松平定盛

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松平定盛
時代 江戸時代前期
生誕 寛永15年1月30日1638年3月15日[1]
死没 延宝2年9月19日1674年10月18日
改名 千松(幼名)→定治(初名)→定盛
官位 従五位下紀伊守主計頭
伊予松山藩世嗣
氏族 久松松平家定勝
父母 父:松平定頼、母:諸説あり[2]
兄弟 真修院、酒井忠直正室、定盛、正寿院、
定長、仙寿院、定重
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松平 定盛(まつだいら さだもり)は、江戸時代前期の伊予国松山藩の世嗣。官位従五位下紀伊守主計頭

略歴[編集]

2代藩主・松平定頼の長男として誕生した。定勝系久松松平家宗家の嫡男として生まれ、慶安2年(1649年)に徳川家光に拝謁する。明暦元年(1655年)叙任するが、寛文2(1662年)に父の死と前後して廃嫡された。代わって、弟の定長が遺領を継いだ。

延宝2年(1674年)、37歳で没した。

脚注[編集]

  1. ^ 『松山市史料集 第2巻』(松山市、1987年)p.1021「松山城主久松氏系譜略」
  2. ^ 寛政譜などには「母は京極高広娘」と記載、松山叢書には「本藩譜云御母側室某氏」と記載されている。