本法寺 (京都市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
本法寺
Honpoji17s3216.jpg
本堂
所在地 京都府京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町617
位置 北緯35度2分6秒
東経135度45分7.8秒
山号 叡昌山
宗派 日蓮宗
寺格 本山
本尊 三宝尊
創建年 1436年(永享8年)
開山 日親
開基 本阿弥清信
札所等 洛中法華21ヶ寺
文化財 紙本著色仏涅槃図(重要文化財)ほか
地図
本法寺 (京都市)の位置(京都市内)
本法寺 (京都市)
テンプレートを表示
多宝塔
山門
庫裡
巴の庭
十(つなし)の庭

本法寺(ほんぽうじ)は、京都府京都市上京区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は叡昌山。塔頭が三院ある(尊陽院、教行院、教蔵院)。

概要[編集]

法華行者として、強い信念をもつ日親は、1439年(永享11年)足利義教の屋敷へ赴き、庭中へ直訴し諌暁を図る。足利義教に「世の中が乱れているのは法華経を信仰していないから」と説いたのである。驚いた幕府は諌暁を禁止する。それでも日親は諦めることなく、身命を賭けた諌暁書「立正治国論」を著したため怒りに触れ、寺を焼かれ投獄される。1441年(嘉吉元年)赤松満祐の謀反で足利義教が暗殺されたことで日親は赦免される。赦免後、獄中で知り合った本阿弥清信帰依を受け、後に本阿弥家の菩提寺となる。1463年(寛正3年)地蔵ヶ原にて、焼いた鍋を頭に被せる酷刑を受け、後に「鍋かぶり日親」と称されている。桃山時代の絵師長谷川等伯は本法寺10世・日通と交友があり、塔頭教行院を宿としていた。このため、当寺には等伯の作品やゆかりの品が多数伝来している。現住は96世瀬川日照貫首(柏市妙照寺より晋山)。親師法縁縁頭寺。

歴史[編集]

本法寺は寺伝によれば、1436年(永享8年)日親本阿弥清信の帰依を得て創建[1]。当初は東洞院綾小路(現・京都市下京区)にあった[2]。前述のとおり、日親は1440年(永享12年)足利義教の怒りを買い投獄されたが、翌年赦免された。日親は1463年(寛正3年)にも投獄され、寺は破却されたが、翌1464年(寛正4年)赦免され、寺は三条万里小路(さんじょうまでのこうじ、現在の中京区三条柳馬場)に再建された[3]。1536年(天文5年)本法寺は洛中の他の法華系寺院とともに天文法華の乱で焼失し、堺に避難した。1542年(天文11年)後奈良天皇は、法華宗帰洛の綸旨を下し、本法寺は一条堀川に再建された。1587年(天正15年)豊臣秀吉の命により、現在の地に移転している。1788年(天明8年)天明の大火により焼失したが、その後再建された。

伽藍[編集]

  • 仁王門
  • 本堂 - 1797年(寛政9年) 本阿弥光悦筆の扁額がある。
  • 多宝塔 - 寛政年間建立
  • 開山堂
  • 鐘楼
  • 経蔵 - 1588年(天正16年)
  • 庫裏
  • 書院
  • 摩利支尊天堂
  • 塔頭 - 元は34院あったとされる。幕末頃の文久3年(1863年)時点では蓮光院、興徳院、真蔵院明治時代初期に綴喜郡へ移転し現在まで存続)、本養院、十乗院、興造院、執行院、大雲院、興雲院、玉樹院、寿量院、法昌院、玉昌院、信教院、教学院等の17院が確認できる。

庭園[編集]

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 長谷川等伯関係資料
    • 絹本著色日堯像(長谷川信春(等伯)筆)
    • 絹本著色日通像(長谷川等伯筆)
    • 紙本墨画妙法尼像(長谷川等伯筆)
    • 紙本著色仏涅槃図(長谷川等伯筆)
    • 等伯画説(日通筆)
    • 附:日通書状
    • 附:法華論要文(日蓮筆)
    • 附:本尊曼荼羅(日親筆)
  • (指定見込み)絹本著色日親像 伝狩野正信筆 - 2017年度に国の重要文化財に指定される見込みである(官報告示を経て正式の指定となる)[4]
  • 金銅宝塔 応安三年(1370年)銘
  • 紙本墨画文殊寒山拾得像[5] 3幅(文殊:啓牧筆、寒山拾得:啓孫筆)
  • 絹本著色蓮花図(伝・銭舜挙筆)
  • 絹本著色群介図
  • 紫紙金字法華経(開結共)10巻
    • 附:花唐草文螺鈿経箱
    • 附:正月十三日本阿弥光悦寄進状
  • 法華題目抄(本阿弥光悦筆)
  • 如説修行抄(本阿弥光悦筆)

典拠:2000年までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

名勝(国指定)[編集]

  • 本法寺庭園

京都府指定有形文化財[編集]

  • 本堂
  • 開山堂
  • 多宝塔
  • 仁王門
  • 鐘楼
  • 経蔵
  • 庫裏
  • 書院
  • 大玄関
  • 唐門
  • 宝蔵
  • 石橋
  • 棟札十三枚

京都市指定有形文化財[編集]

旧末寺[編集]

日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

  • 叡昌山尊陽院(京都市上京区本法寺前町)塔頭
  • 叡昌山教行院(京都市上京区本法寺前町)塔頭
  • 妙光山教蔵院(京都市上京区本法寺前町)塔頭
  • 福昌山本教寺(京都市伏見区東大手町)
  • 大虚山光悦寺(京都市北区鷹峰光悦町)
  • 鳥辺山本寿寺(京都市東山区五条橋東)
  • 真整山真蔵院(京都府綴喜郡井手町大字多賀小字西北河原)旧塔頭
  • 一翁山妙感寺(犬山市大字犬山字山寺)
  • 龍運山妙海寺(犬山市大字犬山字東古券)
    • 妙海寺末:一雨山久昌寺(各務原市前渡西町)
  • 本覚山正法寺(大阪市中央区中寺)
    • 正法寺末:妙見山知足寺(茨木市宿久庄)
  • 宝樹山宗林寺(大阪市天王寺区上本町)
  • 昌林山一乗寺(高槻市梶原)
    • 一乗寺末:昌験山報恩寺(加西市玉丘町)
  • 昌信山経王寺(高槻市塚原)
  • 大法山広宣寺(高槻市氷室町)
  • 遥宝山本成寺(堺市堺区寺地町東)
  • 広宣山妙本寺(大阪府三島郡島本町広瀬)
  • 法光山本泉寺(神戸市灘区王子町)
  • 真如山久遠成寺(加東市掎鹿谷)
  • 護法山浄光寺(加東市永福)
  • 常親山安立寺(台東区谷中)
  • 石岡山妙福寺(台東区谷中)
  • 遠寿山本延寺(七尾市小島町)
  • 頂滝山妙高寺(越前市本町)
  • 長照山妙典寺(井原市井原町)
  • 広昌山常国寺(福山市熊野町甲)
    • 常国寺末:寿福山顕政寺(福山市鞆町後地)
    • 常国寺末:四大山法縁寺(福山市熊野町乙)
    • 常国寺末:薬王山寿量寺(福山市熊野町)
    • 常国寺末:桃林山通安寺(福山市西桜町)
    • 常国寺末:城本山本照寺(尾道市御調町市)
    • 常国寺末:立本山常行寺(観音寺市八幡町)
  • 見塔山蓮瑞寺(福山市大門町野々浜)
  • 妙栄山寿徳寺(三原市西町)
  • 広布山本覚寺(広島市中区十日市町)
    • 本覚寺末:広栄山本覚院(廿日市市林が原)
    • 本覚寺末:広昌山法華寺(大竹市玖波)
  • 松原山法華寺(萩市恵美須町)
  • 月芳山松岳寺(徳島市伊賀町)
  • 妙立山大法寺(松山市本町)
  • 寿福山長久寺(松山市御幸)
    • 長久寺末:大乗山正念寺(松山市神田町)
      • 正念寺末:一乗山正法寺(愛媛県上浮穴郡久万高原町久万)
  • 小倉山光明照院(大洲市大洲)
  • 普妙山法眼寺(大洲市新谷乙)
  • 妙光山法眼院(八幡浜市保内町須川)
  • 久成山本妙寺(西条市国安)
    • 本妙寺末:松栄山妙本寺(西条市河原津)
  • 顕本山上行寺(伊予市灘町)
  • 武運山長久寺(大洲市長浜甲)
  • 常賢山萬福寺(高知県安芸郡東洋町甲浦)
  • 龍王山啓運寺(北九州市門司区柳町)
  • 海宝山妙乗寺(北九州市小倉北区大門)
    • 妙乗寺末:法照山普門寺(行橋市中央)
    • 妙乗寺末:三應山霜田寺(長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良東触)
  • 啓運山妙法寺(福岡市中央区唐人町)
  • 松林山妙典寺(福岡市博多区中呉服町)
    • 妙典寺末:発星山妙円寺(福津市西福間)
  • 起雲山本興寺(福岡市博多区中呉服町)
    • 本興寺末:徳永山宝寳寺(福岡市西区徳永)
  • 松隣山本長寺(福岡市博多区中呉服町)
  • 西昌山本岳寺(福岡市博多区上呉服町)
  • 修昌山法性寺(福岡市博多区千代)
    • 法性寺末:龍祥山法華寺(福岡県糟屋郡須惠町旅石)
  • 弘行山宗玖寺(福岡市東区馬出)
  • 石岡山妙福寺(佐賀市嘉瀬町大字荻野)
    • 妙福寺末:天拝山妙圓寺(小城市三日月町金田)
    • 妙福寺末:竹原山妙覚寺(佐賀市伊勢町)
    • 妙福寺末:昌永山龍光寺(佐賀市久保田町徳万)
  • 瑞相山本光寺(大分市上野丘)
  • 昌光山妙瑞寺(大分市大字下宗方)
  • 一乗山親蓮寺(大分市木上)

人物[編集]

  • 日親(開山)
  • 日祇(二世)
  • 日澄(三世)
  • 日淳(四世)
  • 日敬(五世)
  • 日憲(六世)
  • 日便(七世)
  • 日尭(八世)
  • 日円(九世)
  • 日通(十世)
  • 日因(十一世)

交通アクセス[編集]

京都市営地下鉄烏丸線鞍馬口駅から徒歩15分。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』は創建の正確な年次は不明とする。また、日親と本阿弥清信は獄中で知り合ったとする資料もあり、この場合、両者が知り合うのは日親が投獄された1440年以降ということになる。
  2. ^ 創建時の寺地については資料によって「東洞院綾小路」とも「四条高倉」とも表記されるが、いずれもほぼ同じ場所を指し、現在の京都市下京区、地下鉄四条駅東方にあたる。
  3. ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』による。寺のサイトでは三条万里小路に再建された年を長禄4年(1460年)としている。
  4. ^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
  5. ^ 重要文化財指定名称は「紙本墨画中文殊左右寒山拾得像」。これは三幅対の中央が文殊図、左右が寒山図と拾得図であるという意味である。

参考文献[編集]

  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979
  • 竹村俊則『昭和京都名所図会 5 洛中』、駸々堂出版、1984

外部リンク[編集]