国の旗 中国広東省東莞市長安鎮烏沙步步高大道126號
製品 通信オーディオ
ウェブサイト www.gdbbk.com
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歩歩高(ブーブーガオ、: 广东步步高电子工业有限公司、略して步步高电子またはBBK)は、中国の電子機器メーカーである。

概要[編集]

1995年9月18日、中国広東省東莞市長安鎮において、段永平によって設立された。社名は「歩歩高昇」(中国語で「トントン拍子」)にちなむ。

主に児童向け・先生向けの語学学習機、教育用機器、電子辞書などを製造している。かつて「小霸王学習機」(という名前のファミコン互換機)の製造で知られたメーカー・小霸王の社員が独立してできた会社で、歩歩高自身もファミコン互換機を製造していた時期がある。

2017年現在、スマホメーカーのVivo、スマホメーカーのOPPO、スマホメーカーのOnePlus、AV機器メーカーのOPPO Digitalを傘下に持つ。特に「OV」と並び称される、スマホシェア世界4位のOPPOと5位のVivoのシェアを合わせると、実質的には世界2位のスマホメーカーである。VivoとOPPOの設立者・創業メンバーはともに歩歩高の出身であり[1]、また両社は歩歩高の設立者である段永平による財政支援を受けている。

なおBBK傘下の企業のうち、OPPOは歩歩高のAV部門が、Vivoは歩歩高の通信機器部門が独立してできた企業である。OPPO・OPPO DigitalとOnePlusは同じOujiaグループを形成しているが、OPPOとVivoはライバルとのこと。

歴史[編集]

1989年3月、大学に入り直して経済学の修士を取って卒業した当時30歳の段永平は、広東省中山市の怡華集団に就職し、その傘下の「小霸王」という社員20名の小工場に配属された。工場長に就任した段永平は、任天堂・ファミリーコンピュータの互換機の製造に参入することで赤字工場であった小霸王を建て直すことにして、1989年に「小覇王遊技機」を発売。なお、この時代のファミコン互換機は任天堂に無許可であり、ソフトも海賊版が多かったが、当時の中国は著作権法が未整備であったため、合法であった。

さらに段永平は、ゲーム機を遊ぶのは子供だが、これを実際に購入するのは親御さんであることを理解したため、「遊戯機」に自作の教育用ソフトウェアを付属させ、その一方で『ギャラクシアン』や『スーパーマリオブラザーズ』などのゲーム「も」遊ぶこともできるという、「学習機」との名目で販売する戦略を取った。中国全土の親御さんと子供がこれに飛びつき、小霸王は200万元の負債を抱えた小工場から、一気に売上高10億元の大企業へと成り上がった。“小霸王遊戯機”、あるいは“学習機”は、1990年代の中国大陸で普及したファミコン互換機の代名詞となっている。なお、この「小霸王」シリーズは一説によると2000万台以上売れ、日本のファミコンの販売台数を超えたという。

その後段永平は、「小霸王学習機」で儲けた資金を電子辞書の開発に費やした。当時はパソコンはまだまだデカい上に高価で、しかもソフトウェアの操作は複雑であった。もちろんスマホも存在しない時代である。そこで当時の中国ではそれまでの10年ほどの期間に電子辞書の普及が進んでいたが、外国産である電子辞書は中国の人民にはかなり高価だった(なお1990年代の中国における「小霸王学習機」や「電子辞書」の普及に関しては、一人っ子政策のために教育熱心な親御さんが多かったという裏事情がある)。そのような市場の状況を見抜いた段永平は、電子辞書に参入して大成功をおさめ、中国国内市場を支配した。黎明期でも成長期でもなく、市場が成長し切った停滞期にこそ参入して成功するという哲学は、ファミコン互換機時代からその後のスマホ時代までも貫かれている[2]

しかし段永平は小霸王の経営陣と対立し、数名のメンバーとともに辞職して独立する(この時、段永平と共に辞職した陳明永が後にOPPOを設立、沈煒が後にVivoを設立する)。1995年9月18日、歩歩高の前身となる広東力高電子有限公司が設立される。1996年には力高電子から步步高電子に名前を改める。1997年8月、歩歩高は大スター・ジェット・リーVCDプレーヤーの広告に起用。また、1999年7月には大スター・張恵妹を「復読機」(語学学習用の多機能カセットテープ再生機で、カセットの一部や自分の発音をメモリに読み込んでリピートできる)の広告に起用。このように広告に多量の金をかける戦術で歩歩高の名前を広め、2000年10月、「歩歩高」は広東省産業管理局に「有名な商標」と認定される。2002年2月には、国家工商行政管理総局商標局に「中国馳名商標」と認定される。

2002年9月、歩歩高の電話機が国家質検総局に“中国名牌産品”と認定される。2003年6月、広東省科学技術庁に“高新技術企業”と認定される。歩歩高は2001年にiPodブームが起きた後、2004年から「OPPO」のブランド名でMP3・MP4プレーヤーを売り出すなど、歩歩高が山寨(パチモノ)同然の露骨な後追い製品を大量の広告で売るという戦術を取っていることは中国人民にも見え見えだったが、それでも凡百の山寨機とは違って技術と品質が必要十分なレベルを保っていたことが、歩歩高が若者の信頼と支持を得て大きくなれた理由だという[3]

2001年に段永平が歩歩高電子の経営から退いて米国に移住した後、歩歩高電子の経営は陳明永や沈煒らに委ねられた。段永平は歩歩高集団の董事長を務める傍らで投資家となり、「中国のウォーレン・バフェット」の異名を取る。

2010年代においても歩歩高電子は教育機器で安定した利益を上げており、「Vivo」ブランドでスマホ市場に再参入した時の広告攻勢にはその利益があてられた。

2016年、新ブランド「imoo」でスマホ事業に4度目の参入。

参考資料[編集]

外部リンク[編集]