支那人

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明治29年、台湾総督府による「支那人上陸条例」
明治29年4月4日、外務次官原敬より台湾民政局長水野遵への照会
1921年、在台湾支那人留学生が台湾総督府博物館を見学した時の写真

支那人(しなじん、シナ人)という言葉は 、中国(支那)本土を中心として居住する漢民族を指す[1]。日本語における支那は地理的概念であり、平安時代に漢訳仏典を通じて中国からもたらされた。支那人とは支那の地域に定住する人間と言った程度の形而上的概念であり、日本では明治期以降、とくに清朝の崩壊が明らかになった19世紀末ころからこの地域全体を総称する概念、あるいは民族概念として学術的に使用されるようになった。それまではこの地域を王朝名を利用して呼称するのが通例であり、明治中期まではこの地域を清国、その住人を清国人と呼んでいた。

中国では古より現在に至るまで自らを支那人と呼称しようとした例は清朝末期から中華民国成立当初までの動乱の一時期だけであり、また文化的にも定着しなかったこともあり、この呼称は一般的ではない。また、蒋介石らの認識によれば「支那」「支那人」は日本人が中国人を侮蔑するために使用した悪語・悪字であるとされ、現代の中国人一般にもそのように理解されている。中国は、中華民国成立以降、たびたび日本政府に対して公式に「支那」の用語を使用しないよう申入れしている。支那の項目を参照。

脚注[編集]

  1. ^ 酒井信彦 (2004年2月24日). “中国・中華は侵略用語である ― シナ侵略主義の論理構造 ―”. 財団法人・日本学協会『日本』 平成16年(2004)2月号. 日本ナショナリズム研究所. 2010年11月6日閲覧。

関連項目[編集]