宇喜多基家

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宇喜多基家
時代 安土桃山時代
生誕 永禄5年(1562年)?
死没 天正9年(1581年8月[1]
別名 通称:与太郎
墓所 岡山県瀬戸内市邑久町大賀島寺
主君 宇喜多直家
氏族 宇喜多氏
父母 父:宇喜多春家 または 宇喜多忠家
養父:宇喜多直家

宇喜多 基家(うきた もといえ)は、安土桃山時代武将宇喜多氏の家臣。宇喜多春家の子で宇喜多直家の養子[1]、又は、宇喜多忠家の子。備前国沼城主。

生涯[編集]

天正7年(1579年)、宇喜多氏が織田氏と和睦する際に直家の名代として織田信忠と面会したと伝わる。天正9年(1581年)8月、毛利氏穂井田元清との備前八浜合戦に総大将として、春家、忠家と参加するが、流れ弾に当たって討死した。この合戦で父・春家も討死している[1]

基家は宇喜多氏の菩提寺とされる大賀島寺に葬られたが、与太郎神社岡山県玉野市八浜)も築かれている。また、いつのころからか「与太郎様」と呼ばれ、足の神様として信仰を集めている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 百家系図』巻29所収「浮田系図」、『百家系図稿』巻17所収「宇喜多系図」

参考資料[編集]

  • 谷口克広 『織田信長家臣人名辞典』 (第2版) 吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014571