木下俊在

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木下俊在
時代 江戸時代中期
生誕 正徳4年(1714年
死没 享保16年11月25日1731年12月23日
改名 牧之允(幼名)、俊在
戒名 温厚操倹遠譲院
墓所 東京都港区高輪泉岳寺
官位 従五位下伊賀守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
豊後日出藩
氏族 木下氏
父母 木下俊量、中村氏
兄弟 量道俊在俊監俊能俊泰
相良長興正室、久留島光通正室、
木下栄俊正室、大久保忠肥正室、
松平義著正室、横山清章正室ら
俊保
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木下 俊在(きのした としあり)は、豊後国日出藩5代藩主。官位は従五位下、伊賀守。幼名は牧之允。

経歴[編集]

享保14年(1729年)、父の死去により跡を継ぐが、生来より病弱なため、2年後の享保16年(1731年)11月25日に18歳で死去した。嗣子がなく、8歳上の叔父で養嗣子の俊保が跡を継いだ。法号は温厚操倹遠譲院。墓所は東京都港区高輪泉岳寺

系譜[編集]

父母

養子