樋爪館

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樋爪館
岩手県
別名 比爪館
城郭構造 城館
天守構造 なし
築城主 樋爪氏(比爪氏)
築城年 12世紀初頭
主な城主 比爪俊衡・比爪季衡
廃城年 1189年(文治5年)
遺構
指定文化財 町指定史跡
位置 北緯39度32分03.1秒 東経141度09分49.7秒 / 北緯39.534194度 東経141.163806度 / 39.534194; 141.163806座標: 北緯39度32分03.1秒 東経141度09分49.7秒 / 北緯39.534194度 東経141.163806度 / 39.534194; 141.163806
地図
樋爪館の位置(岩手県内)
樋爪館
樋爪館

樋爪館(比爪館)(ひづめだて、または、ひづめのたち)は、岩手県紫波郡紫波町日詰字箱清水に所在した日本の城。紫波町指定史跡[1]

概要[編集]

比爪館は12世紀の館址で、規模は東西320メートル、南北290メートルの平坦な土地(現・赤石小学校の敷地を含む一帯)である。館の南側は五郎沼に接し、東は国道4号線に接する。発掘調査の結果、沼のある南をのぞく三方は幅10メートル前後、深さ1.5メートル前後の大溝で囲われていたことが判明している。

歴史・沿革[編集]

奥州藤原氏の一族、比爪太郎俊衡・五郎季衡兄弟の居館址。出土遺物の年代から、12世紀初めから後半まで存続したとされる。

1189年文治5年)に奥州藤原攻めが開始され源頼朝に攻められたとき、比爪俊衡らの一族は館を自焼して北走した(「吾妻鏡」)。

1926年(大正15年)には南接する五郎沼の浚渫の際に12世紀の土器(かわらけなど)や建材が出土し、1965年(昭和40年)から最近まで、紫波町教育委員会により32次にわたり調査が行われた。

脚注[編集]

  1. ^ 「樋爪館跡」紫波町公式HP

参考文献[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店、1985年3月8日ISBN 4-04-001030-2
  • 「紫波町史」編纂委員会 『紫波町史 1 原始~近世』 紫波町、1972年3月31日
  • 紫波町教育委員会 『比爪館遺跡第一次発掘調査報告書 ~ 同第23次24次発掘調査報告書』 紫波町、1965年3月31日 ~ 2013年3月31日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]