広城

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広城
和歌山県
別名 高城(たかしろ)、名島城[1]
城郭構造 山城[1]
築城主 畠山基国
築城年 応永8年(1401年
主な城主 畠山政長尚順
廃城年 不明
遺構 曲輪切、土塁、石積み[2]
位置 北緯34度1分30.8秒 東経135度11分13秒 / 北緯34.025222度 東経135.18694度 / 34.025222; 135.18694座標: 北緯34度1分30.8秒 東経135度11分13秒 / 北緯34.025222度 東経135.18694度 / 34.025222; 135.18694
地図
広城の位置(和歌山県内)
広城
広城
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広城(ひろじょう)は、和歌山県有田郡広川町名島・湯浅町別所にあった[2]日本の城山城)。紀伊国守護畠山氏の居城である。

概要[編集]

広城は紀伊国有田郡広荘にあった城で[3]、高城山に築かれていた[4]。標高147メートル、比高120メートルの地点に位置する[2]。東西2つの峰にまたがっており[5]、それぞれ東の城・西の城と呼ばれている[6][注釈 1]

応永8年(1401年)、紀伊守護に任命された畠山基国によって築かれたとされる[1]

長禄年間(14571460年)から寛正年間(14601466年)にかけての畠山義就政長の家督争いの中[7]、政長方により[8]、大野(海南市[9])から広に守護所が移された[7]。広は紀北の大野と紀南の南部(みなべ町[10])の中間に位置し、義就方勢力の動きが紀北だけでなく紀南でも見られたことが守護所移転の一因になったと考えられる[11]

応仁の乱の緒戦では広城を巡る戦いが行われた[12]文正元年(1466年)、畠山義就の養子の政国が活動を開始し、応仁元年(1467年)6月までに広城を攻略している[13]。その後、畠山政長を支持する幕府の命で湯河氏が広城を攻めており、応仁2年(1468年)1月には政長方が広城を奪い返している[13]

広城から西に1キロメートルほどの場所にある養源寺(広川町広[14])の寺域に守護館(広館[15])があったと考えられ[16]、広城とセットで用いられたとされている[17]。後年、館があった付近に町場が形成されているが、これは明応の政変で紀伊に在国することになった畠山尚順が直接分国支配を行ったことで、館の周囲に城下町が作られることになったことによるとの見方がある[16]

永正17年(1520年)、畠山氏の内衆である野辺慶景が主君である畠山尚順と合戦を行い、敗れた尚順は広から和泉国に没落した[18]。翌大永元年(1521年)、尚順は広城を攻めたが敗北し、淡路島に退いた[19]。この後、畠山氏は広城から鳥屋城有田川町)に拠点を移したが、鳥屋城の地形的な制限などから、一定の政治的機能は広に残されたと推測されている[19]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『日本城郭大系』では、西の城が「本丸」、東の城が「東の丸」とされている[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 平井聖; 村井益男; 村田修三 編「平須賀城」『日本城郭大系 第10巻 三重・奈良・和歌山』新人物往来社、1980年、491頁。全国書誌番号:80036837 
  2. ^ a b c 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 48.
  3. ^ 「角川地名大辞典」編纂委員会 編「ひろ 広〈広川町〉」『角川日本地名大辞典 30 和歌山県』角川書店、1985年、899–900頁。ISBN 4-04-001300-X 
  4. ^ 新谷 2017, p. 15; 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 48.
  5. ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 50.
  6. ^ 新谷 2017, p. 15; 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 50.
  7. ^ a b 弓倉 2006, pp. 150–159; 新谷 2017, p. 14.
  8. ^ 弓倉 2006, pp. 150–159.
  9. ^ 新谷 2017, p. 9.
  10. ^ 新谷 2017, p. 11.
  11. ^ 新谷 2017, p. 14.
  12. ^ 弓倉 2006, p. 159.
  13. ^ a b 弓倉 2006, pp. 156–158; 新谷 2017, pp. 14–15.
  14. ^ 養源寺”. 百世の安堵. 広川町日本遺産推進協議会. 2024年1月4日閲覧。
  15. ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 18.
  16. ^ a b 新谷 2017, p. 16.
  17. ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, pp. 18, 48.
  18. ^ 弓倉 2006, pp. 179, 207–210; 新谷 2017, pp. 21–22.
  19. ^ a b 新谷 2017, pp. 23.

参考文献[編集]

  • 新谷和之 著「紀伊国における守護拠点の形成と展開」、小谷利明; 弓倉弘年 編『南近畿の戦国時代 躍動する武士・寺社・民衆』戎光祥出版〈戎光祥中世史論集 第5巻〉、2017年。ISBN 978-4-86403-267-4 
  • 弓倉弘年『中世後期畿内近国守護の研究』清文堂出版、2006年。ISBN 4-7924-0616-1 
  • 和歌山城郭調査研究会 編『戦国和歌山の群雄と城館』戎光祥出版〈図説 日本の城郭シリーズ12〉、2019年。ISBN 978-4-86403-311-4