松平直巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平直巳
Matsudaira Naooki.jpg
松平直巳
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 天保3年2月23日1832年3月25日
死没 大正6年(1917年3月23日
官位 従五位下佐渡守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂慶喜明治天皇
出雲広瀬藩
氏族 越前松平家支流広瀬松平家
父母 松平直寛、安達氏
松平直諒
兄弟 直諒菅谷政徳直審蒔田定詢直慈米津政雅河野道久直行町野直在
芦野資貞直巳、蔵子、酒井道教室、
阿部正義正室、佐野時行正室、
平野長発継室、泰、松平信敏正室、高木某正室ら
内藤正義幸姫松平信順愛姫吉田良熙錦姫
直平
テンプレートを表示

松平 直巳(まつだいら なおおき)は、江戸時代後期の大名出雲国広瀬藩10代(最後の)藩主。官位従五位下佐渡守。直政系越前松平家広瀬藩分家10代。のち藩知事

略歴[編集]

8代藩主・松平直寛の十一男として誕生した。母は側室の安達氏。

文久元年(1861年)、兄・直諒の死去によりその養子として家督を継いだ。しかし兄のように有能ではなく、幕末期の政局に耐えられる人物ではなかったため、藩は混乱したという。しかし家老岩崎広勤の手腕により、医学所や洋学所を設置して人材育成に努めた。明治2年(1869年)の版籍奉還で広瀬藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県東京に移住した。明治9年(1876年)、養子の直平松江藩松平定安の四男)に家督を譲る。

大正6年(1917年)3月23日、86歳で死去した。

系譜[編集]