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堀岡駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀岡駅
1940年(昭和15年)当時の堀岡駅
ほりおか
Horioka
射北中学校前 (1.0 km)
(0.7 km) 新港東口
地図
所在地 富山県新湊市(現・射水市)堀岡
北緯36度46分16.3秒 東経137度7分22.3秒 / 北緯36.771194度 東経137.122861度 / 36.771194; 137.122861座標: 北緯36度46分16.3秒 東経137度7分22.3秒 / 北緯36.771194度 東経137.122861度 / 36.771194; 137.122861
所属事業者 富山地方鉄道
所属路線 射水線
キロ程 13.7 km(新富山起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1929年昭和4年)7月2日
廃止年月日 1980年(昭和55年)4月1日
備考 射水線廃線に伴い廃駅
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堀岡駅(ほりおかえき)は、富山県新湊市(現・射水市)堀岡にあった3つの富山地方鉄道射水線廃駅)の1つである。射水線の廃線に伴い1980年昭和55年)4月1日に廃駅となった。

歴史

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越中鉄道打出駅 - 堀岡駅間の開通を報ずる新聞。当駅の写真が掲載されている。
  • 1929年(昭和04年)7月2日:越中鉄道打出浜駅(後の打出駅(2代目)) - 当駅間開通に伴い開業[1][2][3]
  • 1930年(昭和05年)12月23日:当駅から東新湊駅まで開通。
  • 1943年(昭和18年)1月1日:交通統合により富山地方鉄道射水線の駅となる[1][2]
  • 1966年(昭和41年)
  • 時期不詳:業務委託[4]
  • 1980年(昭和55年)4月1日:射水線の廃線に伴い廃止となる[1][2]

駅構造

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廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(新港東口方面に向かって右手側)に存在した[4]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[4]。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去された[4]

朝のみ有人、その他の時間帯は無人駅となる業務委託駅となっていた[4]。駅舎は構内の北西側に位置しホームとは通路で連絡した[4]。ホームに待合所代わりの上屋を有した[4]

駅周辺

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駅跡

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線路跡は四方駅跡南方附近から終点・新港東口駅附近までサイクリングロードとなっている[5]。1997年(平成9年)時点では、線路跡はそのサイクリングロードであった[5]。2006年(平成18年)時点[6]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[7][8]

駅跡地は2006年(平成18年)時点では駅舎跡が消防団の詰所となっていた[6]。2010年(平成22年)時点では旧駅前部分が公園となっていた[7]

隣の駅

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富山地方鉄道
射水線
射北中学校前駅 - 堀岡駅 - 新港東口駅

脚注

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  1. ^ a b c d 『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介新潮社、2008年10月発行)34ページ
  2. ^ a b c d e 『北陸・信州・東海編』JTBパブリッシング〈新 鉄道廃線跡を歩く3〉、2010年4月、211-212頁。 
  3. ^ 鉄道の歌が作られた。「ついたついた電車道 開通式は我が村で 今日しも挙げられるうれしさよ 祝えや祝え もろともに」。運賃は富山連帯橋停車場から本江まで30銭、海老江まで36銭、堀岡まで42銭だった。堀岡から新湊町へは5分おきに5銭の「円太郎」(乗合馬車)が往復することになった。その間の放生津潟には遊覧式のランチ(小型の蒸気船)で連絡されることになった(以上、『堀岡郷土史』)。
  4. ^ a b c d e f g 服部重敬『富山地鉄笹津・射水線』ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 107〉、2008年7月、41頁。 
  5. ^ a b 『鉄道廃線跡を歩くIII』JTBパブリッシング、1997年5月、108-109頁。 
  6. ^ a b 草卓人『富山廃線紀行』桂書房、2008年7月、66-67頁。 
  7. ^ a b 寺田裕一『北陸』ネコ・パブリッシング〈新 消えた轍 7〉、2010年12月、53頁。 
  8. ^ 『新 鉄道廃線跡を歩く3』、50-51頁。 

関連項目

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