山本重雄

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やまもと しげお
山本 重雄
生誕 (1957-06-12) 1957年6月12日
日本の旗 日本岐阜県武儀郡洞戸村
死没 (2016-08-21) 2016年8月21日(59歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 岐阜県立武義高等学校
職業 実業家

山本 重雄(やまもと しげお、1957年6月12日[1] - 2016年8月21日[2])は、日本の実業家。株式会社エスワイフード代表取締役会長。

経歴[編集]

岐阜県武儀郡洞戸村(現・関市)生まれ。岐阜県立武義高等学校卒業後、海上自衛隊に入隊し調理班で活躍する[3]。訓練の合間に、福富太郎著「あなたも一億円貯められる」という本を読み、焼き鳥屋がかなり繁盛させることができる商売であることを学んだ[3]。21歳のときに海上自衛隊を除隊した。

その後、名古屋市の居酒屋で「栄太郎」で1年、「村さ来」で1年修行する。働いていた店の隣には、鶏肉の手羽先唐揚げで有名な「風来坊」の支店があった。名古屋で「風来坊」からたれの味付けを真似た手羽先唐揚げを出す店が多かった。重雄は手羽先料理に注目する。

1981年6月14日、「串かつ・やきとり やまちゃん」を名古屋市中区新栄にオープンする。そこの店は古い木造アパートの一階、4坪13席で開業当時は午後6時から午前5時までの営業であった[3]。権利金120万円[3]、一人でその店を切り盛りする。料理は最初焼き鳥が多かったが、「風来坊」とは違いタレの甘みを抑えコショウをきかせた「山ちゃん風手羽先」を完成させる[3]。これが「世界の山ちゃん」の歴史の始まりの瞬間であった。このころから日商7万円、月商200万円ほどの店となる[4]。開業してから3年後、1000万円の現金が残ったという。1984年4月に店を移転させ住吉店を、同年8月には改めて新栄店をオープンさせる。

同年1984年、重雄は個人営業から「有限会社世界のやまちゃん」と会社組織とした。1985年千種区に今池店をオープンさせるものの、6ヶ月で閉店になった。1985年4月11日に株式会社となる。1986年10月に葵店が、1987年11月に千種店が、1991年に「BAR YAMACHAN」が、1992年には「となりのやまちゃん」がオープンしている。その後、「世界のやまちゃん」の店舗が名古屋市で増える一方で採算が合わない店は閉店させた。1995年にフランチャイズ化させ、1997年には「世界の山ちゃん」のイメージキャラクターでもある「鳥男」が登場するが、モデルは重雄と言われている。

2003年9月、神奈川県の川崎砂子店がオープンした。これが「世界の山ちゃん」関東地区1号店となった。2004年3月、東京都新宿区に新大久保店が、5月に川崎仲見世店が、6月に新大久保2号店が、7月に西武新宿店が、2005年6月には、北海道札幌市中央区に「すすきの南3条店」がオープンし北海道地区1号店となった。2009年5月には、広島県広島市中区に広島胡店がオープンし広島地区1号店となった。2016年8月現在、「世界の山ちゃん」はグループ店やFC店、日本国外4店舗を含めて75店舗展開している。しかし、現場の居酒屋店主から外食産業経営者の風雲児として期待されてきた矢先の2016年8月21日午前7時54分、重雄は解離性大動脈瘤のため59歳で急死した。

なお、「世界の山ちゃん」は駅前の繁華街に出店するの都市型店舗として急成長したため、重雄は故地である岐阜県に出店させることはなかった。エスワイフードは重雄の死去から1年以上経った2017年9月、岐阜市内に同県唯一の店舗をオープンさせた。

関連人物[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]