弥勒祐徳

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弥勒 祐徳(みろく すけのり、1919年2月20日 - )は、宮崎県内で活動する日本画家西都市生まれ、在住。珍しい名前だが、本名である。宮崎県立都農高等学校講師、宮崎県美術協会理事。息子はテレビ宮崎役員の弥勒猛。

精力的に活動を続けており、350回を越える個展を開いている。自宅の近くに展示室『神楽館』を設けており、作品を見ることができるほか、アートカフェ美術館で作品展示を行っている。主に神楽をテーマにする画家として有名。代表作に、銀鏡神楽(しろみかぐら)で舞われた「山の神」を描いた百二十号の大作など。

略歴[編集]

受賞歴[編集]

  • 1981年、西都市教育委員会教育奨励賞。
  • 1989年、文部大臣地域芸術文化功労賞。
  • 1991年、宮崎県民文化賞。
  • 2005年、西都市民栄誉賞。
  • 2008年、西日本文化賞。
  • 2012年、西都市名誉市民となる。

人物[編集]

  • 画家として生きている間に売れることを嫌い、地元で地道に活動を続けている。
  • 地元では『弥勒先生』と呼ばれ有名。現在も精力的に作品を執筆・制作中。
  • 最初「上手いか下手かよくわからないから」という理由で抽象画を描いていたが、ある日大きなにゾッとし、「何かある」と無心に蛾を描き始め、これが、自分が感動したもの、「」を描くという現在のスタイルの原点となった。
  • ゴッホを尊敬し、自宅には自作のゴッホの彫刻がある。

エピソード[編集]

  • 東京での初個展では1枚の絵も売れなかった。
  • スケッチが異常なほど速く、土呂久鉱害を記録・告発して有名になった写真家、芥川仁によると、一緒に銀鏡神楽を取材しているとき、芥川が次のシャッターを切るのよりも弥勒が画帳をめくるほうが速かったという。
  • テレビ局のインタビュー取材をうけている最中、大きなスズメバチが飛来し、弥勒の顔に止まるというハプニングがあったが、「動かないほうがいい」と言って目を閉じ、じっとしてやりすごすことに成功したが、その直後再び同じスズメバチが飛来し、今度は目に向かって来たため、インタビューを中断するというハプニングがあった。そのハプニングがあり、みのもんたが司会の衝撃映像の特番に呼ばれたことがある。

著書[編集]

  • 西都風土記 (鉱脈社出版
  • 木喰は生きている -上人の足跡を訪ねて- (1991年8月・鉱脈社)
  • 曼陀羅の記 絵に生きる・弥勒祐徳自伝(1993年7月・鉱脈社)
  • 神楽を描く 宮崎神楽紀行(1994年6月・鉱脈社)
  • 神楽を描く 続(1998年2月・鉱脈社)
  • 木喰さん (2008年・石風社) ISBN 4883441598

など

関連書籍[編集]

  • 小伝 弥勒先生 (2006年2月2日発行・西日本新聞社/井口幸久著、2003年6月から2004年10月まで西日本新聞宮崎版に連載された『描いて描いて60年 画家・弥勒祐徳』を再構成し出版された) ISBN 4816706704

出典[編集]

  1. ^ 西日本新聞 2008年5月5日付
  2. ^ 弥勒祐徳氏から油彩画を寄贈いただきました。 - 宮崎市”. 宮崎市[Miyazaki-city] (2021年3月26日). 2021年12月8日閲覧。
  3. ^ 年齢と同じ102点風景画 西都の画家・弥勒さん小品展”. デジタル夕刊 プレみや (2021年3月18日). 2021年12月8日閲覧。