宮中ダム

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宮中ダム
宮中ダム
左岸所在地 新潟県十日町市小原
位置
河川 信濃川水系信濃川
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 16.4 m
堤頂長 330.0 m
堤体積 51,000
流域面積 7,841.0 km²
湛水面積 21.0 ha
総貯水容量 970,000 m³
有効貯水容量 833,000 m³
利用目的 発電
事業主体 東日本旅客鉄道
電気事業者 東日本旅客鉄道
発電所名
(認可出力)
千手発電所 (120,000kW)
小千谷発電所 (123,000kW)
新小千谷発電所 (206,000kW)
施工業者 鉄道省
着工年/竣工年 1920年/1938年
出典 [1] [2] [3] [4]
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宮中ダム(みやなかダム)は新潟県十日町市(旧中魚沼郡中里村)、一級河川信濃川本流中流部に建設された重力式コンクリートダムである。

東日本旅客鉄道エネルギー管理センターが管理する企業私有ダム。高さ16.4mの重力式コンクリートダムで、河川法で規定されるダムとしては信濃川本流に建設された唯一の存在である。水力発電を目的としており、下流の千手小千谷新小千谷の三発電所において合計約45万kWの発電を行い、首都圏の大動脈である山手線中央線などの運転に必要な電力の約23%を生み出している。ダムによって形成された人造湖には特に名称が付けられていない。2008年9月に発覚した不祥事によって国土交通省から行政処分が科され、水利権が剥奪処分され利用を停止された。

概要[編集]

大正時代、鉄道網が次第に延伸して行くに連れて動力源である電力確保の必要性に迫られた鉄道省(後の国鉄)は、首都圏 に敷設した鉄道網への安定した電力供給を図るべく、水量の豊富な信濃川水系に水力発電所を計画し、電力需要を確保してさらなる路線整備を目指した。

1920年(大正9年)、宮中ダムは下流に建設した千手発電所(せんじゅはつでんしょ)の取水ダムとして日本一の大河・信濃川本川に建設を開始し、1938年(昭和13年)に18年の歳月を掛けて完成した。

これらダム及び西大滝ダムの完成により、上流の千曲川流域へのサケ遡上は、激減していく[1]

2009年3月に水門が開かれ70年ぶりに信濃川の水量が増加、ダムの上流に遡上するサケ、アユが大幅に増加した[2]

発電設備[編集]

宮中ダム左岸より取り入れられた水は浅河原調整池アースダム、37.0m)を経由し、まず千手発電所で発電に利用される。 その水はさらに山本調整池を経由し1951年完成の小千谷発電所(おぢやはつでんしょ)でも発電される。 同地点には1990年新小千谷発電所(しんおぢやはつでんしょ)が完成し、新たに新山本調整池ロックフィルダム、42.5m)が設けられた。 新小千谷発電所から放流された水を逆調整するため、JR東日本は長岡市建設省(現・国土交通省北陸地方整備局)が1990年に完成させた妙見堰を利用。 現在は国土交通省(河川局・道路局)と妙見堰を共同管理している。

宮中ダムから取水された信濃川の水により、千手・小千谷・新小千谷の三発電所合計で認可出力449,000kWの発電を行い、北陸地方でも屈指の発電量を誇る水力発電所となっている。 この三発電所は総称して信濃川発電所(しなのがわはつでんしょ)と呼ばれている。 なお、宮中ダムよりすぐ上流にも同名の信濃川発電所が存在しているが、これは東京電力が建設した水力発電所である。

JR東日本は電車に使用する年間発電量の58%を自家発電でまかなっているが、その40%にあたる14.4億kWh/年はこの三発電所によるものである。 信濃川で発電された電力は送電線変電所を経由し、山手線中央線京浜東北線等の首都圏における枢要交通機関を支えている。

不祥事[編集]

国土交通省北陸地方整備局は2008年9月5日、JR東日本の発電取水量に不正行為(水利権の乱用)があったため、再発防止策の徹底を求めたが、超過取水量が極めて大きいことや、国交省が2007年に調査した際にJR東日本は、「適正に行っている」と回答していた点が虚偽であったことを重視し[3][4]、2009年3月10日に水利権の取り消し処分を言い渡した[5]

脚注[編集]

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  1. ^ 水産資源と漁業上田地域自然電子図鑑
  2. ^ 宮中ダム上流 サケ・アユ遡上3倍 読売新聞 2009年10月28日
  3. ^ 謝罪コメントと一連の事象について説明 JR東日本
  4. ^ 記者発表2008年9月5日ほか 国土交通省北陸地方整備局
  5. ^ FNNJR東日本・信濃川発電所不正取水問題で取水取り消し処分へ

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]