有栖川宮記念公園

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有栖川宮記念公園
Arisugawa-no-miya Memorial Park
Prince Arisugawa Memorial Park.JPG
園内渓流部 2009年5月撮影
所在地
面積 67,131.11
開園 1934年昭和9年)11月
運営者 港区[* 1]
設備・遊具 木製複合遊具、スプリング遊具、ほか[2]
事務所所在地 園内東側
アクセス 東京メトロ日比谷線 広尾駅より徒歩3分
公式サイト http://www.arisugawa-park.jp/

有栖川宮記念公園(ありすがわのみやきねんこうえん)は、東京都港区南麻布にある公園である。

かつての有栖川宮邸に造られ、現在は港区が所管している。名称は、単に「有栖川公園(ありすがわこうえん)」とも呼ばれる。

概要[編集]

園内の熾仁親王銅像

有栖川宮記念公園は、都心には稀な閑雅な地であり[3]、園内は起伏に富み、東側の高台から西南側の低地に向けて大きく傾斜した地形となっている。公園の西端にあって外苑西通り広尾駅方面からの入口となる『有栖川公園前』交差点付近が最も標高が低く、その周辺から右手には南部坂、左には木下坂という、いずれも急坂が公園に沿って上っている。

丘陵より渓谷を下って池畔に至る地形やその周辺に茂る樹木は、日本古来の林泉式の修景による高雅な自然趣味の庭園を呈する[3]。また、園内にはウメスイレンハナミズキなどをはじめとする四季折々の花も多く、秋にはカエデの紅葉も楽しめる[3]

南東側のドイツ大使館に面した広場には、騎馬像の「有栖川宮熾仁親王銅像」[* 2]をはじめ、「笛吹き少年の像」、「新聞少年の像[4]」がある。東側の高台には、東京都立中央図書館も併設されている。

所在地は広尾地区に隣接し、最寄駅も広尾駅である。

歴史[編集]

江戸時代には陸奥盛岡藩下屋敷であった。1896年明治29年)に、有栖川宮威仁親王霞ヶ関の御殿から移動する運びとなり、代替地として御用地となった。威仁親王の生母(有栖川宮幟仁親王側室)・森則子の住居等が設けられた。御用地は有栖川家が断絶すると、1913年大正2年)には同家の祭祀を引き継いだ高松宮に継承され、高松宮御用地となった。

児童の健康や自然に格別の関心を持っていた高松宮は1934年昭和9年)1月5日、有栖川宮の没後20年の命日にちなんで御用地約11,000(36,325m2)を公園地として東京市に下賜された[3]。東京市はただちに整備工事を開始。公園は有栖川宮記念公園と命名され、同年11月に開園・開放された[3]

1973年(昭和48年)4月1日、有栖川宮熾仁親王の銅像から北東部の一帯、東京都立中央図書館や港区立麻布運動場等が位置する31,235m2が公園に編入された[3]。その後、1975年(昭和50年)には東京都から港区に移管され、区立公園となった。

画像[編集]

広場の記念碑 
日本庭園 
遊歩道と渓流に掛かる橋 
テニスコート 

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脚注[編集]

註釈
  1. ^ 2012年平成24年)4月より 指定管理者:アメニス、ケイミックス、日比谷花壇グループ[1]
  2. ^ この銅像は1895年明治28年)に建立されたもので、始めは皇居桜田濠沿い(現在の憲政記念館の付近)にあった参謀本部の庭に設置された。その後、1962年昭和37年)に現在の場所に移された。
出典
  1. ^ 指定管理者情報|有栖川宮記念公園”. アメニス・ケイミックス・日比谷花壇グループ. 2016年2月閲覧。
  2. ^ 有栖川宮記念公園”. 港区. 2016年2月閲覧。
  3. ^ a b c d e f 有栖川宮記念公園の由来と特色(港区による解説) いい東京ee-tokyo.com 2012年7月18日閲覧
  4. ^ 主要都市に「新聞を配る少年像」を建設日本新聞販売協会、2011年6月 3日

外部リンク[編集]