日枝神社 (富山市)

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日枝神社
Toyama-Hie-jinja.jpeg
所在地 富山県富山市山王町4-12
位置 北緯36度41分11.8秒 東経137度12分49.2秒 / 北緯36.686611度 東経137.213667度 / 36.686611; 137.213667 (日枝神社 (富山市))座標: 北緯36度41分11.8秒 東経137度12分49.2秒 / 北緯36.686611度 東経137.213667度 / 36.686611; 137.213667 (日枝神社 (富山市))
主祭神 大山咋神
大己貴命
社格 県社・別表神社
例祭 6月1日2日
地図
日枝神社の位置(富山県内)
日枝神社
日枝神社
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日枝神社(ひえじんじゃ)は、富山県富山市にある神社である。別称「富山山王さん」。大山咋神大己貴命を主祭神とし、相殿に天照大御神豊受大御神を祀る。毎年5月31日より行なわれる春季例大祭「山王まつり」は、「さんのさん(はん)の祭り」として親しまれる富山県内最大の祭りで、大勢の人々で賑わう。日枝神社を山王さんというのは日枝山麓にある日吉(ひえ)神社の祭神を山王権現と称し、釈迦如来の仮の姿として天台一種の護法神とする考えからきている。

歴史[編集]

創建の年代は不詳[1]。古くは越中国新川郡針原に広い境内地をもって鎮座していたのを、南北朝1335年建武2年、桃井直常が北条時兼を追討した際、敗走する時兼が防戦のため社に火を放ったので[1]、戦乱を避けて神体は現在の富山市隠土、旧上新川郡中野村と各地に遷座した[1]

1367年(正平22年)以降、旧婦負郡藤居村(現在の富山城跡)に遷した。天正年間、佐々成政が富山に入城の際、城内にあった藤居山富山(ふせん)寺鎮守山王権現を現在地に遷し、富山の産土神とした。成政の越中退去後、1587年天正15年)、前田利長が富山城に入城して以降は、富山前田家産土社に定められ、新たに社地・社殿が寄進された。

1873年明治6年)に郷社に列した。1875年(明治8年)、天照大御神を祀る北神明社、豊受大御神を祀る中神明社を合祀した。1899年(明治32年)4月2日、境内地に新県庁を建設するのにあわせ、かつて鎮座していた縁で富山城跡内に遷座することにし[2]、大田口町白山神社への仮遷座[3]を経て、同年5月27日に正式に移転[4]、同年8月2日、県社に昇格した[5]。しかし同年8月12日に市街全域を焼く大火があり、社殿を焼失した。これにより、県庁、日枝神社ともに旧地に戻ることが1900年(明治33年)7月5日に決定され[3][6]1901年(明治34年)、現在地に本殿・拝殿を再建した。

1945年昭和20年)8月1日、富山大空襲により全社殿その他建物の全てを消失したが、御神体は、本殿土壇の特設の防空壕に直前にお移しして被災を免れた。戦後は被災にあった本殿・拝殿・社務所等が氏子崇敬者の御浄財により次々とご復興し、神域は見違えるように旧に勝る威容を誇るに至った。

1967年(昭和42年)5月28日には、拝殿が鉄筋化(入母屋造、唐破風武丹塗)された[7]

1968年(昭和43年)、神社本庁の別表神社に加列された。

2006年平成18年)には、本殿の修復、幣殿の増築、廻廊の新築工事が行われた。

境内末社[編集]

祭事暦[編集]

  • 毎月1日 - 山王講月次祭
  • 1月1日 - 歳旦祭
  • 2月1日 - 旧正月際
  • 2月3日 - 節分祭(鳴弦の儀)
  • 2月 - どんど焼き(古札昇神祭)
  • 2月 - 北方領土早期返還祈願祭
  • 2月 - 初牛祭
  • 2月11日 - 建國祭
  • 2月 - 祈年祭並に鎮火祭
  • 3月 - 山まつり
  • 5月31日〜6月2日 - 山王まつり
  • 6月30日 - 夏越の大祓式(茅の輪くぐり
  • 7月16日 - 相殿神明祭
  • 8月11日・12日 - 夏まつり
  • 10月1日 - 秋まつり(日枝神社秋季大祭)
  • 11月 - 七五三宮まいり
  • 11月23日 - 新穀感謝祭(新嘗祭
  • 12月30日 - 年越の大祓式(茅の輪くぐり)

交通アクセス[編集]

参考文献[編集]

  • 梅原隆章、北沢俊嶺『富山の寺社:有情のたたずまい』巧玄出版〈富山文庫〉、1978年。 
  • 人文社観光と旅編集部 編『富山県』人文社〈郷土資料事典 観光と旅〉、1989年。 

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 観光と旅 1989, p. 20.
  2. ^ 『富山市史 第二巻』(1960年4月15日、富山市史編修委員会編修・発行)89頁。
  3. ^ a b 『特別展 富山城の歴史展』(1994年7月16日、富山市教育委員会発行)38頁。
  4. ^ 『富山市史 第二巻』(1960年4月15日、富山市史編修委員会編修・発行)90頁。
  5. ^ 『富山市史 第二巻』(1960年4月15日、富山市史編修委員会編修・発行)91頁。
  6. ^ 『富山市史 第二巻』(1960年4月15日、富山市史編修委員会編修・発行)107頁。
  7. ^ 『富山市史 第四巻』(1969年12月20日、富山市発行)914頁。

外部リンク[編集]