棚田伸
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名前 | ||||||
カタカナ | タナダ シン | |||||
ラテン文字 | TANADA Shin | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1969年7月25日(55歳) | |||||
出身地 | 広島県広島市 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
棚田 伸(たなだ しん、1969年7月25日 - )は、広島県広島市安佐北区口田(高陽町)出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィルダー)。1994年の柏レイソルのJリーグ昇格をもたらした名選手である。
来歴
広島県立工業(通称・県工)出身で、金田喜稔・石崎信弘・木村和司・猿沢茂らの後輩。棚田の2つ後輩に桑原裕義、梶山洋一がいる。県工時代は1年からレギュラー。テクニックのあるレフティーで広島のマラドーナと呼ばれた。1985年高校総体ベスト4、1987年高校選手権では準決勝まで勝ち進んだ室蘭大谷高校に初戦、PK戦で敗れた。この時唯一外したのが棚田である。順天堂大学を経て1992年日立製作所サッカー部(現・柏レイソル)入団。
小柄ながらキレのあるドリブルと鋭い得点感覚を持ち、高い技術を武器に、入団後すぐにポジションをつかむと、あっという間にチームの主軸へと成長、10番を背負った。1992、1993年と2年連続ジャパンフットボールリーグ(JFL)ベスト11。1993年JFL新人王。1994年Jリーグ昇格へ大きく貢献し、1995年 Jリーグ初年度には、44試合出場し16得点とチーム得点王と活躍。しかし年末の天皇杯で左膝十字靭帯断裂という大怪我を負い、約1年間のリハビリ生活を送る。
翌1996年大怪我からの復帰。だがかつてのキレを取り戻すには至らず、スーパーサブ的な起用法で使われ、出場すれば何かやってくれる選手として人気があったが、出番は減少。1998年から岡田武史が監督をしていたコンサドーレ札幌でプレー。孤軍奮闘したが翌1999年引退。
現在は東京都稲城市でサッカースクール他を運営する「プログレッソ」の代表を務めている。
所属クラブ
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | 日立 | 旧JFL1部 | 16 | 2 | - | ||||||
1993 | 柏 | 旧JFL1部 | 18 | 3 | 6 | 0 | 1 | 0 | 25 | 3 | |
1994 | 柏 | 旧JFL | 17 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 2 | |
1995 | 柏 | - | J | 44 | 16 | - | 1 | 0 | 45 | 16 | |
1996 | 柏 | - | J | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 |
1997 | 柏 | J | 18 | 2 | 5 | 1 | 2 | 0 | 25 | 3 | |
1998 | 柏 | J | 5 | 0 | 0 | 0 | - | 5 | 0 | ||
札幌 | J | 8 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 11 | 4 | ||
1999 | 札幌 | J2 | 32 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 35 | 1 | |
通算 | 日本 | J1 | 77 | 21 | |||||||
日本 | J2 | 32 | 1 | ||||||||
日本 | 旧JFL | 51 | 7 | ||||||||
総通算 | 160 | 29 | 13 | 1 |
その他の公式戦
- 1998年
- J1参入決定戦 4試合1得点
個人タイトル
- JFLベストイレブン(1992、1993年)
- JFL新人王(1993年)