柿崎町
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かきざきまち 柿崎町 | |||||
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廃止日 | 2005年1月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 東頸城郡安塚町、浦川原村、大島村、牧村、中頸城郡板倉町、大潟町、柿崎町、清里村、頸城村、中郷村、三和村、吉川町、西頸城郡名立町→上越市 | ||||
現在の自治体 | 上越市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
郡 | 中頸城郡 | ||||
市町村コード | 15541-1 | ||||
面積 | 85.39 km2. | ||||
総人口 |
11,948人 (2004年8月31日) | ||||
隣接自治体 | 柏崎市、大潟町、吉川町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | ハマナス | ||||
柿崎町役場 | |||||
所在地 |
〒949-3292 新潟県中頸城郡柿崎町大字柿崎6405 | ||||
座標 | 北緯37度16分36秒 東経138度23分27秒 / 北緯37.27667度 東経138.39078度座標: 北緯37度16分36秒 東経138度23分27秒 / 北緯37.27667度 東経138.39078度 | ||||
ウィキプロジェクト |
柿崎町(かきざきまち)は、かつて新潟県中頸城郡に属していた町。上越市への通勤率は17.1%(平成12年国勢調査)。北国街道の宿場町として発展した[1]。2005年(平成17年)1月1日に上越市に編入し、町域は地域自治区の柿崎区となった。
地理
[編集]北側は日本海に面していた[1]。北東部は佐渡弥彦米山国定公園に含まれており、米山は霊峰とみなされていた[1]。
隣接していた自治体
[編集]人口
[編集]- 柿崎町時代
- 1960年(昭和35年) - 3,193世帯、16,391人
- 1970年(昭和45年) - 3,245世帯、14,111人
- 1980年(昭和55年) - 3,495世帯、13,702人
- 1990年(平成2年) - 3,386世帯、12,880人
- 2000年(平成12年) - 3,574世帯、12,116人
- 上越市編入後
- 2010年(平成22年) - 3,527世帯、11,060人
- 2020年(令和2年) - 3,405世帯、9,270人
歴史
[編集]沿革
[編集]- 江戸時代 - 北国街道の宿場町として栄えた[1]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、中頸城郡柿崎村が成立。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 犀浜村,下黒川村の一部と合併して柿崎村となる。
- 1908年(明治41年)10月1日 - 七ヶ村と合併して柿崎村となる。
- 1934年(昭和9年)1月1日 - 町制施行して柿崎町となる。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 下黒川村,黒川村,黒岩村と合併して柿崎町となる。
- 1989年(平成元年) - 上輪、高畔、蕨野の3大字が柏崎市に編入される。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 周辺13町村とともに上越市へ編入される。
行政
[編集]歴代町長
[編集]- 初代 - 小松邦治郎(こまつくにじろう)
- 楡井辰雄(にれいたつお) - 1999年4月30日から
経済
[編集]漁業
[編集]- 柿崎漁港
姉妹都市・提携都市
[編集]国内
[編集]国外
[編集]- 新林第八洞(大韓民国ソウル特別市冠岳区)
教育
[編集]小学校
[編集]中学校
[編集]高等学校
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 町内にあるインターチェンジ:北陸自動車道 - 柿崎インターチェンジ
- 一般国道
- 町内を走る一般国道:国道8号
娯楽
[編集]- 柿崎平和館 - 映画館[2]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 柿崎中央海岸
- 上下浜温泉・ハマナスふれあいセンター
- 栃窪温泉・鷺乃湯
- 米山薬師
- 浄福寺 - 親鸞にまつわる遺物がある[1]。
- 浄善寺
- 密蔵院 - 護摩堂には壁面彫刻がある[1]。
- 楞厳寺 - 柿崎景家の菩提寺[1]。