崎谷誠一

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崎谷 誠一 Football pictogram.svg
名前
カタカナ サキヤ セイイチ
ラテン文字 SAKIYA Seiichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1950-12-01) 1950年12月1日(67歳)
出身地 広島県
身長 174cm
体重 64kg
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

崎谷 誠一(さきや せいいち、1950年12月1日 - )は、広島県似島出身の元サッカー選手[1][2]

来歴[編集]

山陽高等学校フォワード、あるいは攻撃的MFとして2年時の1967年全国高等学校サッカー選手権で優勝(洛北と第二延長を含む120分0-0で両校優勝)[1][3][4]国体3位[1]。2年生でユース日本代表に選出される[3]。3年時の翌1968年には主将として全国高等選手権準優勝(0ー1初芝[5]。翌1969年第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)に出場した。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者の同学年で[6]、崎谷は八幡製鉄、山陽の同級・河野和久日立県立広島工業荒井公三古河電工小原秀男東洋工業修道大谷栄一三菱重工広島市商の河本博は八幡製鉄と、日本サッカーリーグ(JSL)に進み、いずれもチームの主力選手として活躍した[3]。また、皆実平田生雄永大産業に所属した後、少年サッカー指導者として活躍している[1][7]

崎谷は高校卒業後、八幡製鉄サッカー部入りし主力選手として活躍した。八幡製鉄には山陽高から8人が進んだ[8]日本代表としてもミュンヘンオリンピック予選など、国際Aマッチ3試合に出場している。

現在は、Jリーグマッチコミッショナーを務めている。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

日本サッカーリーグ1部成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1969 八幡 JSL 6 -
1970 新日鐵 JSL -
1971 新日鐵 JSL -
1972 新日鐵 JSL1部 5 -
1973 新日鐵 JSL1部
1974 新日鐵 JSL1部 -
1975 新日鐵 JSL1部 -
1976 新日鐵 JSL1部
1977 新日鐵 JSL1部
1978 新日鐵 JSL1部 7
1979 新日鐵 JSL1部
1980 新日鐵 JSL1部
1981 新日鐵 JSL1部
通算 日本 JSL1部 193 48
日本 JSL2部
総通算

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点(1971-1972)


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1970 0 0 2 0 2 0
1971 2 0 0 0 2 0
1972 1 0 0 0 1 0
1973 0 0 2 0 2 0
通算 3 0 4 0 7 0

出典[編集]

  1. ^ a b c d 河野徳男『広島スポーツ史』、財団法人広島県体育協会、1984年、322-323頁。
  2. ^ 『広島県高体連 サッカー部のあゆみ』井上國三編 広島県高体連サッカー部、2000年、209頁。
  3. ^ a b c 週刊サッカーマガジン』2011年6月14日号 、70頁。
  4. ^ 『栄光の足跡 広島サッカー85年史』広島サッカー85年史編纂委員会 財団法人 広島県サッカー協会、2010年、69頁。
  5. ^ 『『栄光の足跡 広島サッカー85年史』69頁。
  6. ^ 『栄光の足跡 広島サッカー85年史』71頁。
  7. ^ 他の2人は、木本積(修道-中央大)、平田和資(山陽-八幡)(『栄光の足跡 広島サッカー85年史』71頁)。
  8. ^ 『広島スポーツ100年』、中国新聞社、1979年、260頁

参考文献[編集]

  • 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993

外部リンク[編集]