本成寺 (古河市)

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本成寺
所在地 茨城県古河市横山町3-10-43
位置 北緯36度12分06.652秒 東経139度42分18.781秒 / 北緯36.20184778度 東経139.70521694度 / 36.20184778; 139.70521694
山号 長久山
宗派 日蓮宗
創建年 正和3年(1314年
開基 日印上人
中興年 延宝年間(1673年1680年
中興 日禎上人
正式名 長久山 妙光院 本成寺
文化財 法清院殿の墓(市指定・史跡)他
法人番号 8050005005718 ウィキデータを編集
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本成寺(ほんじょうじ)は、茨城県古河市横山町(五丁目)にある日蓮宗の寺院。正式には、山号を長久山、院号を妙光院、寺号を本成寺という[1]。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。小西法縁。

歴史[編集]

鎌倉時代正和3年(1314年)、日印上人鎌倉に開基したのち、天文年間(1532年1555年)に下総国猿島郡伏木村(現在の茨城県境町森戸)に移転し、さらに江戸時代慶長7年(1602年)、古河城下北端の現在地に移転したとされる。[2][3]

なお、江戸時代の古河移転に関しては、延宝年間(1673年1680年)、古河城主・土井利益の母・法清院の菩提を弔うために、法清院の兄弟であった日禎(にっしん)上人により伏木村から移されたとも考えられている。[1] [4]

境内[編集]

赤く塗られた山門が目を引く。本堂のほか、瘡守稲荷、鬼子母神堂、三十番神堂がある。[1]

後述する法清院の墓・河口信任の墓・小出重固の墓の他に、明治期の文化人・武藤松庵の墓がある。武藤松庵は天保10年(1839年)に古河で生まれ、池坊総華督として華道の全国普及に尽くしたほか、写真術を習得し、明治3年(1870年)に取り壊し直前の古河城の写真を残した。大正3年(1914年)没。[2] [5][6]

文化財[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『古河市史 民俗編』 835-836頁
  2. ^ a b 『城下町 古河を歩く』、30頁
  3. ^ 創建に関する異説として、『古河志』における「本成寺」の解説には、「鐘銘に嘉暦3年(1328年)日印上人により開基」とある。(『古河市史 資料 別巻』271頁)
  4. ^ 『古河志』・「本成寺」(『古河市史 資料 別巻』271頁)
  5. ^ 『古河市史 通史編』 582-583頁(古河城の破壊)
  6. ^ 『古河市史 通史編』 657頁(武藤松庵)
  7. ^ 『古河市の文化財』 75頁
  8. ^ 『古河市の文化財』 73頁
  9. ^ 『古河市の文化財』 74頁
  10. ^ 『歴史の散歩―鷹見泉石と古河藩―』 12頁(小出重固の「古河志」で旧藩領を行く)
  11. ^ 『古河市の文化財』 60頁
  12. ^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて・古河市公式ホームページ 観光・歴史 古河市の観光パンフレット Archived 2015年9月23日, at the Wayback Machine.より

参考文献[編集]

  • 石川治 著・古河歴史博物館 編『歴史の散歩―鷹見泉石と古河藩―』 古河市、平成8年(1996年)
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料 別巻』 古河市、昭和48年(1973年)
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、昭和63年(1988年)
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、昭和58年(1983年)
  • 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、平成5年(1993年)
  • 古河の都市観光を推進する会 編集・発行 『城下町 古河を歩く』、平成19年(2007年)