富山県庁舎

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富山県庁舎
富山県庁舎本館
情報
用途 行政庁舎
主構造物 本館、南別館、東別館、
県議会議事堂、
富山県警察本部庁舎
富山県防災危機管理センター
設計者 (本館)大熊喜邦(監修)、増田八郎
建築主 富山県
事業主体 富山県
管理運営 富山県
構造形式 鉄筋コンクリート構造
建築面積 3,930.35 m²(本館)
延床面積 15,187.73 m²(本館)
階数 (本館)地上4階
竣工 (本館)1935年昭和10年)8月17日
所在地 930-8501
富山県富山市新総曲輪1番7号
位置 北緯36度41分42.9秒 東経137度12分40.6秒 / 北緯36.695250度 東経137.211278度 / 36.695250; 137.211278座標: 北緯36度41分42.9秒 東経137度12分40.6秒 / 北緯36.695250度 東経137.211278度 / 36.695250; 137.211278
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富山県庁舎(とやまけんちょうしゃ)は、富山県富山市新総曲輪およびその周辺にある富山県庁役所)の建物群の総称である。本館、南別館、東別館、県議会議事堂、警察本部庁舎、富山県防災危機管理センターからなる。

概要[編集]

1935年昭和10年)に現県庁舎本館が建設されて以来、富山県行政の中心となっている。周辺には県庁舎群以外にも富山県民会館富山市役所富山県総合福祉会館(サンシップとやま)など、多くの公共施設が集まっている。また、北側正面には県庁前公園、南側には松川公園富山城址公園があり、市民の憩いの場となっている。

庁舎[編集]

本館[編集]

現在の県庁舎本館は3代目で、神通川改修によって出来た廃川地に、建設前に都道府県主導の事業としては初めて土地区画整理事業を行ない[1]、国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦が監修し、1935年(昭和10年)8月17日に完成[2]したもので、第2次世界大戦による1945年(昭和20年)8月1日に富山市一円を焼き尽くした富山大空襲では、焼夷弾の直撃を受けたとされるが焼け残り、富山電気ビルデイング、旧NHK富山放送局、旧富山大和などと共に焼け残った数少ない建造物である。なお焼夷弾を受け、その後修理されたとみられる痕跡が庁舎大ホールの屋根裏に残っている[3]

建物は延べ13,490平方m、鉄筋コンクリート4階建てで、正面中央には屋根付きの車寄せがあり、左右対称のデザインの外観は1階が花崗岩、2階以上がクリーム色のタイルを使用し、上空から見ると漢字の「日」に見え中庭がある。庁舎内には、建設当時に彫られた鳳凰の彫刻が4階大会議室に残り、3階の知事室やかつて貴賓室だった特別室にも当時の内装が残っているほか、階段の手すりに使用された大理石には、アンモナイトなどの化石が見られる富山県の昭和初期を代表する、豪壮で風格のある近代建築で[3]2020年令和2年)現在、全国の庁舎の中では5番目に古い[4]。竣工から80周年を迎えた2015年平成27年)、国の登録有形文化財に登録された(同年8月4日付登録)[5][6]

また庁舎本館屋上の一部、東南側の約200平方mを緑化し、県民に毎年期間限定で一般開放している[7]。ここには1958年(昭和33年)に富山国体が行われた際、昭和天皇が県庁屋上で詠まれた歌の歌碑を制作し設置されているほか、ベンチも設置して県民の憩いの場所として提供している。また庁舎内の一部約100平方mを、庁舎の歴史や概要を紹介する資料展示室として開放されている[8][6]

南別館[編集]

南別館は1961年(昭和36年)10月30日に竣工した。地上4階の鉄筋コンクリート造である[9]。建築面積2,234.85平方メートル、延床面積は10,005.34平方メートル。本館の南側に位置する[10]。後に富山県防災危機管理センター建築のため、減築されている[11]

東別館[編集]

東別館は1986年(昭和61年)7月30日に竣工した[12]。地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造である。建築面積682.50平方メートル、延床面積は約2,370.06平方メートル。本館の東側に位置する。

県議会議事堂[編集]

初代県会議事堂は、皇太子嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)行啓記念事業として、富山城址(旧西ノ丸)に1909年(明治42年)に竣工した。現在の庁舎建設時には県会議事堂も庁舎内に併設され、富山大空襲後は当時の富山県知事高辻武邦の英断により、県庁内にあった県会議事堂を文化ホールとして使用していた[13]

現県議会議事堂は1971年(昭和46年)2月16日に竣工した[14](2月10日に竣工式)。地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造で[15]、チョコレート色の外装で、議場は3 - 4階に吹抜けで階段状に設けられている[14]。建築面積848.21平方メートル、延床面積は約6,010.21平方メートル。本館の北西側に位置する。

警察本部庁舎[編集]

警察本部庁舎は1994年(平成6年)5月20日に竣工した。地上11階、地下2階の鉄筋コンクリート造、インテリジェントビルである。本館の南西側に位置する[16]

  • 設計: (株) 岡田新一設計事務所[17]
  • 施工:佐藤工業(株)北陸支店 戸田建設(株)北陸支店 林建設工業(株) 前田建設(株) JV[17]
  • 平成6年度第25回富山県建築賞一般の部入賞[17]

富山県防災危機管理センター[編集]

大規模災害発生時の拠点として、南別館の一部を建て替え、2022年令和4年)10月7日竣工、同年10月11日に運用開始。地上10階建てで、富山県が災害対策本部を置く90人収容の会議室や、自衛隊などの拠点となる部屋、ヘリポート、72時間連続運転が可能な非常用電源なども整備されている。この他、保育所が設けられている他、災害が起きていない平時には、一般の人が研修室などを利用することも可能である[11]

ギャラリー[編集]

沿革[編集]

  • 1871年明治4年)
    • 7月14日 - 廃藩置県により富山県が設置せられ、富山藩の藩庁であった富山城の旧本丸御殿を初代県庁舎とする[18][19][20]
    • 11月20日 - 富山県が廃止され新川県となる[21]
    • 12月27日 - 新川県仮県庁を魚津に設置する件を大蔵省へ届け出る[22]
  • 1872年(明治5年)3月15日 - 新川県庁を魚津に設置する[23]
  • 1873年(明治6年)9月6日 - 県庁舎を富山城址(旧本丸御殿)へ戻す[23]
  • 1876年(明治9年)
    • 4月18日 - 新川県が廃止され、石川県に統合される[24]
    • 5月12日 - 旧新川県県庁舎に石川県が官員派出所を設置する[25]
    • 9月21日 - 旧新川県県庁舎の官員派出所を富山支庁と改称する(管轄範囲は婦負、新川地域のみ)[25][26]
  • 1878年(明治11年) - 富山支庁廃止[26]
  • 1881年(明治14年)12月19日 - 石川県の石埼謙が寺島宗則元老院議長に「越中国分県の際の県庁は伏木港や砺波の沃野に近い高岡に置くのが最適」という旨の建議書を提出[27]
  • 1882年(明治15年)6月 - 富山城址が公園となる[28][29]
  • 1883年(明治16年)
    • 5月9日 - 石川県より富山県が独立する[30]
    • 7月1日 - 県庁舎を再び富山公園地内(富山城址)に開設する[31][32]
  • 1885年(明治18年)1月14日 - 富山公園地を富山県庁地と改称する[33]
  • 1886年(明治19年)10月 - 富山県庁構内に巡査講習所を開設する[33]
  • 1887年(明治20年)11月22日 - 初代富山県会議事堂が総曲輪に竣工する[34][35]
  • 1899年(明治32年)
    • 4月2日 - 富山県庁を山王町5番地の庁舎に移転する[36][37]
    • 8月12日 - 中野新町より出火あり、富山県庁及び県会議事堂もこれによって焼失する[38][39]。これにより一時的に富山県師範学校内に仮庁舎を置く[40]
    • 8月25日 - 仮県庁を梅沢町の大法寺境内に移転する[40]
  • 1900年(明治33年)7月5日 - 再び富山城址内に県庁舎を建設し、同日より同所にて業務を開始する[41]
  • 1909年(明治42年)
    • 9月 - 2代目県会議事堂が富山城址(旧西ノ丸)に竣工する[42]
    • 11月21日 - 県会議事堂の落成式を挙行する[43]
    • 9月29日 - 同日より10月3日まで皇太子嘉仁親王が富山県を行啓し[43]、県会議事堂をその行在所とする[42]
    • 9月30日 - 皇太子嘉仁親王が富山県庁に行啓する[44]
  • 1924年大正13年)11月10日 - 皇太子裕仁親王が富山県庁を行啓する[45]
  • 1930年昭和5年)
    • 3月6日 - 富山県庁舎から10時30分より出火、本館が焼失する[46][47]。この焼失により、県庁を高岡移転を訴える期成同盟会が組織される[48]
    • 3月18日 - 富山県参事会が県庁を富山市内に建設する予算案を可決する[48]
    • 9月15日 - 富山県立高等女学校敷地内に仮庁舎を建設し、これに移転する[46]
  • 1934年(昭和9年)3月15日 - 富山県庁舎新築工事の起工式を挙行する[49]
  • 1935年(昭和10年)
    • 8月17日 - 現在地に県庁舎(現本館)竣工[50]
    • 8月23日 - 新庁舎への移転を完了する[51]
    • 9月11日 - 新庁舎内に県会議事堂が設置されたので、従前の県会議事堂は大正会館として供用を開始する[51]
  • 1945年(昭和20年)8月2日 - 富山大空襲により被災し一部を焼失する[52]。臨時に富山市役所を県庁自動車車庫に設置する[53]
  • 1947年(昭和22年)
    • 10月30日 - 同日より11月2日まで昭和天皇が富山県を行幸し[54]、富山県庁をその行在所とする[55]
    • 11月1日 - 昭和天皇が県庁屋上において富山市長尾山三郎の奏上を聴取し、その復興状況を天覧する[56]
  • 1958年(昭和33年)10月19日 - 昭和天皇が富山県庁を行幸し、その屋上において富山市の復興状況を天覧して、「県庁の屋上にしてこの町の立ちなほりたる姿をぞ見る」の御製をよむ[57]
  • 1961年(昭和36年)10月30日 - 南別館竣工[9]
  • 1971年(昭和46年)2月10日 - 現県議会議事堂竣工式[14]
  • 1973年(昭和48年)4月5日 - 北陸銀行県庁内支店に北陸初の現金自動預け払い機を設置する[58]
  • 1986年(昭和61年)7月30日 - 東別館竣工[12]
  • 1994年平成6年)5月20日 - 警察本部庁舎竣工[16]
  • 2010年(平成22年)4月5日 - 南別館の外壁改修工事が完成[59]
  • 2015年(平成27年)
    • 8月4日 - 本館が国の登録有形文化財に登録される[60]
    • 8月17日 - 県庁舎屋上に庭園、資料展示室及び昭和天皇御製碑を設置し、その完成式を挙行する[61]
  • 2022年令和4年)10月7日 - 富山県防災危機管理センター竣工(同年10月11日運用開始)[11]

交通機関[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『とやま土木物語』 - 富山新聞社
  2. ^ 国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦が監修し、設計は増田八郎。3年後に建てられた和歌山県庁舎のデザインは富山県庁に似ていることが知られている。和歌山は別の設計者だが、明治以来の全国の公共建築物は大熊博士ら中央のエリート官僚たちの指導で造られてきたので似ていて不思議はないとされる。
  3. ^ a b 『県庁舎本館有形文化財に 80才県の歴史物語る』北日本新聞 2015年3月22日24面
  4. ^ 『知事を知る<12> 県庁舎 全国5番目の古さ』北日本新聞 2020年10月20日31面
  5. ^ 平成27年8月4日文部科学省告示第125号
  6. ^ a b 『県庁本館国文化財に 審議会答申 竣工80周年の節目』北日本新聞 2015年3月14日35面
  7. ^ 『屋上庭園も7日から公開』北日本新聞 2018年5月3日3面
  8. ^ 『県庁舎屋上憩いの場に 昭和天皇の歌碑設置 緑化してベンチも』北日本新聞 2015年2月19日2面
  9. ^ a b 『富山市史 第四巻』(1969年12月20日、富山市編集・発行)305頁。
  10. ^ 富山県ホームページ 富山県庁舎施設のご案内(2018年2月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project。
  11. ^ a b c 県の新しい防災拠点「富山県防災危機管理センター」竣工式(NHK 富山 NEWS WEB、2022年10月7日)
  12. ^ a b 『県広報とやま』№212、1986年9月、23頁より。
  13. ^ 『富山県の昭和史』(1991年2月1日、北日本新聞社発行)101 - 102頁。
  14. ^ a b c 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所編集・発行)246頁。
  15. ^ 『みんなの県政』(46/3 No.27 富山)2頁 - 5頁
  16. ^ a b 『県広報とやま』№306、1994年7月、2頁『暮らしを守る新しい拠点に 警察本部庁舎竣工式』より。
  17. ^ a b c 公益社団法人 富山県建築会ホームページ 「平成6年度第25回富山県建築賞受賞作品」.2015年3月16日閲覧。
  18. ^ 富山県編、『越中史料』第3巻(877より881頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  19. ^ 富山市役所編、『富山市史』(327頁)、1909年(明治42年)9月、富山市役所
  20. ^ 富山県庁と富山城址 - 富山市
  21. ^ 富山県編、『越中史料』第3巻(908より909頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  22. ^ 富山県編、『富山県史 年表』(222頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  23. ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(224頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  24. ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(148より149頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  25. ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(228頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  26. ^ a b 『富山県の誕生』(2019年5月9日、浦田正吉著、楓工房発行)31頁。
  27. ^ 『富山県の誕生』(2019年5月9日、浦田正吉著、楓工房発行)58 - 59頁。
  28. ^ 富山県編、『富山県史 年表』(235頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  29. ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(331頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  30. ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(341より343頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  31. ^ 富山県編、『富山県史 年表』(236頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  32. ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(344頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  33. ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(240頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  34. ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(495頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  35. ^ 富山県編、『富山県史 年表』(242頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  36. ^ 富山市役所編、『富山市史』(459頁)、1909年(明治42年)9月、富山市役所
  37. ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(739頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  38. ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(749より751頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  39. ^ 村上陽一郎編、『富山県郷土の山水 呉羽山中心以東編』、1932年(昭和7年)7月、光洋社
  40. ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(264頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  41. ^ 富山県編、『越中史料』第4巻(784より785頁)、1909年(明治42年)9月、富山県
  42. ^ a b 富山市役所編、『行啓紀念』(73頁)、1912年(大正元年)11月、富山市役所
  43. ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(274頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  44. ^ 富山市役所編、『行啓紀念』(86頁)、1912年(大正元年)11月、富山市役所
  45. ^ 1.「陸軍大演習」/大正13年11月3日~11日 - 2014年(平成26年)10月10日、北日本新聞社
  46. ^ a b 港湾協会第九回通常総会富山準備委員会、『富山県の産業と港湾』(16頁)、1936年(昭和11年)5月、港湾協会第九回通常総会富山準備委員会
  47. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第1巻』(2000年5月20日、北日本新聞発行)188頁。
  48. ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(308頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  49. ^ 富山県編、『富山県史 年表』(316頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  50. ^ 富山県庁のご案内 - 富山県
  51. ^ a b 富山県編、『富山県史 年表』(318頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  52. ^ 富山市史編纂委員会編、『富山市史 第三巻』(6頁より8頁)、1960年(昭和35年)4月、富山市史編纂委員会
  53. ^ 富山県編、『富山県史 年表』(338頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  54. ^ 富山県編、『富山県史 年表』(344頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  55. ^ 吉波彦作、『富山県行幸記録』(22頁)、1949年(昭和24年)10月、富山県
  56. ^ 吉波彦作、『富山県行幸記録』(280より289頁)、1949年(昭和24年)10月、富山県
  57. ^ 5.「富山国体」(上) 昭和33年10月18~22日 - 2014年(平成26年)10月16日、北日本新聞社
  58. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)242頁。
  59. ^ 『北日本新聞』2010年4月6日付朝刊3面『外壁 景観に配慮 県庁南別館改修完了』より。
  60. ^ 富山県庁舎本館の国登録有形文化財(建造物)への登録について - 2015年(平成27年)9月12日、富山県
  61. ^ 県庁屋上庭園が完成 28日まで平日開放 - 2015年(平成27年)8月17日、北日本新聞社

参考文献[編集]

  • 白井芳樹『とやま土木物語』富山新聞社、2002年。
  • 『富山城址の変遷 富山城と私たちが暮らす街〜どのような糸でつながっているのでしょうか〜』(富山市郷土博物館)平成17年9月1日発行

関連項目[編集]

外部リンク[編集]