夜想曲第21番 (ショパン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Recording by Diana Hughes (Musopen).

この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

夜想曲第21番 ハ短調 KK. IVb-8[1](遺作)は、フレデリック・ショパンが作曲したピアノのための夜想曲。最晩年に作曲されたと考えられている(後述)。

概要[編集]

作曲者の死から89年経った1938年に、ルドヴィク・ブロナルスキの手によって「ラルゴ 変ホ長調(KK. IVb-5)」と組み合わされてワルシャワのポーランド音楽出版協会から出版され、初めて公になった[2]。作曲年代は諸説あり、ブロナルスキはこの作品の書法や形式が単純である点や、創意にやや欠ける点があることから晩年のスタイルによるものではないと判断し、ショパンがまだワルシャワにいた時代、すなわち1830年代以前の若い時期のものと見做した。これはショパン研究者であるズジスワフ・ヤヒメツキ英語版1825年説やブロニスワフ・エドワード・シドウ1827年説に受け継がれた。その後、モーリス・ブラウンによって1837年の作品であるという説が出され、ブラウンはこの曲が本来は作品32に含まれるべき1曲として書かれながら最終的に削除されたものと考えたが、後にブラウンのショパン研究に様々な問題点が指摘されるようになってからはこの1837年説も疑問視されるようになった。そしてその後、新しい批判原典版として出版されたショパン作品全集(ナショナル・エディション)において、校訂者であるヤン・エキエルによって最晩年の作品である可能性が強いという見解が出された。パリ国立図書館に所蔵される以前にこの曲の手稿がロスチャイルド家に所蔵されていたことから、ショパンがロスチャイルド家と知り合う以前のワルシャワ時代の作品とは考えにくいこと、そして自筆譜に用いられた五線紙の種類が主に後期の1845年から1846年に用いていたものであることなどが理由である。エキエルはこれ以前にも、ウィーン原典版の「夜想曲集」においてすでに1847年から1848年の作品であるとしており、病状が悪化して創作もままならなくなった晩年の状態が曲に反映されていると考えられる点や、最晩年のショパンの残した手稿は夜想曲ワルツだけだとするフランツ・リストの証言などを挙げている[3]

最晩年の作らしく気力の衰えが感じられ、自筆譜には第14小節のクレッシェンド記号と第26、42小節のアクセント記号以外の速度記号や発想記号、強弱が書き込まれていないため、推敲できないままに終わったスケッチと見なされている。

曲の構成[編集]

冒頭部分

ハ短調演奏記号なし(パデレフスキ版ではアンダンテ・ソステヌート)、4分の4拍子、複合二部形式

左手の広い音域の伴奏上に、マジャール音階を移した進行のメロディが流れるが、このメロディは後半では再現されない。随所に7度のパッセージをいれて単調さを避けている。

備考[編集]

脚注[編集]

  1. ^ クリスティナ・コビラィンスカによる作品整理番号。モーリス・ブラウンが作成した作品整理番号ではBI. 108(もしくはB. 108)となっている。
  2. ^ ただし、それに先立つ1860年頃、ナサニエル・ド・ロスチャイルド男爵夫人(シャーロット)の作品としてワルツ第19番 イ短調 KK. IVb-11とともにパリのジャック・マオより出版されている[1]
  3. ^ 『ショパン ノクターン集 [遺作付]』(全音楽譜出版社刊、寺西基之解説)

外部リンク[編集]