松月院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
松月院
Syogetsuin temple entrance itabashi 2009.JPG
所在地 〒175-0092
東京都板橋区赤塚8丁目4番9号
位置 北緯35度46分53秒
東経139度38分51秒
山号 萬吉山
正式名 萬吉山宝持寺松月院
法人番号 5011405000389
テンプレートを表示

松月院(しょうげついん)は、東京都板橋区赤塚にある曹洞宗寺院。山号は萬吉山(ばんきざん)。正式名称は、萬吉山宝持寺松月院

歴史[編集]

当寺院は、房総に勢力を持っていた武将千葉自胤康正2年(1456年)に現:千葉県市川から赤塚城に移り、その後1492年に当地にあった古寺・宝持寺を自身の菩提寺として定め、土地を寄進し、松月院と名を改めさせたのが始まりであるといわれている。

江戸時代には、当寺院は徳川家康に認められ、40石の朱印地が与えられた。他歴代の将軍からも保護を受け発展した。

幕末には、砲術家として名高い高島秋帆1841年に近隣の徳丸ケ原(現在の高島平付近。高島平の名は高島秋帆にちなんでいる)で西洋式の砲術訓練を行った際に本陣がこの松月院に置かれた。この訓練は当時の大名などを驚かせ、高島秋帆に大きな名声を与えたものであった。またこの松月院の名を有名なものにもした。

明治時代には、一時期旧赤塚村の村役場が境内に置かれた。その後現在でも、板橋十景に選ばれるなど板橋区内でも由緒ある寺院としてその名が知られている。

史跡[編集]

  • 千葉自胤の墓
  • 下村湖人の墓 - 『次郎物語』で知られる20世紀小説家。下村湖人は、松月院がある赤塚一帯の風景が殊のほか気に入り、『次郎物語』にも赤塚の地を登場させている。また松月院にもよく立ち寄った。
  • 高島秋帆顕彰碑
  • 新東京八名勝の記念石碑 - 1932年東京市が近隣町村と合併・拡大されたの記念し、報知新聞社の企画で新たな名勝地を「新東京八名勝」として一般読者の投票により決めた際に松月院が第5位になり、八名勝のひとつに選出されたのを記念して作られた石碑。
  • 松宝閣(寺宝館) - 高島秋帆や千葉氏にまつわる資料などを展示している。

赤塚大堂[編集]

赤塚大堂

近隣にある寺院で、松月院が管理している。

現在では阿弥陀堂と梵鐘のみ残されているが、創建は大同年間(806-810年)と板橋区最古を誇る。戦国時代に焼失したが、かつては七堂伽藍があった大寺院であったという。

梵鐘は暦応3年(1341年)の作で都内最古のもの。

施設[編集]

当寺院が母体となって、隣接してある『松月院幼稚園』を運営している。

アクセス[編集]

近隣施設[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]