国立マンション訴訟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
最高裁判所判例
事件名 建造物撤去等請求事件
事件番号 平成17年(受)第364号
2006年(平成18年)3月30日
判例集 民集60巻3号948頁
裁判要旨
  1. 景観利益は、法律上保護に値する利益に当たる。
  2. ある行為が景観利益に対する違法な侵害に当たるといえるためには、少なくとも、その侵害行為が刑罰法規や行政法規の規制に違反するものであったり、公序良俗違反や権利の濫用に該当するものであるなど、侵害行為の態様や程度の面において社会的に容認された行為としての相当性を欠くことが求められる。
  3. 国立の大学通り周辺の住民には景観利益を有するものと認められるが、14階建てのマンションの建築について、違法建築物でなく、高さの点を除けば本件建物の外観に周囲の景観の調和を乱すような点があるとは認め難いから、周辺住民の景観利益を違法に侵害する行為に当たらない。
第一小法廷
裁判長 甲斐中辰夫
陪席裁判官 横尾和子 泉徳治 島田仁郎 才口千晴
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
民法709条、建築基準法3条、68条の2、都市計画法12条の4、12条の5、12条の6、国立市都市景観形成条例1条、国立市地区計画の区域内における建築物の制限に関する条例7条
テンプレートを表示

国立マンション訴訟(くにたちマンションそしょう)は、東京都国立市で高層マンション建設を巡って複数回争われた一連の裁判である。

狭義では、反対住民が事業者に対して行った建築物撤去請求訴訟(民事訴訟)を指し、1審判決(2002年12月)は、原告側の主張を認め、竣工済みの高層マンションの20m以上の部分について撤去を命じた。しかし、その後の高裁判決、最高裁判決では認められず、確定した。

経緯[編集]

紛争前の国立市の状況[編集]

JR国立駅から一橋大学前を通って南に伸びる大学通り(東京都道146号)は、サクライチョウの並木と広々とした風景が広がり、学園都市・国立のシンボルとして長年市民に親しまれてきた。しかし、国立市では、1989年に用途地域変更時に商業地の高度規制を撤廃し、容積率を大幅に緩和したため、1990年代以降、高層建築の建設計画が次々と持ち上がり、その都度市民や市などと紛争が起きていた。国立駅南口のマンション紛争の流れで、1994年に市民から景観条例の制定を求める直接請求がされた(市議会で否決)ことを受け、国立市は1998年(平成10年)に「都市景観形成条例」を制定し、市の指定した「都市景観形成重点地区」内の高さ20m以上(近隣商業地域・商業地域では31m以上)の建築物を対象として、形状・色彩などを市と事前協議するよう定めた。大学通りは都市景観形成重点地区の候補地とされた(実際に大学通りが重点地区に指定されたのは2003年~2005年)。

また、1996年には、市民から景観権(良好な景観を享受する権利)を求めた裁判が提訴されたが、この裁判の原告であり、景観保護の市民運動を行っていた上原公子が、1999年(平成11年)4月、国立市長に当選した。

明和地所の計画と反対運動[編集]

1999年7月に、大学通りの一角にある東京海上火災保険計算センター跡地(中三丁目)を購入した明和地所は、高層マンション建設を計画し、8月に「開発行為等指導要綱」に基づく事前協議の届出を行った。上原市長は、別件のマンション反対運動の集会において、18階建(高さ53m)の建設計画があることを話した(これが後に、国立市に対する損害賠償の原因の不法行為の1つとなった[1] (PDF, 420KB) )。

計画内容が知られると、住民の間にマンション建設反対運動が起こった。国立市は8月19日、国立市開発指導要綱に基づく標識の設置を明和地所に求め、さらに10月8日、マンションの高さを銀杏並木と調和する高さにするよう行政指導を行った。10月19日に、明和地所側が計画建築物の高さを具体的に明示するように都市計画課長に求めたが、「条例等には、何階建てならよいとか、何メートルならよいというルールは無い」と回答した。同日、明和地所は紛争予防条例に基づき、標識を設置した(標識を設置した場合、設置後30日で建築確認申請が提出できる)。これに対して、市は、明和地所に紛争防止条例に基づく標識の撤去を求めた。後に、明和地所は14階建の計画に変更したものの、それ以上の計画変更には応じない姿勢を示した。

地区計画と建設開始[編集]

1999年11月15日、マンション建設予定地周辺の住民が82%の地権者の賛同署名を添えて、当該敷地及び隣接する区域の建築物の高さを20m以下に制限する内容を含む地区計画「中三丁目地区計画」の策定を求める要望書を市に提出した。これを受けて国立市は11月24日、「中三丁目地区計画」案を策定し、公告縦覧を始めた。これに対して、明和地所は、12月に東京都多摩西部建築指導事務所に建築確認申請を提出、2000年(平成12年)1月5日に建築確認を取り、同日中に根切り工事に着手した。2000年1月24日に、中三丁目地区計画は告示され、また市民の条例化を求める署名を受けて、2000年1月31日の臨時市議会でも地区計画条例が可決され、翌2月1日に施行された。なお、議決の際に、条例反対派議員を排除したとして後に訴訟が起こった(後述)。

建設が着手されてからは、地域住民などによって、建設の差止を求める訴訟などが起こされた。結局、2001年(平成13年)12月に14階建、高さ44mのマンションが完成、翌年から分譲が始まった。裁判は住民の入居後も続いたが、最終的にマンションは適法(条例が有効なため既存不適格となる)として確定した。

なお、国立市では、マンション建設時の開発審査が完了すると事業者に財政協力金(いわゆる開発協力金)の支払いを求めるのが通例であったが、このマンションでは市が開発審査を行っている途中に明和地所が東京都に建築確認申請を行ない、開発審査が完了しなかったため、約8000万円の財政協力金は未払いのままとなっている。

訴訟の内容[編集]

マンション建設を巡って、行政、住民、マンション事業者らの間に複数の訴訟が提起された。

市議会議決の無効確認訴訟[編集]

地区計画条例制定時に、制定反対派の市議や市議会議長が議会をボイコットしたため、臨時議長を立てて条例を可決した。これに対して、ボイコットした議長と議員の一部が、出席議員と市長を相手取って、議決の無効と損害賠償を求める訴訟を起こした

しかし、第一審の東京地方裁判所は請求を認めず、控訴されなかったため、そのまま判決が確定している。

建築禁止の仮処分申立[編集]

反対住民が、東京地裁八王子支部に、マンションの建築禁止の仮処分を申し立てた。

しかし、2000年6月6日に申立ては却下された。抗告をしたものの、12月22日に東京高等裁判所で却下され確定。ただし、法的強制力の無い決定理由部分で、このマンションを違法建築と判断した。仮処分自体は却下されているため、マンション事業者は最高裁判所への特別抗告はできなかった。

東京都に撤去命令を求める行政訴訟[編集]

反対住民は、東京都に対して撤去命令を出すよう行政訴訟を起こした(建築中の建築物につき、高さ20mを超える部分についての除却命令などを発しないことの違法の確認及び、それらの命令を発することの義務付け訴訟)。

2001年12月4日、東京地裁(市村陽典裁判長)では、地区計画条例施行時(2月1日)に根切り工事しか行われていないため工事中とは言えず、建物は(既存不適格ではなく)違法建築に当ると判断されるから、東京都が是正命令を出さないことは違法であるとの判決が出された。

しかし、2002年(平成14年)6月7日の東京高等裁判所(奥山興悦裁判長)の判決では、根切り工事が行われており、すでに着工していたとして、東京地裁の第1審判決を取り消した。最高裁判所へ上告受理申立するも、不受理となり、控訴審判決が確定した(2005年6月23日、下記リンク参照)。

【不遡及の原則】一般に法令の改正等で新たな規制が決められる場合、その規制は工事中(着工済み)の建築物には適用されない(建築基準法第3条第2項の不遡及の原則による。ただし「既存不適格」になるので、将来建替え等の場合に制約が生じる)。一方、建築確認後であっても、工事に着手する前に新たな規制が定められた場合は、これに従わなければならない(規制に従わずに工事を行えば「違法建築」になる)。この裁判では、工事の着手はいつか、という点が争点になっていた。(この部分の解釈は建設省が判断基準を出しており、判例でも確定したため、現在は根切り工事=着手とする解釈が定着している。)

反対住民の事業者への建築物撤去請求訴訟[編集]

反対運動を行う住民らが、マンション事業者(明和地所)に対して、高さ20mを超える部分(7階以上)は違法であるとして、撤去を求める民事訴訟を起こした(建築物撤去等請求=狭義の国立マンション訴訟)。

2002年12月18日、東京地裁(宮岡章裁判長)は、法令上の違反はなく、建築自体は適法としたうえで、以前から地域住民らの努力で景観形成を行っており、「景観利益」が存在するとして、大学通り側棟の20m以上の部分の撤去を認めるという判決を出した。過去のマンション紛争で既に建築済みの建物に撤去を求めた判例はなく、画期的な判決とされた。

しかし、2004年10月27日、東京高裁(大藤敏裁判長)は、第一審判決を取消し、原告個人の利益が侵害したとはいえないとして、請求を認めない判決が出された。2006年3月30日、最高裁判決で確定した(下記リンク参照)。

事業者の国立市への損害賠償訴訟[編集]

マンション事業者の明和地所が、国立市に対し、営業を妨害された等として損害賠償と地区計画条例の無効を求めた訴訟を提起した。

2002年2月14日、第一審の東京地裁では、条例は有効、市長の発言(市議会で「違法建築」と発言など)が営業妨害にあたるとして、損害賠償4億円の支払いを命ずる判決を出した。2005年12月19日、控訴審(第2審)の東京高裁では、条例は有効、営業妨害にあたるが、事業者側の強引な手法にも問題ありとして、損害賠償を大幅に減額した2500万円の請求を認める判決がなされた。この判決に対しては、市議会が上告を承認しなかったため、国立市は上告しなかったものの、市の補助参加人(周辺住民)が2006年1月に上告および上告受理申立をした。2008年3月11日、上告が棄却され、二審判決が確定した。この訴訟で明和地所の代理人を務めたのは、元東京都総務局法務部長・元日本大学教授の関哲夫統一教会顧問弁護士の福本修也らであった。

上記の裁判で、最高裁への上告を市議会が否決したものの、補助参加人によって上告が行われた結果、遅延損害金が増額した。このことに関連して、市議会に特別委員会「明和マンション裁判調査特別委員会」が作られ、参考人として上原公子前市長が招致された。この委員会の中で、上原市長(当時)が最高裁への上告のため補助参加人から委任状を集めた事が明らかになった。

国立市は、補正予算を計上して、2008年3月27日に、マンション事業者に損害賠償金及び遅延損害金として3123万9726円を支払った[1]。しかし、2008年5月、マンション事業者は、同額を国立市に寄付した(これに先立ち国立市が明和地所に対し債権放棄を打診したが拒否された。)。訴訟の目的は金銭ではなく、会社の活動の正当性を明らかにすることだったため、寄付は教育、福祉の施策に充ててほしいというのが会社側の説明である(2008年5月14日各紙報道)。

住民から国立市への住民訴訟[編集]

国立市民4人が、明和地所に支払った損害賠償金と同額を、国立市が上原公子元市長個人に対して請求するよう住民訴訟を起こした。

2010年12月22日、東京地方裁判所は、上原元市長の行為が「市長として求められる中立性・公平性を逸脱した」と認められるとして、国立市に対して上原元市長個人に対して損害賠償請求を行うように命じる判決を行った。

判決に対し、国立市は「賠償金は実質的に返還されており、損害はない」として、2011年1月5日に控訴した。その後、市長が関口博から、選挙時から上原元市長に対する損害賠償請求を行うことを表明していた佐藤一夫に交代したことから、2011年5月30日に国立市は控訴を取り下げ、判決が確定した[2]

国立市から上原公子元市長個人に対する損害賠償訴訟[編集]

国立市は判決(前項)に基づき、上原元市長に対して損害賠償金を請求したが、上原元市長が支払いを拒否したことから、2011年12月に国立市が上原に対し損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した[3]

国立市議会は2013年12月19日、上原元市長に対する市の債権を放棄する決議を行った。2014年9月25日、東京地方裁判所は、「国立市議会が上原公子元市長に対する賠償請求権の放棄を議決しているにもかかわらず、現市長がそれに異議を申し立てることもせず、そのまま請求を続けたことが『信義則に反する』」として、国立市の請求を棄却する判決を言い渡した。

この判決を受けて、国立市は控訴。なお、2015年5月19日、国立市議会は、上原元市長に対して請求権の行使を求める決議を行った(議員の構成が変化したことで、以前と逆の内容となった)。

2015年12月22日、東京高裁は市の請求を認めなかった一審判決を取り消し、明和地所の寄付は損害の補填に当たらない、市長は最新の議会の議決に基づくべきとして上原元市長に全額の支払いを命じた[4]

上原元市長は最高裁に上告するも、2016年12月15日棄却され敗訴が確定した[5]

脚注[編集]

  1. ^ 高層マンション訴訟の最高裁決定について (PDF, 114KB) 国立市ホームページ・裁判の状況
  2. ^ 損害賠償(住民訴訟)請求控訴事件について(お知らせ) (PDF, 40KB) 国立市・2011年5月30日
  3. ^ 住民訴訟の判決確定に伴う訴訟提起について (PDF, 22KB) 国立市
  4. ^ 元市長が逆転敗訴 高裁、3100万円支払い命令 東京新聞 2015年12月23日
  5. ^ 国立市のマンション条例で元市長の敗訴確定 NHK 2016年12月15日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]