帰雲城

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推定地に建つ帰雲城趾の碑
2010年(平成22年)撮影)

帰雲城(かえりくもじょう、かえりぐもじょう、きうんじょう)は、現在の岐阜県大野郡白川村保木脇(ほきわき)にあった日本の城である。内ヶ島氏の居城であったが、天正地震による山崩れで埋没した。

略史[編集]

帰雲城は当地の有力武将である内ヶ島氏の居城であった。寛正年間(1461年 - 1466年)の1462年頃、内ヶ島為氏により築城された。

天正13年11月29日1586年1月18日)に天正地震が起き、帰雲山の山崩れで埋没。城内と城下を合わせ推定500人余りが埋没したとされる[1]。当日城内で祝宴が行なわれており、難を逃れたのは所用のため不在だったわずか4人と言われる[2]。城主の内ヶ島氏理ら一族は全て死に絶えてしまい、この瞬間をもって内ヶ島氏は滅亡した。また、内ケ島氏の領内に金山があったことから、城崩壊とともに埋まったとされる埋蔵金伝説がある。

立地[編集]

城のあった正確な位置は現在も特定されていない。保木脇に帰雲城趾の碑が建っている。この一帯では過去に土砂崩れがあったことは地質調査で判明しているが、碑の下に帰雲城が埋まっていると確認されているわけではない。

1993年に発足した「白川郷埋没帰雲城調査会」は、江戸時代の地誌や古地図から帰雲川左岸のいずれかにあったと推定しており、2027年に試験的な発掘調査を予定している[3]

保木脇集落は帰雲城城下町の名残ではなく、庄川水系でのダム建設に伴う移転先として昭和30年代に形成された。庄川近くで採石場を営む建設会社の社長の夢に帰雲城将が現れたとして、帰雲山の崩壊跡を望む地に武将を祀る観音像神社などを建て、地元住民も協力して公園化した[1]

願泉寺資料[編集]

泉州貝塚(現在の大阪府貝塚市)にある願泉寺住職道喜(宇野主水)が安土桃山時代につけていた日記『貝塚御座所日記』に以下の記述がある。

天正十三年七月五日、未刻、大地震。
天正十三年十一月十一日、夜九ツ半地震。この頃「光るもの」みたるもの多し。
廿九日夜四ツ半過ぎ大地震、十余日止まず。京都三十三間堂の六百体の仏像すべて倒る。飛州の帰雲と云う在所内島と云う奉公衆ある所なり。地震に山をゆりくずし山河多くせかれて、内島の在所へ大洪水はせ入って、内島一類地下人にいたる迄残らず死たる也。他国へ行きたる四人残りて泣く泣く在所へ帰りたる由。彼の在所はことごとく渕になりたる也

他、『越中国名跡志』という史料にも同様の記述がある。

関連書籍[編集]

研究書[編集]

  • 岐阜県編集発行『岐阜県史 通史編 中世』(1969年発行)
  • 岐阜県編集発行『岐阜県史 通史編 近世 上』(1968年発行)
  • 岐阜県編集発行『岐阜県史 史料編 古代・中世一』(1969年発行)
  • 岐阜県編集発行『岐阜県史 史料編 古代・中世四』(1973年発行)
  • 荘川村『荘川村史 上巻』(1975年発行)
  • 白川村『新編 白川村史 上巻』(1998年発行)
  • 『歴史の足跡をたどる日本遺構の旅 』- 詳細な地図や豊富な資料、貴重な写真・図版満載。「なるほど知図bookまっぷる選書」 (昭文社2007年刊。ISBN 9784398143051)
  • 加来耕三『消えた戦国武将 帰雲城と内ヶ嶋氏理』(メディアファクトリー社、2011年ISBN 978-4-8401-4344-8)

論文[編集]

  • 安達正雄「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」(『日本海域研究所報告』8号、1976年発行)
  • 安達正雄「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」―第2報 両城主の家系図の検討―」(『日本海学会誌』1号、1977年発行)
  • 安達正雄「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」―第3報 内ヶ島系図と石黒氏系図の研究―」(『日本海域研究所報告』9号、1977年発行)
  • 安達正雄「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」―第4報 内ヶ島氏および石黒氏の家臣達―」(『日本海学会誌』2号、1978年発行)
  • 安達正雄「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」―第5報 両城主と一向一揆―」(『日本海域研究所報告』10号、1978年発行)
  • 安達正雄「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」―第6報 両城主をめぐる地震の被害、震度分布、余震等について―」(『日本海学会誌』3号、1979年発行)
  • 安達正雄「帰雲城主・内ヶ嶋氏の歴史と家系」(『北陸都市史学会会報』8号、1986年発行)
  • 安達正雄「飛騨帰雲城と城主・内ヶ嶋氏の史実を探る― 天正大地震の土石流で城と城下町が埋没し、放置されて四百二十年に当り―」(『石川郷土史学会々誌』39号、2006年発行)
  • 安達正雄「五箇山文献に秘められた飛騨・内ヶ嶋氏の史実について―五箇山と川上三箇庄の一部は室町末期、実は内ヶ嶋氏の領地だった?―」(『石川郷土史学会々誌』40号、2007年発行)
  • 安達正雄「木舟城を陥没させ帰雲城を埋没させた天正大地震の真相―天正大地震は連続多発地震だった―」(『石川郷土史学会々誌』42号、2009年発行)
  • 福井重治「飛騨の金銀山と山城」(小菅徹也編『金銀山史の研究』高志書院、2000年発行)

創作作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 幻の帰雲城白川村役場、2012年9月28日
  2. ^ 白川郷近くにあった幻の城「帰雲城」朝日新聞、2014年12月10日
  3. ^ 野田秀佳:400年不明「幻の帰雲城」◇豊臣時代の岐阜県飛騨、地震で一夜にして埋没◇『日本経済新聞』朝刊2018年6月25日(文化面)2018年6月30日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯36度12分36.2秒 東経136度53分34.2秒 / 北緯36.210056度 東経136.892833度 / 36.210056; 136.892833