多摩川水害

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多摩川水害(たまがわすいがい)は、多摩川流域で起こった水害である。

山梨県東京都神奈川県の境を流れる多摩川では、たびたび水害が起きていた。1974年昭和49年)9月1日に発生した水害では、沿岸の民家が流出し、長年にわたり裁判で争われた。以下、主にこの水害について記述する。

1974年の水害[編集]

「多摩川決壊の碑」

座標: 北緯35度37分24.25秒 東経139度34分34.55秒 / 北緯35.6234028度 東経139.5762639度 / 35.6234028; 139.5762639 1974年9月の際は、昭和49年台風第16号により堤防が決壊したため、狛江市の民家19戸が流出した(狛江水害)。幸いにも住民は避難したため死傷者はいなかった。この際、被害拡大を防ぐための流路変更を目的に、陸上自衛隊施設大隊により築堤爆破が実行された。河川内の堰堤[1]が濁流となった水流を阻害する形となってしまったため、決壊を助長していたのである。そこで陸自施設部隊がヘリコプターで堰堤に降り立ち、当初はうまく結果が出ず複数回にわたって爆破して堰堤を破壊し、本流側への流路を確保するとともに更なる被害拡大を阻止した。

家屋が濁流に呑み込まれるシーンは、テレビニュースで繰り返し流され、テレビドラマ岸辺のアルバム』でも使用された。

一部の家屋に対しては流出直前惨状を見かねた陸自部隊と警視庁機動隊の隊員が突入し一部の家財道具搬出を支援した。指揮官は「電化製品には手を出すな、タンスの引き出しごと運び出せ」と指示したという

国は堤防及び流出した土地は復旧し、自衛隊が堰堤の爆破を試みた際に発生した近隣建造物のガラス等の被害は賠償したものの、堤防崩壊により流出した家屋や家財等については賠償しないという姿勢を示したため、1976年、家を失った住民らが多摩川を管理する国を相手に損害賠償請求訴訟を起こした。一審の東京地方裁判所では原告の住民が勝訴。その後大阪府大東水害訴訟において最高裁判所が原告敗訴の判決を下した影響もあり、東京高等裁判所における控訴審は国が逆転勝訴したが、上告審で最高裁判所が高裁判決を破棄、差し戻しとなった。1992年、差戻控訴審で住民が勝訴[2]し、確定した。

決壊した堤防の跡(狛江市猪方四丁目)には、「多摩川決壊の碑」が建てられた。

2015年7月9日には、フジテレビの『奇跡体験!アンビリバボー』で、この水害が再現ドラマと、住民で被災者の1人である郷土史家の横山十四男へのインタビューを交えながら詳細に紹介された[3]

脚注[編集]

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  1. ^ 宿河原堰若しくは二ヶ領宿河原堰ともいう。
  2. ^ 1992年東京高裁平成4年12月17日判決。
  3. ^ 奇跡体験!アンビリバボー:東京郊外で起こった未曾有の大水害 - フジテレビ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]