国鉄ポ50形貨車

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国鉄ポ50形貨車
基本情報
車種 陶器車
運用者 鉄道省
日本国有鉄道
種車 ワ1形
改造所 長野工場金沢工場名古屋工場
改造年 1934年(昭和9年)
改造数 45両
消滅 1954年(昭和29年)
常備駅 大曽根駅多治見駅熱田駅
主要諸元
車体色
軌間 1,067 mm
全長 6,324 mm
全幅 2,246 mm
全高 3,480 mm
荷重 10 t
自重 6.0 t - 8.3 t
換算両数 積車 1.4
換算両数 空車 0.8
走り装置 シュー式
車輪径 860 mm
軸距 3,048 mm
最高速度 65 km/h
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国鉄ポ50形貨車(こくてつポ50がたかしゃ)は、かつて鉄道省及び1949年(昭和24年)6月1日以降は日本国有鉄道(国鉄)に在籍した10t積の陶器車有蓋車)である。

概要[編集]

本形式は、1934年(昭和9年)3月にワ1形より長野工場にて10両(ポ50 - ポ52、ポ83 - ポ84、ポ88 - ポ92)、金沢工場にて10両(ポ53 - ポ60、ポ93 - ポ94)、名古屋工場にて25両(ポ61 - ポ82、ポ85 - ポ87)の合計45両が改造され、形式はポ50形とされた。

改造に際しては最小限の改造で済ませたため、鋼体化されること無く種車同様木造車として落成した。車内は高さを可変できかつ取り外すことも可能な棚を1段設けた。

全車専属貨車として名古屋地区に集中配置され、戦中期から戦後しばらくの間は有蓋車代用の運用も行われた。このため戦後の1950年(昭和25年)に陶器車として再整備を行ったがこの時点で改造より17年、製造から起算すると30年以上経過していたため翌々年に「老朽貨車の形式廃車」の対象形式に指定され、1952年(昭和27年)6月26日通達「車管第1232号」により告示された。(当時の在籍車数は36両であった)

塗色は、であり、全長は6,324 mm、全幅は2,246 mm、全高は3,480 mm、軸距は3,048 mm、自重は6.0 t - 8.3 t、換算両数は積車1.4、空車0.8、最高運転速度は65 km/h、車軸は10 t長軸であった。

前記の「老朽貨車の形式廃車」の対象形式として指定されたため大半の車は昭和28年度末までに廃車となったが2両(ポ74, ポ94)が翌年まで持ち越された。これはこの2両が戦後未捕捉車であったためである。

最後まで在籍したポ74が1954年(昭和29年)9月22日に廃車となり、同時に形式消滅となった。最終配置は全車名古屋鉄道管理局所属であった。

参考文献[編集]

  • 鉄道公報
  • 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)

関連項目[編集]