東西定期航空会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

東西定期航空会(とうざいていきこうくうかい)は、1923年から1929年までの間、朝日新聞社が主催し白戸栄之助伊藤音次郎らが協力して運営した、東京大阪間を結ぶ航空会社である。

概要[編集]

1923年(大正12年)1月11日大阪の城東練兵場から浜松の三方が原を中継し、東京府洲崎の埋立地第1号地への飛行を行い、皇室に献上する鮮魚の籠などの小荷物を運んだ。第1回の飛行でも霧の中の着陸となり機体は損傷した。陸軍払い下げの中島式5型、7機で週1便の郵便飛行を開始し、1926年からは週3回に増便された。しかしこの間の1923年2月22日に島田武男飛行士、4月28日に高橋信夫飛行士が事故死し、白戸栄之助は航空界を引退した。

1926年に朝日新聞航空部が成立する。1928年8月にはドルニエ コメットを用いて定期旅客運送を始めた。しかし1928年10月30日に政府主導のもとに、日本航空輸送株式会社が設立され、東西定期航空会と、川西清兵衛が設立した日本航空株式会社は統合され、翌1929年3月31日には航空輸送業務を無償で譲渡し、消滅した。東西定期航空会は、飛行回数4009回、延べ5,767時間の飛行記録を残した。

その後[編集]

その後、朝日定期航空会がドルニエ コメットを使用して東京と新潟県を結ぶ定期旅客路線の運航を開始した。しかし数年で運航を取りやめ、1935年から1936年にかけて同機材は朝日新聞で「空飛ぶ編集室」として使用された後に東京本社の屋上に展示された。

第二次世界大戦後、朝日新聞航空部に所属していた美土路昌一中野勝義によって興民社が立ち上げられ、これが母体となり日本ヘリコプター輸送が成立。後に合併し現在の全日本空輸となり、現在も朝日新聞は全日本空輸の大株主として深い関係にある。また朝日新聞航空部は現在も存続し、2011年には航空機使用事業を開始した。[1]

参考[編集]

  • 『朝日新聞社訪欧機 神風』山﨑明夫著、三樹書房(2005年)

脚注[編集]

  1. ^ http://www.asahi.com/shimbun/release/20110215b.html

外部リンク[編集]