高島平

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高島平
—  町丁  —
高島平駅に到着する都営地下鉄三田線列車
高島平の位置(東京23区内)
高島平
高島平
高島平の位置
座標: 北緯35度47分20.67秒 東経139度39分41.16秒 / 北緯35.7890750度 東経139.6614333度 / 35.7890750; 139.6614333
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Itabashi, Tokyo.svg 板橋区
地域 志村地域(1・9丁目)
赤塚地域(2~8丁目)
面積
 - 計 3.130km2 (1.2mi2)
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 49,995人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 175-0082[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬

高島平(たかしまだいら)は、東京都板橋区町名[4][5]。現行行政地名は高島平一丁目から九丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は175-0082[2]

地理[編集]

板橋区北部、荒川及び新河岸川南岸に位置する後背湿地。総面積313ヘクタール。北側に新河岸、西側に三園、南側に大門四葉徳丸西台、東側に蓮根と接している。高島平一丁目から高島平九丁目まであり、高島平二丁目は約3分の2、高島平三丁目は約2分の1の面積が高島平団地(高島平二丁目が賃貸、高島平三丁目が分譲)である。とくに高島平六丁目は埼玉県との境界から200mとなっているほか、東京都中央卸売市場板橋市場やトラックターミナルを中心とする物流拠点となっている。高島平駅北口の高島平八丁目には商店や飲食店が多く、買い物客で賑わう。高島平九丁目には都営三田線車両基地である志村車両検修場があり、その上に都営住宅が建っている。

区画は整理されており、町域内は高島平五丁目を除いて東西と南北の道路がほぼ90度に交差し、住所表示による道順案内が容易にできる。荒川の後背湿地のため、全体が平坦な土地で、町域内の高低差はほとんどない。地域内を流れている前谷津川とその支流はすべて暗渠となっており、その上が遊歩道となっている。

周辺の新河岸三園を含めて高島平地域、高島平地区などと呼ばれることもある。明治から大正時代までは大半が北豊島郡赤塚村に属したため、赤塚地域の一部とされることもあり、警察署郵便局などはこの区分を基本としている。

地価[編集]

住宅地の地価は、2017年平成29年)1月1日公示地価によれば、高島平1-37-4の地点で33万3000円/m2となっている[6]

歴史[編集]

航空写真に見る高島平付近。高島平二丁目と都営地下鉄三田線高島平駅が中心。1974年度撮影。当時は、団地と清掃工場(=右上)以外、見るべき建物がなかった。

団地建設以前[編集]

団地建設以前の高島平の歴史は、徳丸ヶ原も参照。

  • 1841年天保12年)砲術家高島秋帆が当地域にて、日本で初めてとなる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行う。
  • 1871年明治4年)11月14日 - 大部分が浦和県(現埼玉県)から東京府に編入され、現在の高島平の全域が東京府内となる。
    • それ以前、長らく「徳丸ヶ原」と呼ばれる[7]農作地であった。
  • 1948年昭和23年)7月:当地域が特別都市計画法に基づく「緑化地域」に指定される。[8]
  • 1958年(昭和33年):東京都が土地区画整理事業の実施を条件として緑化地域指定解除の方針を示す。
  • 1962年(昭和37年)5月:土地区画整理事業準備組織として「旧赤塚水田地帯開発協議会」が発足する。
  • 1965年(昭和40年)6月:土地区画整理事業施行地域が確定する。
  • 1965年(昭和40年)12月:東京都交通局により、都営地下鉄6号線(現・三田線)が着工される。
  • 1966年(昭和41年)12月:日本住宅公団(現・都市再生機構)を土地区画整理および団地造成事業主とすることが決まる。当初は5階建て中層住宅建設を予定していた。
  • 1968年(昭和43年)12月:都営地下鉄6号線巣鴨-志村間開通。当地域内に西台駅志村駅が開業する。
  • 1969年(昭和44年)3月1日:板橋区による住居表示実施に伴い高島平一丁目~九丁目が発足する。高島秋帆にちなむ町名が採用された。
  • 1969年(昭和44年)7月:高島平団地事業計画が14階建て高層団地主体に変更される。
  • 1969年(昭和44年)8月1日:都営地下鉄志村駅が「高島平」に改称される。
  • 1969年(昭和44年)12月:日本住宅公団による団地建設着工。
  • 1970年(昭和45年)10月:東京都道447号赤羽西台線(現在の高島通り)供用開始。
  • 1972年(昭和47年)1月:高島平団地第一次入居開始。
  • 1972年(昭和47年)3月:高島平団地竣工、土地区画整理事業終了。

団地建設以後[編集]

高島平団地への入居開始は1972年(昭和47年)から始まった。高島平団地の総戸数は10,170戸。団地以外の地域も、高島平全域が新興住宅地であり、地下鉄山手線の駅への交通が確保されていたことから、若年層が多く入居した。旧来よりこの土地に生活していた人々は多くなかったが、その大半は立ち退き、あるいは整備された宅地に転居した。この結果、それまで一面の田んぼだった徳丸ヶ原には、高島平団地のみで2万人以上、高島平全域で5万人の人口を抱える一大住宅都市が出現した。こうして全く新しいコミュニティーが形成された結果、高島平には就学前教育機関小学校中学校高等学校が公の手で整備され、団地内には図書館・警察署・消防署(出張所)・役所板橋区役所高島平出張所)・病院などが順次整備された。さらに、商業施設やスポーツ・レクリエーション施設も多く投資・整備された。

この結果、多くの高島平居住民は地域内で生活全般が充足され、地域内の結びつきをより強くすることになった。当時分譲された高島平一丁目・高島平四丁目・高島平五丁目は戸建住宅街として当時中間所得層の人気を集め、現在[いつ?]に至るまで全般に地域社会は循環している。これに対して、団地地区では居住民の子弟が成人後、あるいは就職後に独り立ちするなどして、1992年をピークに人口が減少に転じ、高齢化問題が表面化している。

かつて、最盛期に高島平には公立(板橋区立)の高島第一から高島第七まで7つの小学校、同第一から第三までと西台の4つの中学校があった。高島平団地も1991年(平成3年)には2万5千人が住むピークを迎えたが、1994年(平成6年)より人口の減少が見られるようになり、少子化が顕著となった[9]。その為、いくつかの小学校は統合・廃校となった。中学校に関しては全体の教育水準が高く越境入学なども見られることから統合の予定はないが、全体的な生徒数は減少傾向にある。

問題[編集]

高島平団地

1970年代、都内にはまだ高層建造物が珍しかったことや、オフィスビル等と異なり一般住宅という性格上外部からの侵入が至って容易であり、また高層階も低層階と同程度の落下安全対策しか取られていなかったこともあって投身自殺に訪れる人が多く、特に1977年4月に父子3人が投身自殺をしてからマスメディアから「自殺の名所」と呼ばれた[10]。その数は1980年(昭和55年)には133人に達し[11]、社会問題になった。ちなみに、1980年(昭和55年)だけでも1月から7月14日までの期間に飛び降り自殺した者が19名いた事が7月24日付の新聞に載っている[要出典]。そこで内閣府が所管する日本開発構想研究所が分析と対策を研究し[12]1981年(昭和56年)に高層団地の3階以上の廊下や非常階段などの共用部分に花や鳥を模したフェンスを張り、屋上を侵入禁止にするなどの対策がとられた。その結果、団地内での投身自殺は激減し、ほとんどなくなったが、皮肉にも自殺防止の目的で設置したフェンスや階段の手摺りに紐やベルトを巻き、首吊り自殺を行うようになった。高島平の団地は、現在においても3階以上の廊下や階段などには原則としてフェンスが設置されている。

現在では、高島平団地における少子高齢化問題が顕著となっており、2012年(平成24年)の調査によると高島平団地に住む16,804名の内、65歳以上の割合が6,904名で41.1%となる[13]。さらには、55歳から64歳の割合が3,120名で18.6%を占めるため、今後も高齢化率がさらに加速するものと考えられる。一方、15歳未満の子供の割合が842名で住民全体の5.0%に過ぎない[14]。また、築年数40年を超える建造物であることから、高齢者が居住することを前提に考えられた居住環境ではないが、高島平団地に住む55歳以上の平均居住年数は24.4年であり、要支援・要介護認定を受けているにも関わらず住居のバリアフリー化が行われていない世帯が多い事も問題となっている。さらには独居世帯が多く、55歳以上の調査で一人暮らしの割合が53.2%となっている[15]。 世帯数は8,500世帯以上であり、空室が目立ってきている。その為、若年層世帯の獲得に向けたリノベーションや高齢者が住みやすい環境を整えるべく福祉住環境を整えたり、空室を利用して訪問介護と包括して利用できるサービス付き高齢者向け住宅の構築など対策が急がれている。

また、外国人入居者が増加傾向となっており全体の4.8%となる801名が高島平団地に住む。外国人のみでは65歳以上は0.6%、15歳未満は14.2%となっており外国人に関しては生産年齢人口の割合は高い。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
高島平一丁目 4,508世帯 8,182人
高島平二丁目 8,638世帯 13,585人
高島平三丁目 2,938世帯 5,779人
高島平四丁目 981世帯 1,968人
高島平五丁目 1,667世帯 3,246人
高島平六丁目 58世帯 58人
高島平七丁目 2,706世帯 4,809人
高島平八丁目 2,014世帯 3,712人
高島平九丁目 4,646世帯 8,656人
28,156世帯 49,995人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[16]

丁目 番地 小学校 中学校
高島平一丁目 全域 板橋区立高島第六小学校 板橋区立西台中学校
高島平二丁目 全域 板橋区立高島第二小学校 板橋区立高島第二中学校
高島平三丁目 13番
1~12番 板橋区立高島第五小学校 板橋区立高島第三中学校
高島平四丁目 全域 板橋区立高島第三小学校
高島平五丁目 全域
高島平六丁目 全域
高島平七丁目 全域 板橋区立高島第一小学校 板橋区立高島第一中学校
高島平八丁目 1~17番
24番
33番
18~23番
25~32番
板橋区立新河岸小学校
高島平九丁目 1番 板橋区立高島第六小学校 板橋区立西台中学校
2~11番
28~37番
44〜45番
板橋区立蓮根第二小学校
12〜13番
24~27番
38~43番
46〜47番
板橋区立高島第一中学校
14~23番
48番
板橋区立高島第一小学校

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

路線バス
高速バス

道路[編集]

町域内に設置された首都高速5号池袋線の出入口は高島平出入口だが、埼玉県寄りの位置にあるため、池袋方面へは中台出入口を利用するものも多い。

施設[編集]

商業施設[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 町丁目別世帯数・人口表”. 板橋区 (2017年12月1日). 2017年12月11日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月11日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月11日閲覧。
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店1991年再版、P795
  5. ^ 『いたばしの地名』板橋区教育委員会1995年、P189-190
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ 西台たんぼ、徳丸たんぼ、赤塚たんぼ、と、地名に応じて区分して呼ばれることもあった。
  8. ^ 板橋区ホームページ「高島平地域グランドデザイン素案を作成しました 第一部第2章 高島平地域の現況と特徴」(2015年)
  9. ^ “ニュータウンと団地の再生 東京・高島平団地 ~ 高島平団地の再生プロジェクト ~”. 月刊「地域づくり」. (2010年6月). http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/book/monthly/1006/html/f05.htm 2014年1月28日閲覧。 
  10. ^ 上條昌史「『おかあさんは、地獄へいけ』母親蒸発で父と逝った子供たちの壮絶遺書」『新潮452008年6月号、新潮社、p.54
  11. ^ 『高島平 その自然・歴史・人』板橋区郷土資料館編(1998年
  12. ^ 報告書『高島平団地投身自殺防止対策の研究』日本開発構想研究所(1975年
  13. ^ 定住外国人を除いた日本人のみの割合なら43.1%となる。
  14. ^ “超高齢社会における住まい・コミュニティのあり方検討会最終とりまとめについて ~ UR団地を地域の医療福祉拠点として、国家的なモデルプロジェクトの実践 ~”. 都市再生機構(.pdfファイル). (2014年1月9日). http://www.ur-net.go.jp/press/h25/ur2014_press_0109_choukourei.pdf 2014年1月28日閲覧。 
  15. ^ “2【参考資料2】二次調査(生活実態調査)結果”. 板橋区(.pdfファイル). (2012年5月17日). http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_oshirase/044/attached/attach_44872_8.pdf 2014年1月28日閲覧。 
  16. ^ 板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内”. 板橋区 (2017年7月31日). 2017年12月11日閲覧。
  17. ^ a b “東急ストア「高島平とうきゅう」地域最大食品売場で開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年5月14日)
  18. ^ “「ライフ高島平店」開店、少量目パックを充実”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年9月4日)

外部リンク[編集]