大内照子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
おおうち てるこ
大内 照子
本名 大内 幸香 (おおうち ゆきこ)
生年月日 (1918-11-15) 1918年11月15日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 愛媛県伊予郡砥部町原町
職業 女優
ジャンル 劇映画時代劇現代劇サウンド版トーキー
活動期間 1936年 - 1940年
著名な家族 大内弘 (兄)
主な作品
妖術白縫変化
本朝怪猫伝
テンプレートを表示

大内 照子(おおうち てるこ、1918年11月15日 - 没年不詳)は、日本の女優である[1][2][3]。本名、大内 幸香(おおうち ゆきこ)[1]

人物・来歴[編集]

1918年大正7年)11月15日愛媛県伊予郡砥部町大字原町に生まれる[1]。4歳上の兄に俳優大内弘(本名・大内一郎)がいる[4][5]

1936年(昭和11年)3月、愛媛県立松山高等女学校(現在の愛媛県立松山南高等学校)を卒業すると同時に、兄の在籍するマキノ正博の新会社マキノトーキー製作所に入社する(第二期入社)[1][2][3][6]。同年4月29日に公開された根岸東一郎マキノ正博共同監督による『加賀見山』に出演して、満17歳で映画界にデビューした[2][3][7]。同社は1937年(昭和12年)4月末には解散しており、葉山純之輔や兄の大内弘ら大半の俳優は新興キネマ京都撮影所(現在の東映京都撮影所)に移籍、マキノ正博、澤村國太郎光岡龍三郎、照子と同期の水原洋一田村邦男團徳麿志村喬大倉千代子大久保清子らは日活京都撮影所に移籍していくが[6]、照子は、同社跡地に、甲陽映画から独立して今井理輔が設立した「今井映画製作所」に移籍した[1][2][3]。同社での照子の出演記録は、児井英男(のちの映画プロデューサー児井英生)監督の『海の大将軍』以外は不明であるが[2]、同社も翌1938年(昭和13年)春には解散した[8]

1939年(昭和14年)春ごろまでに、大阪府南河内郡古市町白鳥園(現在の同府羽曳野市翠鳥園)の極東キネマに入社、同社が製作・配給するサイレント解説版)の剣戟映画に出演する[2][3]。同社での出演記録は、1940年(昭和15年)7月11日に公開された高田博文監督の『塙團右衛門』が最後であり[2][3]、同社は翌年、大宝映画を経て東宝映画に統合されていく。東宝映画、あるいは他社での出演歴はない[2][3][9]。時代は第二次世界大戦に突入し、その後の消息はわからない。没年不詳

フィルモグラフィ[編集]

すべてクレジットは「出演」である[2][3]。公開日の右側には役名、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[10]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

マキノトーキー製作所[編集]

初期の特筆以外すべて製作・配給は「マキノトーキー製作所」である[2]

今井映画製作所[編集]

すべて製作は「今井映画製作所」、配給は「東宝映画」である[2]

極東キネマ[編集]

すべて製作は「極東キネマ古市白鳥園撮影所」、配給は「極東キネマ」である[2]。すべて「解説版」のサイレント映画である[2]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 大内照子jlogos.com, エア、2012年12月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 大内照子日本映画データベース、2012年12月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 大内照子、日本映画情報システム、文化庁、2012年12月4日閲覧。
  4. ^ 大内弘jlogos.com, エア、2012年12月4日閲覧。
  5. ^ キネマ旬報社[1979], p.94.
  6. ^ a b マキノ[1977]、p.338-374.
  7. ^ 加賀見山東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月4日閲覧。
  8. ^ 今井理輔、日本映画データベース、2012年12月4日閲覧。
  9. ^ 「大内照子」検索結果、映画データベース、東宝、2012年12月4日閲覧。
  10. ^ a b c d e 大内照子、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月4日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]