大分交通豊州線

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豊州線
概要
現況 廃止
起終点 起点:豊前善光寺駅
終点:豊前二日市駅
駅数 9駅
運営
開業 1914年5月23日 (1914-05-23)
廃止 1953年9月30日 (1953-9-30)
所有者 日出生鉄道→豊州鉄道→大分交通
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 15.5 km (9.6 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
STRq
国鉄日豊本線
exSTR+r
0.0 豊前善光寺駅
exBHF
2.2 城駅
exBHF
4.1 豊前四日市駅
exBHF
5.9 新豊川駅
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第1駅館川橋梁 駅館川
exBHF
7.7 拝田駅 [1][2]
exBHF
8.3 鷹栖観音駅
exhKRZWae
第2駅館川橋梁
exBHF
10.7 三又川駅
exBHF
12.0 香下神社前駅
exBHF
香下駅
exWBRÜCKE1
第3駅館川橋梁
exBHF
14.4 円座駅 [1][2]
exKBHFe
15.5 豊前二日市駅

豊州線(ほうしゅうせん)は、かつて大分県宇佐郡高家村日本国有鉄道(国鉄)日豊本線豊前善光寺駅から同郡四日市町の豊前四日市駅を経て同郡東院内村の豊前二日市駅までの間(走行区間はすべて現・宇佐市)を結んでいた、大分交通鉄道路線である。当初から経営は苦しく、少ない客貨の輸送量の上に自動車の攻勢と久大本線の開通で収入は減少、さらに自然災害にも苦しめられた。元々、玖珠郡玖珠町まで路線を延ばす予定であったが、経済的理由から放棄された。累積赤字を抱えバス代行にした矢先のルース台風の被害により廃止を迎えた。

路線データ[編集]

1932年(昭和7年)12月当時

運行概要[編集]

1932年12月改正当時

  • 列車本数:豊前善光寺 - 豊前二日市間11往復(他、朝に豊前善光寺 - 豊前四日市間1往復)
  • 所要時間:全線55 - 69分

1950年(昭和25年)5月改正当時

  • 列車本数:豊前善光寺 - 円座間6往復
  • 所要時間:全線76 - 78分

歴史[編集]

豊州線は国鉄四日市駅(豊前善光寺駅)を起点とし高家、八幡、四日市町、豊川、両川を経て安心院村までの軽便鉄道を敷設し将来は日出生台陸軍演習場[3]に延長することを地元有志が立案したことがはじまりであった。1911年(明治44年)7月に鉄道免許状が下付されたので会社設立に向け株式募集をすすめた。1912年(明治45年)5月28日創立総会を開催し、名称を日出生鉄道、資本金を30万円として初代社長には水之江文二郎[注釈 1]が就任することになった。1913年(大正2年)2月15日に着工となり、1914年(大正3年)3月に注文していた機関車2両、客車2両、貨車8両が到着すると工事列車に使用した。3月31日に新豊川まで完成したので鉄道院の竣工監査を合格すると5月に四日市- 新豊川間が開業となった。その後延伸開業を繰り返し1922年(大正11年)2月に豊前二日市まで開通したが安心院村までの敷設免許は失効した。しかし経営は苦しく[注釈 2]社長交替や減資を繰り返した。1926年(大正15年)に乗合自動車に対抗するべくガソリンカーを導入し増発するもの経営は好転せず、さらに1929年(昭和4年)12月久大線豊後森駅開業により日出生台行きの貨物は皆無となった。

そんな状況のなか社長に就任したのは当時相模鉄道の社長であった南俊二であった。南は1929年(昭和4年)4月に社長に就任すると豊州鉄道と社名を変更し、軌間を国鉄と同じ1067mmにするため資本金を50万円[注釈 3]にして再建に乗り出すことになった。じつは南俊二の狙いは「ハイリスクを承知で不振企業に照準を合わせ、最安値で株式を取得し経営権を握り、強引に整理を推進し株価急回復後に売り抜けて短期間に極大の利鞘を狙う[5]」ことであった。ところが不況で思うようにはいかず南の投資は失敗に終わり、1931年(昭和6年)1月に社長を退任[注釈 4]。豊州鉄道は同年上期に債務不履行のため債権者である日本勧業銀行より競売に付せられることになった。ところがわずか11万円と評定されたため整理を図り[注釈 5]、勧銀の債務額を除き借入金及び未払金を桐田益夫ら旧重役3人で弁済することになった。前任の日出生鉄道社長の桐田が復帰したがまもなく過労と心労から死亡し、後任社長は京王電気軌道取締役で四日市町出身の渡辺孝が就くことになった。

年表[編集]

  • 1911年(明治44年)7月18日 鉄道免許状下付(高家-安心院間)[6]
  • 1912年(明治45年)5月28日 日出生鉄道株式会社設立[7][8]
  • 1914年大正3年)5月23日 日出生鉄道(ひじゅうてつどう)により、四日市(後の豊前善光寺) - 新豊川間開業[9]
  • 1915年(大正4年)
  • 1918年(大正7年)6月10日 鉄道免許取消(宇佐郡東院内村 - 同郡安心院村間)[12]
  • 1919年(大正8年)4月26日 三又川 - 円座間開業[13]
  • 1921年(大正10年)6月16日 鉄道免許状下付(宇佐郡東院内村 - 同郡安心院村間)[14]
  • 1922年(大正11年)2月4日 円座 - 豊前二日市間開業[15]
  • 1923年(大正12年)7月19日 鉄道免許失効官報掲載(指定の期限内に宇佐郡東院内村 - 同郡安心院村間の工事施工認可申請を為さざるため)[16]
  • 1924年(大正13年)2月1日 四日市駅を豊前善光寺駅に改称[17]
  • 1925年(大正14年)1月1日 四日市町駅を豊前四日市駅に改称[18]
  • 1929年昭和4年)
    • 4月22日 相模鉄道社長南俊二が社長に就任[19]
    • 4月24日 豊州鉄道と改称[20]
  • 1929年(昭和4年)5月13日 競売期日決定[21][注釈 6]
  • 1931年(昭和6年)12月9日 四日市町出身の京王電気軌道取締役[23]の渡辺孝が社長に就任。1941年に死去するまで現職[24]
  • 1945年(昭和20年)4月20日 大分交通へ合同。大分交通豊州線となる。
  • 1951年(昭和26年)
    • 1月10日 混合列車1往復としバス代行とする。
    • 8月11日 トラック便により貨物代行となる。
    • 10月14日 ルース台風により拝田 - 三又川間の第2駅館川橋梁の橋脚が倒壊し全線休止。
  • 1953年(昭和28年)9月30日 全線廃止。

駅一覧[編集]

豊前善光寺駅 - 城駅 - 豊前四日市駅 - 新豊川駅 - 拝田駅[1][2] - 鷹栖観音駅 - 三又川駅 - 香下神社前駅 - 香下駅 - 円座駅[1][2] - 豊前二日市駅

接続路線[編集]

輸送・収支実績[編集]

年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1914 63,597 1,179 5,550 6,355 ▲ 805
1915 106,625 1,698 14,605 8,222 6,383 検査の結果7,919 1,559
1916 128,765 4,847 15,955 13,269 2,686 31,823 18,292
1917 156,647 8,777 24,616 21,924 2,692 28,673 14,073
1918 141,194 8,528 39,407 17,983 21,424 不明借受金206 16,766 9,218
1919 206,204 10,680 49,386 40,222 9,164 雑損金705 21,978 16,499
1920 236,850 10,757 70,102 67,382 2,720 雑損金337 22,455 16,629
1921 247,708 12,694 78,422 55,153 23,269 9,439
1922 254,617 15,221 86,281 58,818 27,463 15,059
1923 250,892 15,067 83,863 52,195 31,668 雑損3,607 61,540 24,472
1924 237,351 14,414 80,099 48,468 31,631 雑損45 63,829 8,161
1925 197,388 11,625 65,115 53,610 11,505 雑損2,200 27,503 22,836
1926 149,110 13,214 56,001 51,961 4,040 雑損2,650 32,746 7,414
1927 166,422 12,149 50,226 44,609 5,617 雑損1,373 19,251
1928 163,322 11,382 47,803 41,230 6,573 雑損10,519 19,564 13,587
1929 158,374 10,965 54,887 38,577 16,310 雑損35,418 4,092 6,659
1930 123,433 8,262 34,631 33,857 774 1,093
1931 124,003 7,536 31,109 27,501 3,608 雑損500 1,132
1932 114,011 6,132 27,220 24,034 3,186 自動車305 1,014
1933 113,089 6,312 27,047 25,286 1,761 自動車465 163
1934 161,780 8,811 36,083 30,282 5,801 自動車3,393 23
1935 208,973 13,131 50,297 36,491 13,806 自動車2,614 8,845
1936 171,247 12,719 41,910 26,943 14,967 自動車3,882 9,133
1937 222,768 13,934 56,006 36,335 19,671 自動車8,478 9,053
1939 285,896 14,201 71,361 45,840 25,521 自動車1,154償却金12,100 9,622
1945 388,064 4,737
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版

車両[編集]

  • 機関車
  • 客車
    • ホハ1・2 1914年博多工作所製定員40人
    • ケホロハ1、ケホハ3 1914年梅鉢鉄工所製。履歴はケホロハ1→ケホハ3(2代目)、ケホハ3→ケホロハ2→ケホハ4
    • ケホハニ1 1917年梅鉢鉄工所製定員26人。1935年廃車
    • ケコハ490-493、497-499、ケコハニ880-883 これらは松浦線で使用されていた客車を国鉄から払下げられた。ケコハ490-493、497-499は元佐世保鉄道ハ10、ホハ12-14、ホハ18・19、フハ20。ケコハニ880・883は元宇和島鉄道の客車
  • ガソリンカー
    • ジ1-3 1926年丸山車両製の単端式気動車1931年ジ1廃車。ジ2・3は客車化され1949年廃車
    • ジ11・12 1931年雨宮製作所
    • ジ13 1935年宮谷鉄工所製。

代替交通[編集]

  • 大交北部バス(善光寺駅 - 乙女・糸口 - 四日市)
  • 大交北部バス(四日市 - 円座 - 二日市 - 安心院)

脚注[編集]

注釈[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ (1860年-1929年)1902-1903年衆議院議員。
  2. ^ 高利の借入金や株金払込金の延滞[4]
  3. ^ 1928年6月に資本金3万円に減資していた。
  4. ^ 南は投資の失敗により相模鉄道株を手放し6月に相模鉄道社長も辞任している。
  5. ^ 機関車2両、ガソリンカー1両、客車2両、貨車10両を処分。
  6. ^ 3月にも掲載されている[22]

出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ a b c d 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』12号 九州沖縄、新潮社、2009年、p.60
  3. ^ 『大分縣寫真帖』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『九州諸会社実勢. 第3次(大正8年刊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 小川功「相模鉄道グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No.672、94頁
  6. ^ 『鉄道院年報. 明治44年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)、『鉄道院年報. 大正3年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「軽便鉄道駅名改称」『官報』1915年2月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年12月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「軽便鉄道免許一部取消」『官報』1918年6月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1919年5月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1921年6月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年2月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1923年7月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1924年2月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年1月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 小川功「相模鉄道グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No.672、94頁
  20. ^ 『鉄道統計資料. 昭和4年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 「鉄道財団競売期日」『官報』1929年5月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 「鉄道財団競売期日」『官報』1929年3月23日
  23. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第39回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 小川功「京王グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No.734、104頁

参考文献[編集]

  • 『大分交通40年のあゆみ』大分交通、1985年、53-56頁
  • 『大分県交通史』九州交通新聞社、1978年、99-100、112頁
  • 『写真集 郷愁のローカル鉄道宇佐参宮線・豊州線』 大分合同新聞社
  • 『鉄道廃線跡を歩くIV』pp.158 - 161所収 JTB 1997年
  • 栗林宗人「大分交通豊州線廃止直前の客車について」「RAILFAN」No.575 2000年10月号
  • 谷口良忠「帰らざる豊州鉄道」『鉄道ファン』No.207・208

関連項目[編集]

外部リンク[編集]