壱岐イルカ事件

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壱岐イルカ事件(いきイルカじけん)は、1980年3月に壱岐の無人島「辰の島」(たつのしま)において駆除の為に捕獲されたイルカを、米国の動物愛護団体のメンバー、デクスター・ケイト(Dexter Cate)が網を切って逃がし、壱岐の漁民に損害を与えた事件である。なお、この項目では事件の元となった壱岐島の漁民によるイルカ駆除についても記す。

背景[編集]

長崎県壱岐島では弥生時代には鯨を利用し[1]、江戸時代には鯨漁が行われていたが[1][2][3][4]、大規模なイルカ漁の技法はなく、イルカによる一本釣り漁におけるブリの食害が1965年に顕在化し、和歌山県太地静岡県富戸といった地域から学んだイルカ追い込み漁を1976年から始めた。追い込み漁による駆除はそれなりに効果があった。 また、当時のイルカの生息数調査では壱岐近海に約30万頭が回遊していると考えられ、漁業被害は以下の様に表現されている[1]

イルカの被害というのは、漁船が操業している漁場にイルカが回遊して来ると魚群は逃げてしまい、釣り上げ途中の魚は横取りされ、漁具は傷められ、イルカが漁場に滞在している間は漁獲ゼロの毎日が続く。[1]

1978年の「昭和53年壱岐対馬漁民決起大会」では、一部の漁民は“イルカ撲滅”と書かれた鉢巻きを締めて臨み[1]、 又、同年の雑誌『朝日ジャーナル』によると、壱岐の漁民などは壱岐周辺にやってくるイルカを「海のギャング」と認識していた[5]

同年、世界的に壱岐のイルカ漁の様子が知られ、特に雑誌『ナショナル・ジオグラフィック』誌の1979年4月号の特集『イルカとその受難』における記述がその事態を広く知らしめたという見方もある[6]。これらの報道を見て、壱岐島に欧米の環境保護動物の権利擁護の活動家が漁師たちを説得しに来た。

1980年、壱岐でイルカの解体処理が再び始まったことに対して米国の動物愛護団体や自然保護グループが猛反発し、壱岐のイルカ漁が米国のマスコミで報じられたこともあり、日本大使館総領事館には激しい抗議の電話や電報が殺到する事態となった[7]

壱岐のイルカ駆除が注目される中、水産庁は音波を使ったイルカの駆除実験を前年に引き続いて実施した[8]。又、同年4月の国会では、谷口是巨衆院議員により「とにかくイルカがたくさんおりますともう漁獲はゼロに等しい」、又、「大体五、六百隻が操業しておるわけですが、被害額は大体六億か七億くらい見込まれる」と、イルカの捕獲や駆除の必要性が説明されている[9]

犯人の動向[編集]

米国の動物愛護団体「地球共存協会」会長で[10]、「グリーンピース財団」(米国ハワイ)の活動家[11]でもあるデクスター・ロンドン・ケイト(一部でケート[12])は、1978年に2度来訪し、本当の原因はブリの乱獲にあると看做し、イルカに本来は優先権があると考えはしたものの、現実的な対策として漁師が納得できる解決策を考え、2度目の12月の来訪時に、異種間コミュニケーションの研究で知られるジム・ノイマンと共に来訪し、音楽でイルカをコントロールできれば、逆にイルカを漁に生かせるであろうと実行してみた。だが、翌1979年も同様の交信を試みたものの実効性が乏しく、失敗に終っていた。

また、神谷敏郎によると、1975年にケイトは、東京大学医学部解剖学研究室の神谷の元に訪れ、「日本でのイルカを取り巻く環境と、日本人の鯨に関する関わり方を視察しに来た」と語り、保護問題や鯨の研究について語り合ったという。ケイトは日本では海洋野生動物ではなく、水産資源としてみられがちである点を指摘したという[6]

事件[編集]

事件当日の1980年2月29日、ケイトは漁師のイルカによる財政的な損失を補填する「イルカ損害保険」や「養殖漁業の育成」、「ブリ資源の再建」といった、漁師がイルカを殺さずに済むように支援する案を起草し、壱岐の漁民の承認の後に日本政府に掛け合う為に家族で来訪したものの、既に壱岐ではイルカを有効利用するために2,000万円を投じた粉砕機が稼動し農業用の肥料を生産しており、ケイトの案は無意味なものとなっていた。

ケイトは後の自著において、この時のことを、2年前は漁民にとって絶望的な状況だったが、今は肥料やブタの飼料を作るビジネスとなっていると書き、又、その粉砕機を、ケイトは「陰惨な仕事」(grisly work)と表現した[13]

当日は、1,400頭のオキゴンドウバンドウイルカの追い込み漁による駆除が行われ、処分している最中であった。その夜、ケイトはゴムボートで無人島・辰の島へ向かい、残り千頭程を囲っている網を切って破壊した。約300頭(報道では約250頭[14])のイルカが逃げていった。その後、ケイトは、強風の為に帰島できないと判断し、翌3月1日朝に漁師に見つけられるまで無人島に留まったという[13][15]。発見されたケイトは、壱岐署から事情を聴かれ[14]、後に威力業務妨害器物損壊の疑いで書類送検された[10]。さらに、長崎地検壱岐支部の取調べに対して、帰国の意思を示したために、逮捕された[16]。 ケイトは、佐世保刑務所に収監された[13]

裁判[編集]

1980年4月、裁判が長崎地裁佐世保支部で開かれ、ケイトの観光ビザが切れるため集中して審理された[17]。ケイト側は、イルカを逃がした事実は認めたものの、イルカは有害動物ではないのでその駆除は漁民の正当な業務に当たらないとして、無罪を主張した[17][18]国立民族学博物館秋道智弥によると、裁判でケイトらに対し、ケイトらも(イルカの代わりに)牛を食べていることを指摘されると、ケイト側は「牛は人間が管理し、支配しているから、殺してもいい。しかし、自然の一部であるイルカは人間の管理外である。それを殺すのはけしからん」という論旨を述べたとしている[19]。朝日新聞の本多勝一は、ケイトを支援するために訪日したケイトの妻や弟らにインタビューし、ケイトらの主張には、1)イルカの知能が実際に高いかどうか分からない、2)イルカの知能が高いとしてもなぜ他の動物が救済されないのか、3)アメリカ覇権主義が垣間見えるとし、その正当性を批判した[20]

又、ケイトの弁護のために、動物解放運動の倫理哲学研究者ピーター・シンガーがオーストラリアから証人として訪日した[21][13](後に、シンガーはケイトなどと組んで、『動物の権利』と題する編著を出した。後述梅崎義人の評論も参照)。ケイトは後の自著で、イルカの知能を説明したが、通訳がうまくいかなかったのか、その内容を法廷の傍聴者らに笑われたことや[13]、裁判官がシンガーに、「イルカが賢いのなら、イルカが学校に行くのか?」と尋ねたと書いている[13]

判決[編集]

検察側の懲役8ヶ月の求刑に対し[22]、長崎地裁佐世保支部は5月30日に、懲役6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した[23]

複数の漁協が共同で設立した海豚対策協議会が、イルカを漁業上有害な動物として捕獲し処理することは正当な事業であって業務妨害罪によって保護されるべき業務に当たるから、動物愛護団体に所属する被告人が捕獲網のロープを切断するなどして捕獲イルカ約300頭を逃走させた行為は、威力業務妨害罪を構成する。

長崎地佐世保支判昭55・5・30判事999・131、「判例六法 平成22年度版」,1694頁

新聞の反応[編集]

朝日、読売、日本経済の各紙が一審判決を支持した[24][25][26]。産経新聞では香山健一(学習院大学教授・当時)が各紙の事件報道に対し、容疑者(犯人)は視野の狭い 「イルカ主義者(ドルフイニスト)」 だと以下のように批判している[27]

ケイトが犯した犯罪は、欧米人がとかく犯し易い誤りや犯罪の小さな典型例だということである。その厳しい地政学的条件、連続する対外戦争の歴史、一神教の宗教基盤などにより、欧米人は特定の「主義(イズム)」に熱狂し易い性質を帯びている。彼らは、自分たちが正しいと信じたことを、全世界が普遍的に承認すべきであると単純に思い込み易い性向を持っている。

損害[編集]

事件の被害者である壱岐の勝本漁協はケイトの犯行で約1,000万円の損害を被った[28]

犯人の強制退去[編集]

判決後、ケイトはイルカの保護が主張できたと控訴を断念し、入国管理事務所に収容され[12]、ハワイに国外退去となった[23]。 米国ハワイに帰国したケイトは空港で、花のレイをかけて、マスコミのインタビューを受けており、その際の写真を、グリーンピースは、ケイトの頭上の天井の灯りが「後光」(halo)の様だと表現した[29][30][11]

1985年、ケイトは、事件の現場となった無人島「辰の島」を“The Island of the Dragon”(ドラゴンの島)と解釈し、無人島を架空の動物「ドラゴン」になぞらえ、イルカを処分することを「ドラゴンが爪を広げた」、網を切断したことを「私はドラゴンの口をこじ開けた」などと、当時の心証を表現した文章『In Defense of Animals』を著した[13]

その後[編集]

その後、壱岐周辺のブリの減少と共に、イルカも殆ど来なくなった[1]。ブリ減少の理由は様々に言われ、壱岐の役場は近隣国による壱岐周辺でのブリの乱獲[31]を指摘し、また、ブリの餌となるイワシの減少や温暖化・海流変化なども指摘される[1]。原因は不明ながら漁業資源の減少に伴って大群のイルカが来なくなり、1986年を最後に大規模な捕獲を行わなくなった。

尚、壱岐の自然と文化遺産研究保存会によると、かつてのように30万頭の規模でイルカが来ることは無くなったが、小規模なイルカの群れによる漁業被害に悩まされている。2004年のエルザ自然保護の会の文書によると、1996年を最後に捕獲は無く、今は捕獲が許可されていない状態であり、また、勝本漁協によってイルカ対策委員会の発破(水中花火)[1]による漁場からの「追い払い」が行われ[32]、長崎県ではイルカ対策と研究が行われている[33]。また、壱岐にはイルカパークがあるが、そこのイルカは地元産ではなく外部から購入したものであり[15]、これについて、壱岐市は地元のイルカを捕獲してイルカを補充するために、2004年に日本政府に特区申請をした[34]

辰の島にはイルカ供養塔が建立された[1]。これは、1986年9月16日、オキゴンドウ128頭(又は123頭[35])が塩津浜(しおつはま)に打ち上げられたことにより、それを哀れみ悼むためである[36]。尚、塩津浜一帯には“イルカの涙道”と呼ばれる道が有る。

評価[編集]

農学博士の粕谷俊雄によれば、当時何らかの理由でブリ漁場に各種イルカが集中し、操業妨害の発生頻度が増えた事と、ブリ資源そのものの減少と他の能率的なブリ漁法の進歩で一本釣りではブリが釣れにくくなった為であるとしている[37]。また、1981年の水産大学校の研究報告書では、壱岐周辺海域はイルカ生息数が特に多く、周辺海域でイルカが約30万頭と推定され、爆発的に増加した原因は戦後捕獲しなかったためではないかとする説が挙げられている[38]

1972年から1982年の間に獲れた小型鯨類は、ハンドウイルカ 4,141 頭、カマイルカ 466 頭、オキゴンドウ 953 頭、ハナゴンドウ 525 頭とされ[39]、また、胃の内容物から本当にブリを食べていたのはオキゴンドウだけであったとする報告もある[40]

梅崎義人の評論[編集]

2001年の梅崎義人(水産ジャーナリストの会・元会長)著『動物保護運動の虚像‐その源流と真の狙い‐』によると、反捕鯨運動は黄色人種差別に基づく、レイシズムによるものであり、ケイトによるこの事件が論拠に挙げられている[41]

梅崎が疑問視したのは、ケイトが、母国アメリカのマグロ漁業により年間数十万頭も溺死する“イルカの混獲”を差し置き、訪日して壱岐のイルカ漁を数度に渡り妨害するのを人種差別による日本叩き(ジャパンバッシング)とし、その根拠は、事件の裁判でケイト被告が「イルカのほうが、壱岐の漁民よりも、ブリを餌とする権利がある」と発言したことによるとして、壱岐の漁民の人権よりイルカの動物権を上に置いたという見方をしている[41]。梅崎は、“イルカ混獲”を実力で妨害されていないアングロサクソン(アメリカ人)が頂点となり、次いでアングロサクソンと同じ権利を認めるべき動物が来て、その次に有色人種(壱岐の漁民)が来ると解釈している(この解釈は、文芸評論家の山本七平との対話がもとと示されている)[41]

また、事件の数年後に犯人のケイトも著した『動物の権利』(ピーター・シンガー編著)が出版され、ケイトは「壱岐の漁民に殺されたイルカは兄弟で、決して許されない」と記し、これを梅崎は再び動物を壱岐の漁民の上位に置いたとしている[41]

川端裕人の評論[編集]

この事件を取材したライター川端裕人は、2010年の著作において、動物の権利の概念が飽くまでも動物に人間と同等の権利を求めるものであり、漁業を生業にしている漁師が同意できるかは兎も角、動物の権利擁護の範疇では極めて正論であると評価している。また、日本においては動物の権利が理解されず、更に動物愛護がそもそも混同される傾向があるのでそこを明確にしないといけないとしている[42]。また、この事件は壱岐からイルカの大群が去った事で棚上げされているだけで、今後他の地域や壱岐で再び同様の事件が起きるだろうとしている[43]

影響[編集]

  • 梅崎義人によると、壱岐イルカ事件のきっかけとなったイルカ解体処理の雑誌掲載の写真は、処理されたイルカの血で海が赤く染まっていたため、過激な動物保護家に誤解を招き、以後の、鯨問題などを議論する国際会議で、日本代表団だけが赤い液体を浴びせられる攻撃・抗議を受けた遠因となったと考察している[41]。又、梅崎は、ロシア(当時ソ連)や世界数か国は、日本同様に捕鯨やイルカ漁を行っており、その複数の国々の代表団も来ているにも関わらず、日本代表団だけが激しく抗議・攻撃されたのは、その誤解が原因であり、かつ唯一の東洋人である日本人への人種差別も含まれているのではないかと考察している[41]。また、捕鯨問題に関して、「人種差別」と理解する考え方は、壱岐での事件後にも、しばしば指摘された。例えば日本鯨類研究所顧問の大隅清治は次のように話す[21]

劣等人種が捕鯨を行うのは許せないという考えがあるようだ。明らかに人種差別である。捕鯨が残酷であるという主張は、捕鯨反対の口実として後から出てきたものだ。この問題に関する私の長い経験からいって、日本人の扱いはノルウェー人の扱いと全く違うのは間違いない。私はまた、アングロ・サクソンの1国でも今日まで捕鯨を続けていれば、事態は全く違ったものになっていたと思う。

  • ケイトの母国アメリカのイルカの混獲問題は、この事件以前の1972年に海洋哺乳類保護法(en:Marine Mammal Protection Act:MMPA)が施行されており、1995年までに東部熱帯太平洋での混獲によって溺死させられるイルカを、かつての数十万頭から数千頭にまで減少させたと報告されている(混獲#対策の政治的対策も参照)。
  • 農学博士の粕谷俊雄は水産資源の枯渇に伴い、漁業環境が厳しくなる中、オキゴンドウに限らず海洋哺乳類による漁業被害を漁業者が訴えて、対策を求めるケースは増えるだろうとしている[44]

その他[編集]

  • 壱岐のイルカ追い込み漁を批判する立場から、歌手のオリビア・ニュートン=ジョンが日本は野蛮な国だと公言して訪日を取りやめたが、後に壱岐の漁民が生きるための手段であった事を知り、日本公演の際にイルカと人間が共存できる研究の為に千葉県の海洋生物研究所に2万ドルを寄付した[45]
  • ケイトと共に来日し、イルカとの交信を試みたジム・ノイマンは後に自著で水中の船舶のエンジン音によるイルカへの悪影響を指摘しておきながら、自らのエレキギターによる演奏はイルカにいい影響を与えるとしたことで、その根拠が薄弱な点が と学会(当時)の植木不等式により指摘されている[46]
  • シー・シェパードポール・ワトソンが1982年に壱岐を訪れ、イルカを救えば1頭100ドル払うが、拒否すれば海賊船を港に自沈させ港を封鎖すると脅したが、長崎県水産課次長に説得され立ち去った[47]。その後、ワトソンは自らの手で壱岐のイルカ漁を停止させたと主張した[48]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 勝本港の「みなと文化」 (PDF) (財)みなと総合研究財団。※「イルカ撲滅」の決起大会に参加する漁師たちの写真などが掲載される。
  2. ^ 鯨との関わり長崎県の説明
  3. ^ 壱岐の歴史壱岐市観光協会。※15世紀から捕鯨が行われていたとある。
  4. ^ 壱岐の捕鯨壱岐の自然と文化遺産研究保存会。※江戸時代建立の「鯨供養塔」もある。
  5. ^ 漁民にとっては"海のギャング"--イルカに泣く現地・壱岐 (国際的な自然保護のうねりに乗るイルカ--壱岐の大量捕殺の波紋) , 中馬 和弘 , 朝日ジャ-ナル 20(17) , p124-125 , 1978-04-28 , 朝日新聞社
  6. ^ a b 『鯨の自然誌 海に戻った哺乳類』神谷敏郎 中央公論社 13‐16頁ISBN 4121010728
  7. ^ “米の動物愛護団体が猛反発 壱岐のイルカ騒動”. 朝日新聞: p. 10. (1980年3月1日) 
  8. ^ “音波使った「イルカ駆逐」の実験を開始 壱岐のイルカ騒動”. 朝日新聞: p. 8. (1980年3月3日) 
  9. ^ 昭和55年04月09日 外務委員会14号 発言番号240 発言者:谷口是巨
  10. ^ a b “米国人を書類送検 壱岐のイルカ騒動”. 朝日新聞: p. 22. (1980年3月4日) 
  11. ^ a b Japan Dolphin Kills”. Greenpeace Foundation (2010年). 2012年11月16日閲覧。
  12. ^ a b イルカ裁判のケート被告、漁民の怒り背に強制退去へ 福岡入国管理事務所に収容,日本経済新聞1980年5月31日西部朝刊,17頁
  13. ^ a b c d e f g The Island of the Dragon by Dexter L. Cate , In PETER SINGER (ed) , In Defense of Animals , New York: Basil Blackwell , 1985 , pp. 148-156
  14. ^ a b “許せぬイルカ捕殺 米人愛護家250頭にがす 囲い網をプッツリ 「死活問題」怒りの漁民 長崎・壱岐”. 朝日新聞: p. 23. (1980年3月2日) 
  15. ^ a b 壱岐のイルカ事件壱岐の自然と文化遺産研究保存会
  16. ^ “イルカ逃がした米人を逮捕 長崎地検支部 壱岐のイルカ騒動”. 朝日新聞: p. 11. (1980年3月8日) 
  17. ^ a b “「自然保護論争」を挑む イルカ逃がした米人裁判 裁判”. 朝日新聞: p. 10. (1980年4月9日) 
  18. ^ “(解説)国内法で理論武装 壱岐「イルカ裁判」_裁判”. 朝日新聞: p. 4. (1980年4月15日) 
  19. ^ 「日本鯨類研究所十年誌」 , 日本鯨類研究所 , 1997年10月発行
  20. ^ “なぜイルカなのか 壱岐で漁網を切った米人の論理 特別視の根拠は薄弱 「知能が高い」というが… 漁民の主張 道理あるが 日本も猛省必要_検証”. 朝日新聞: p. 4. (1980年5月2日) 
  21. ^ a b 『ザ・コーヴ』は問題作品か? あるドキュメンタリー映画の手法と内容の考察 , 河島基弘 , 群馬大学社会情報学部研究論集 第18巻 35∼48頁 , 2011年3月31日
  22. ^ “ケイトに懲役八月を求刑 イルカ裁判、30日に判決”. 朝日新聞: p. 11. (1980年5月24日) 
  23. ^ a b “「保護主張できた」と控訴を断念”. 朝日新聞: p. 22. (1980年6月4日) 
  24. ^ (解説)モノいった生活実感 具体性を欠いた保護論 イルカ裁判の有罪判決 イルカ裁判に有罪判決,朝日新聞1980年5月31日朝刊,4頁
  25. ^ イルカ裁判 当然の刑 “文化の違い”わきまえぬ 独善ぶり大迷惑,読売新聞1980年5月31日朝刊,5頁
  26. ^ イルカ判決を支持する(社説),日本経済新聞1980年6月2日朝刊,2頁
  27. ^ 【昭和正論座】学習院大教授・香山健一,1980年(昭和55年)3月10日掲載,「イルカ主義者」の非人間性 容疑者に「さん」づけ2011年7月2日07:31
  28. ^ イルカ裁判 第2回公判 おかげで被害1000万円 漁協長,読売新聞1980年4月11日朝刊,22頁
  29. ^ Stopping the Japan Drive Kills, Late 70's & Early 80's , Earthtrust
  30. ^ DOLPHINS: THE COVE & THE HISTORY BEHIND IT + LATEST NEWS , October 18, 2009 , The Generalist , John May
  31. ^ 『魚の経済学』 山下東子 日本評論社 79-82頁 ISBN 4535556091 当時、日本ではEEZを設定していなかった為に近隣の韓国などが沖合漁業に進出してきて、鳥取、島根付近(つまり壱岐周辺)で操業するようになっていた。
  32. ^ イルカの追い込み猟を巡る最近の動向エルザ会報No.126(2004年2月10日発行)
  33. ^ 48 水産資源の保護を目的とする鯨類の持続的利用について (PDF) 長崎県
  34. ^ 構造改革特区第6次提案について2004年11月24日,内閣官房構造改革特区推進室
  35. ^ 長崎県:ストランディングデータベース - 下関鯨類研究室
  36. ^ イルカの島 2012年11月7日 壱岐島ブログながさき島ステーション(長崎県観光連盟)
  37. ^ 『日本動物大百科2 哺乳類2』オキゴンドウ 粕谷俊雄 63頁 平凡社ISBN 4582545521
  38. ^ 壱岐漁業の現況と問題点について (PDF) 水産大学校
  39. ^ Driven By Demand : Dolphin drive hunts in Japan and the involvement of the aquarium industry , WDCS , 2006年4月(日本語訳)
  40. ^ 『イルカを救ういくつかの方法』M・ドナヒュー、A・フューラー 水口博也訳 講談社 114、115頁 ISBN 4062080125 これはオキゴンドウが大型魚類の捕食に特化している為である。ただしカマイルカからもある程度のブリの捕食が確認されている。またカマイルカは壱岐ではイカ釣り漁の獲物のイカも捕食していたとされる(『日本動物大百科2 哺乳類2』カマイルカ 岩崎俊秀 71頁)
  41. ^ a b c d e f 『動物保護運動の虚像‐その源流と真の狙い‐』梅崎義人、成山堂書店 12-18頁,265-266頁 ISBN 442598093X
  42. ^ 『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』川端裕人 ISBN 9784480427441 90-91頁
  43. ^ 『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』103頁
  44. ^ 『日本動物大百科2 哺乳類2』63頁
  45. ^ 『海からの使者イルカ』藤原英司 朝日新聞社 261頁 ISBN 402260770X
  46. ^ 『トンデモ本の世界』と学会 pp.401-402 洋泉社 ISBN 4862480241
  47. ^ “イルカ救えば1頭100ドル払う 壱岐へ米保護団体宣言 ノーなら港封鎖”. 読売新聞. (1982年1月20日) 
  48. ^ 『シーシェパードの正体』 佐々木正明 扶桑社 pp.167-168 ISBN 4594062148

参考文献[編集]

  • 川端裕人 『イルカとぼくらの微妙な関係「ケイトの青春」』 時事通信社ISBN 4788797291
  • 梅崎義人 『動物保護運動の虚像‐その源流と真の狙い‐』 成山堂書店。ISBN 442598093X