奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件
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| 奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件 | |
|---|---|
| 場所 |
|
| 標的 | 月ヶ瀬村立月ヶ瀬中学校2年生の女子生徒A(当時13歳)[2] |
| 日付 |
1997年(平成9年)5月4日[3] 午後2時25分頃[3] (UTC+9) |
| 概要 | 男Oが女子生徒Aを四輪駆動車三菱・ストラーダに乗せて連れ去り、三重県上野市(現:伊賀市)の山中で首を絞めた後、頭部に石を落として殺害した[3]。 |
| 攻撃手段 | 首を絞める・石を落とす[3] |
| 攻撃側人数 | 1人[3] |
| 武器 | 四輪駆動車・石[3] |
| 死亡者 | 1人[3] |
| 犯人 | 村の住民の男O(逮捕当時25歳)[4] |
| 容疑 | 殺人・未成年者略取[3] |
| 動機 | 四輪駆動車に乗せようとした誘いを断ったことに対する報復[3] |
| 対処 | Oを奈良警察署捜査本部が逮捕・奈良地方検察庁が起訴[5][6] |
| 謝罪 | 初公判で「争うつもりはありません。謝罪したい」と述べて謝罪した[7]。 |
| 刑事訴訟 | 無期懲役(控訴審判決・上告取り下げにより確定)[3][8] |
| 影響 | |
| 管轄 | |
奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件(ならけんつきがせむら じょしちゅうがくせいさつがいじけん)とは、1997年(平成9年)5月4日に奈良県添上郡月ヶ瀬村(現:奈良市月ヶ瀬地区)で発生した殺人事件[11]。
同時期に発生した神戸連続児童殺傷事件とともに、子供が被害者となった事件として全国的に注目を集めた[11]。
概要
[編集]1997年(平成9年)5月4日午後2時25分ごろ、奈良県添上郡月ヶ瀬村で無職の男Oが帰宅途中の月ヶ瀬村立月ヶ瀬中学校[注 1]2年生の女子生徒A(当時13歳)を拉致しようと、時速約30キロメートルで走行中の四輪駆動車三菱・ストラーダを衝突させてAを転倒させ、Aを後部座席に乗せて連れ去った[1][3]。その後、三重県上野市(現:伊賀市)の山中でAの首を絞めた上、近くにあった石を頭部に落としてAを殺害した[1][3]。殺害後、OはカッターナイフでAの衣類などを切り裂いて月ヶ瀬村の公衆トイレに投棄し、5月7日には事件現場に戻った上で近くに捨ててあった布団をAの遺体に被せて証拠隠滅を図った[1]。
事件当日、Aは橿原市で開催された卓球大会に参加していたが、大会終了後に友人2人と別れたのを最後に行方不明となったため、Aの家族が奈良警察署に捜索願を届け出た[注 2][13][2][4]。
村人、奈良県警が自宅周辺を捜索していると、Aのスニーカーが発見され、道路にはタイヤ痕、ガードレールには血痕が付着していた[2]。近くの西部浄化センターの公衆トイレでは切り裂かれたAのジャージと、血だらけのダウンベストが発見された[4]。
捜査
[編集]奈良県警はAがひき逃げや事件に巻き込まれた可能性があるとして奈良警察署に捜査本部を設置[4]。本格的な捜索を開始した[4]。
5月8日、奈良県警は「拉致事件」と見て交通部から刑事部に交代し、血だらけのダウンベストの写真を公開して情報提供を求めた[4][12]。その後、捜査本部はAのジャージに付着していたハンノキなど5種類の植物を公開して改めて情報提供を求めた[12]。
5月29日、捜査本部は現場に残されたスリップ痕から、犯行車両を四輪駆動車など4車両に絞り、近隣で対象車種の所持者の特定を開始した[4]。
その後、捜査本部が聞き込み調査をしたところ、四輪駆動車三菱・ストラーダを乗り回していたOが捜査線に浮上した[4]。これを受けて奈良県警やマスコミはOをマークし始めた[注 3][4]。Oは奈良県警の事情聴取に対して「事件のあった時間帯は車の中で寝ていた」と事件への関与を否定し、指紋の採取や毛髪の任意提出を拒んでいたが、直近になって四輪駆動車を売却していたため、自動車販売会社から車の任意提出を受けて捜査本部がDNA型鑑定を行ったところ、後部座席に付着していた血痕がAのDNAと一致した[15][4]。
7月23日、奈良県警はAに対する未成年者略取容疑で被疑者O(当時25歳)を逮捕した[11][15]。逮捕当初、Oは現場付近でAを目撃したことは認めた上で容疑を否認していたが、切り裂かれたジャージからOの車のタイヤ痕が発見されたことなどを追及すると犯行を認めた上で「Aを車ではねた後に殺し、三重・滋賀県境の山中に捨てた」と自供した[4][16][17]。捜査本部が三重県上野市(現:伊賀市)の山中を捜索したところ、御斎峠で自供通り白骨化したAの遺体が発見された[注 4][17]。また、OはAの遺体を遺棄した後に治田インターチェンジ付近のガソリンスタンドなどに立ち寄ったことも認めた[注 5][18]。しかし、曖昧な供述が目立ったため、捜査本部はOが故意にAを車ではねたと見て目撃情報などをもとに慎重にOの供述の裏付けを進めた[注 6][18]。
その後、Oは「Aの頭を近くにあった石で殴って殺した」などと殺害について具体的な供述をしたため、8月12日に殺人容疑で再逮捕された[11][21][22]。
動機
[編集]月ヶ瀬村には地元民2名の推薦がなければコミュニティに参加する事が出来ないという「与力制度」[注 7]が存在していた。この与力制度で村に収める負担金や家の格付けなどが行われているが、この制度が村八分という差別を作り出している元凶となっていた[25]。Oの家族もこの差別行為の標的にされ、精神的に追い詰められていた[注 8][27]。
Oは犯行の動機について「車を運転して帰宅の途中、偶然被害者のAと遭遇した。そこで顔見知りであるAに『家に送ってあげる』と声をかけたが無視された。度重なる村八分によるストレスと相まって、衝動的に歩いている被害者の背後から車で轢き、発覚を恐れて連れ去り三重県上野市(現:伊賀市)の山中で首を絞めた上で石で撲殺した」と自供した[1]。
刑事裁判
[編集]起訴事実に争いはなく、Oの家族が受けた村八分などの差別行為、衝動的犯行であることやOの反省の態度について情状酌量の余地を認定するかどうかが争点となった[28][29]。弁護人は「村から疎外されていたという意識がO被告人の犯行の背景にあった」として情状酌量を求めた[30]。
第一審・奈良地裁
[編集]1997年(平成9年)10月27日、奈良地裁(鈴木正義裁判長)で初公判が開かれ、罪状認否で被告人Oは「争うつもりはありません」と述べて起訴事実を全面的に認めた上で「Aとその家族に心からおわびし、一生をかけて謝罪していきたい」と謝罪した[1][31]。冒頭陳述で検察官は、犯行動機について「(O被告人は)Aを車で家まで送っていってあげようと声をかけたが、無視されたため立腹した。これまで嵩地区の住民から差別を受けてきたとして、不快感を抱いていたこともあり、Aが無視したのもその表れであるとして、Aに車をぶつけて連れ去ろうと思った」と述べた[1][31]。
1998年(平成10年)8月7日、論告求刑公判が開かれ、検察官は「拉致や殺害の手法は悪質で、抑制力が欠如した被告の性格を考えると、再発防止の困難さがうかがえる。極めて卑劣かつ悪質で、改悛の情も見られず、社会的影響も大きい」として被告人Oに無期懲役を求刑した[32][33]。
1998年(平成10年)9月7日、最終弁論が開かれ、弁護人は「村で他所者扱いされてきたものが根底にある。犯行は衝動的なものだった」と述べて情状酌量を求めた[34]。最終意見陳述でOは「どんな刑罰になるかは興味がない。被害者と遺族にただ謝りたい」と述べて結審した[35]。
1998年(平成10年)10月19日、奈良地裁(鈴木正義裁判長)で判決公判が開かれ、裁判長は「犯行は短絡的、自己中心的で残酷。静かな山村に与えた衝撃や不安は大きい」と指摘した上で「犯行は衝動的で計画性は認められず、自白後は謝罪するなど反省の情を示している」として被告人Oに懲役18年の判決を言い渡した[11][25][36]。弁護人が求めた情状酌量について奈良地裁は「子供の頃から他所者扱いで、経済的に恵まれない家庭に育つなど疎外感を感じていたことは想像されるが、そういった不満や憎しみは中学2年のAに責めはなく、過大評価できない」として情状酌量を認めなかった[36]。一方、計画性がなく、衝動的な犯行であることや自白後の反省の態度などの情状を考慮して酌量減軽した[36]。奈良地検は「量刑が軽すぎる」として判決を不服として控訴した[37][38]。
控訴審・大阪高裁
[編集]1999年(平成11年)9月17日、大阪高裁(河上元康裁判長)で控訴審初公判が開かれ、弁護人は「住民から他所者扱いされ続けてきた被告人が、疎外感を爆発させたことが背景にある」と主張して控訴棄却を求めた[39][40]。一方、検察官は「被告人の異常な性向が、残酷な犯行の原因にある」とした控訴趣意書を提出し、量刑不当を理由に一審判決の破棄を求めた[40]。
2000年(平成12年)6月14日、大阪高裁(河上元康裁判長)は「犯行の全貌をすべて供述していると見ることはできず、真摯な反省とは距離がある。残虐な通り魔的犯行で、刑事責任は極めて重大。原判決の量刑は軽きに失し不当」として一審・奈良地裁の懲役18年の判決を破棄、検察官の求刑通り無期懲役の判決を言い渡した[3][41][42]。Oの家族が受けた村八分などの差別行為について大阪高裁は「何の咎もない中学2年生の被害者に対する動機としては、ほとんど酌むべき事情とならない」として一審同様に情状酌量を認めなかった[41]。一方、一審で酌量減軽の理由として挙げられた自白後の反省の態度などについては「被害者を最初に見かけた後に地区内を一周して再び被害者に近づいた理由について不自然な弁解をしたり、被害者の下着を切断した事実について記憶がないとするなど、真摯な反省をしている態度とはいえない」と指摘した上で「情状酌量を最大限に考慮しても、刑事責任は極めて重大であり、一審判決は軽すぎる」と結論付けた[41]。
上告取り下げ・無期懲役確定
[編集]2000年(平成12年)6月28日、弁護人とOは控訴審判決を不服として最高裁に上告したが、7月7日にOが上告を取り下げたため、無期懲役の判決が確定した[43][44][45]。
判決確定後
[編集]2000年(平成12年)9月、無期懲役の判決が確定したOは収容されていた大阪刑務所から大分刑務所に移送された[46]。
2001年(平成13年)9月4日、受刑者として服役中のOは収容先の大分刑務所でランニングシャツを紐状にし、窓枠にかけて首を吊り自殺を図った[46][47][48]。巡回中の刑務官が発見した時、Oはすでに意識不明の状態で、直ちに大分市内の病院に搬送されたが、9月8日に低酸素脳症で死亡した[47][48]。29歳没[47]。Oが収容されていた独居房から遺書などは発見されず、O自身も服役態度に問題は見られないなど自殺の兆候を窺わせるものはなかった[47][49]。
備考
[編集]犯罪心理学者の小田晋は、犯人が被害者を時速25キロメートルという低速ではねた事、被害者をビニールテープで縛った事、遺体に着衣は無かった事から、本事件は実際には性犯罪だった可能性が高いと指摘している[50]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 事件当時[2]。
- ↑ 大会終了後、中学校がチャーターしたバスで他の部員と一緒に月ヶ瀬村に戻り、友人と別れた後、1人で歩いているのを近隣住民が目撃していた[2][12]。
- ↑ 逮捕前、Oは産経新聞の取材に対し、「犯人扱いされ、気分が悪い」と事件の関与を否定する一方、記者に対して「DNA鑑定でどんなことが分かるのか。例えば、植物でも分かるのか」と逆質問していた[14]。
- ↑ 白骨化していたため、身元の特定に難航したが、司法解剖の結果や身長及び髪型などの身体特徴がAと完全に一致したことからAの遺体と断定した[18]。
- ↑ 事件を起こす約3年前から年に2、3回の頻度でガソリンスタンドに立ち寄っており、事件当日に発行されたレシートを捜査本部に提出している[19]。
- ↑ 事件当日の日没前、月ヶ瀬村から山添村に通じる山道に四輪駆動車を駐車し、付近の畑に佇むOを近隣住民が目撃している[20]。
- ↑ この「与力制度」は、月ヶ瀬村や山添村をはじめとした大和高原の農村に見られる民俗慣行である[24]。
- ↑ 事件後、Oの家族は、地元民からの非難に晒されたため、月ヶ瀬村から引っ越し、居住していた住宅は1998年(平成10年)10月までに解体された[26]。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 「O被告、Aさんの略取、殺害認める」『産経新聞』産業経済新聞社、1997年10月28日。オリジナルの2001年2月12日時点におけるアーカイブ。2019年1月12日閲覧。
- 1 2 3 4 5 「路上に血痕、便所に着衣 事故後に連れ去る?」『産経新聞』産業経済新聞社、1997年5月6日。オリジナルの2001年7月14日時点におけるアーカイブ。2026年4月21日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 「月ヶ瀬村・中2殺害:殺人などの控訴審判決で無期懲役 大阪高裁」『毎日新聞』毎日新聞社、2000年6月14日。オリジナルの2003年4月27日時点におけるアーカイブ。2025年3月1日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 『読売新聞』1997年7月23日 全国版 東京夕刊 夕2社14頁「奈良の中2女子不明 異例、未明の逮捕劇 容疑者宅取り囲む報道陣」(読売新聞東京本社)
- ↑ 『読売新聞』1997年7月23日 全国版 大阪夕刊 夕一面1頁「奈良の少女拉致事件 近所の25歳男を逮捕 故意にはねる Aさん依然不明」(読売新聞大阪本社)
- 1 2 『読売新聞』1997年9月3日 全国版 大阪朝刊 社会27頁「月ヶ瀬村のAさん殺害事件 O容疑者を起訴/奈良地検」(読売新聞大阪本社)
- ↑ 『毎日新聞』1997年10月27日 大阪夕刊 1面1頁「奈良・少女不明事件初公判 起訴事実認める O被告、「謝罪したい」」(毎日新聞大阪本社)
- ↑ 「月ヶ瀬村・中学生殺害:O被告の無期確定 最高裁への上告取り下げ」『毎日新聞』毎日新聞社、2000年7月10日。オリジナルの2001年4月18日時点におけるアーカイブ。2025年3月1日閲覧。
- ↑ 『読売新聞』1997年5月31日 全国版 大阪夕刊 夕2社10頁「須磨の小6殺害事件などで近畿の各教委が通達 学校、地域協力「子供守れ」」(読売新聞大阪本社)
- ↑ 『産経新聞』2001年9月19日 東京夕刊 第1社会面「月ヶ瀬の中2殺害 O受刑者が自殺 今月上旬、大分刑務所」(産経新聞東京本社)
- 1 2 3 4 5 『西日本新聞』1998年10月19日夕刊第10版B一面1頁「月ケ瀬村中2殺害 O被告に懲役18年 奈良地裁判決 「冷酷な犯行」」(西日本新聞社)
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- ↑ 「奈良で女子中生不明 路上に靴と血痕」『産経新聞』産業経済新聞社、1997年5月5日。オリジナルの2001年7月14日時点におけるアーカイブ。2019年2月15日閲覧。
- ↑ 「「犯人扱いされ、気分が悪い」O容疑者 一問一答」『産経新聞』産業経済新聞社、1997年7月23日。オリジナルの2001年1月23日時点におけるアーカイブ。2026年4月21日閲覧。
- 1 2 「顔見知り25歳男逮捕 奈良 中2女子不明」『産経新聞』産業経済新聞社、1997年7月23日。オリジナルの2001年1月23日時点におけるアーカイブ。2026年4月21日閲覧。
- ↑ 「O容疑者が殺害供述」『産経新聞』産業経済新聞社、1997年8月1日。オリジナルの2001年1月21日時点におけるアーカイブ。2026年4月30日閲覧。
- 1 2 『読売新聞』1997年8月2日 全国版 東京朝刊 一面1頁「奈良・中2不明のAさん、三重の山中で遺体発見 O容疑者が自供」(読売新聞東京本社)
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- ↑ 「月ヶ瀬事件 O容疑者 当日夕方に給油 行動知る手がかりに」『産経新聞』産業経済新聞社、1997年7月30日。オリジナルの2001年7月23日時点におけるアーカイブ。2026年4月30日閲覧。
- ↑ 「O容疑者隣村で目撃 畑の中…供述と食い違い」『産経新聞』産業経済新聞社、1997年8月1日。オリジナルの2001年1月21日時点におけるアーカイブ。2026年4月30日閲覧。
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- ↑ 『産経新聞』1997年8月13日 東京朝刊 第1社会面「奈良の中2女子事件 O容疑者 取調官の言葉に否認一転」(産経新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』1997年9月3日 朝刊 1社27頁「中学生に無視された Aさん殺害でO容疑者を起訴【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
- ↑ 三上勝也「村の内/外と『月ケ瀬事件』」『ソシオロジ』第45巻第3号、社会学研究会、2001年、112-113頁、doi:10.14959/soshioroji.45.3_112。
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- ↑ 『産経新聞』1998年10月19日 東京夕刊 第1社会面「中2殺害事件 消えぬ事件の傷 月ヶ瀬住民」(産経新聞東京本社)
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- ↑ 『読売新聞』1998年10月19日 全国版 大阪夕刊 夕社会15頁「月ヶ瀬・中2生殺害判決 O被告、身じろぎせず 遺族らすすり泣く/奈良地裁」(読売新聞大阪本社)
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- ↑ 『読売新聞』1998年8月8日 全国版 大阪朝刊 社会31頁「月ヶ瀬の女子中生殺害事件 O被告に無期求刑 改しゅんの情見えず/奈良地裁」(読売新聞大阪本社)
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- ↑ 『読売新聞』1998年10月24日 全国版 東京朝刊 2社34頁「奈良・月ヶ瀬事件、検察側が控訴」(読売新聞東京本社)
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- ↑ 『朝日新聞』1999年9月18日 朝刊 1社31頁「奈良・月ヶ瀬村少女殺害の控訴審始まる 大阪高裁【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
- 1 2 『読売新聞』1999年9月18日 全国版 大阪朝刊 2社34頁「奈良・月ヶ瀬の女子中学生殺人事件 控訴審の初公判/大阪高裁」(読売新聞大阪本社)
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- ↑ 『読売新聞』2000年6月14日 全国版 大阪夕刊 夕一面1頁「奈良・月ヶ瀬の中2殺害事件 O被告に無期懲役 一審の18年破棄/大阪高裁」(読売新聞大阪本社)
- ↑ 『読売新聞』2000年6月28日 全国版 大阪夕刊 夕社会15頁「奈良・月ヶ瀬村の女子中学生殺害事件 O被告が上告」(読売新聞大阪本社)
- ↑ 『読売新聞』2000年7月11日 全国版 大阪朝刊 社会35頁「奈良・月ヶ瀬事件 O被告の「無期」確定 上告を取り下げ」(読売新聞大阪本社)
- ↑ 『朝日新聞』2000年7月10日 夕刊 2社会18頁「O被告、上告取り下げ無期が確定 奈良・月ヶ瀬事件【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
- 1 2 『毎日新聞』2001年9月19日 西部夕刊 社会面7頁「奈良・月ヶ瀬村の中2女子殺害 O受刑囚が自殺--大分刑務所内独居房で」(毎日新聞西部本社)
- 1 2 3 4 『読売新聞』2001年9月19日 全国版 大阪夕刊 夕社会13頁「奈良・月ヶ瀬の中2女子殺害 O受刑者が自殺 9月4日、大分刑務所独居房で」(読売新聞大阪本社)
- 1 2 『朝日新聞』2001年9月19日 朝刊 1社会31頁「O服役囚が自殺 奈良・月ヶ瀬村の中2女子殺害【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
- ↑ 『朝日新聞』2001年9月20日 朝刊 奈良1 29頁「兆候はなかった 中学生殺害のO服役囚自殺で大分刑務所 /奈良」(朝日新聞大阪本社)
- ↑ 「サイコキラーの事件ファイル」『FOCUS 12月15日号』、新潮社、1999年、20-21頁。