安椿生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
安椿生
General Ahn Chun-saeng.jpg
生誕 1912年8月12日
日本の旗 朝鮮 黄海道海州
死没 (2011-01-26) 2011年1月26日(98歳没)
大韓民国の旗 大韓民国 ソウル特別市江東区
所属組織 Flag of the Republic of China Army.svg 国民革命軍
Flag of Korea (1882-1910).svg 韓国光復軍
Flag of the Republic of Korea Army.svg 大韓民国陸軍
最終階級 Major rank insignia (ROC, NRA).jpg 少校(中国軍)
한국 광복군 정령 계급장.PNG 正領(光復軍)
중장.JPG 中将(韓国陸軍)
除隊後 国会議員、独立記念館館長
墓所 国立ソウル顕忠院愛国志士墓域211号
テンプレートを表示
安椿生
各種表記
ハングル 안춘생
発音: アン・チュンセン
日本語読み: あん ちんせい
ローマ字 An Chun-saeng
テンプレートを表示

安 椿生(アン・チュンセン、안춘생)は日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国軍人国会議員企業家本貫順興安氏순흥안씨)。別名は王衡安重根

経歴[編集]

1912年8月、黄海道海州に生まれる。

1918年、家族と共に満州に亡命。

中央陸軍軍官学校洛陽分校韓人特別班に入学。数か月教育を受けた後、南京の本校に移動して第1総隊歩兵大隊第3隊に配属[1]

1936年6月、第10期歩兵科卒業。中国軍第2師に配属される。1938年、湖南省の警備司令部に服務。1939年10月、軍政府監護大隊に服務。1940年6月、李俊植などと共に軍事特派団で活動。光復軍が創設されると、同年11月に第1支隊幹部。山西省大同で工作活動。1942年、第2支隊第1区隊長。1945年、駐寧支隊長。

帰国後は民族青年団訓練部長を務めていた。1949年、陸軍士官学校第8期特別第1次任官[2]、任大領(軍番12448番)。同年1月、陸軍本部監察監。1951年10月、陸軍士官学校校長。陸軍本部軍需局長、教育総監部副総長を歴任。1956年6月、陸軍大学卒業。同年7月、第8師団長。1957年、第2軍副司令官。1959年2月、第2軍管区司令官。同年7月、陸軍本部人事参謀副長。1960年8月、国防部次官補。1961年4月、中将で予備役編入。

予備役編入後は大韓重工業公社総理事。1963年2月、仁川重工業株式会社社長。1967年1月、民主共和党に入党。1969年1月、栄進運輸商会社長。1972年、正邦物産社長。1973年3月、第9代国会議員維新政友会)当選、国会商工委員会委員。同年5月、光復会会長。1975年5月、総力安保国民協議会代表。同年9月、国家予算決算委員会委員。1976年2月、維新政友会2期議員。同年3月、国会商工委員会委員。1978年3月にヨーロッパ各国の発電施設を視察。同年12月、維新政友会3期議員候補から脱落。

平和統一政策諮問委員、初代独立記念館館長、老人会会長などを務めた。

2011年1月26日午後4時23分、病気のため中央報勲病院韓国語版にて死去。享年98[3]

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中国黄埔軍校網. “南京本校第十期歩兵大隊第三隊学員姓名籍貫表” (中国語). 2016年3月26日閲覧。
  2. ^ 6・25戦争史 第1巻 (PDF)” (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 332. 2016年11月18日閲覧。
  3. ^ “[명복을 빕니다] 애국지사 안춘생 前광복회장” (朝鮮語). 東亜日報. (2011年1月27日). http://article.joins.com/news/article/article.asp?total_id=4982405&cloc=olink 2015年7月24日閲覧。 
  4. ^ Ahn Choon Saeng”. Military Times. 2015年11月28日閲覧。
[ヘルプ]

参考[編集]

外部リンク[編集]

軍職
先代:
(休校)
陸軍士官学校校長
第9代:1951.10.30 - 1952.11.10
次代:
金鐘五
公職
先代:
趙時元
大韓民国の旗 大韓民国光復会会長
第4代:1973.5.28 - 1976.5.20
次代:
朴始昌