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南島原市立新切小学校

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南島原市立新切小学校
地図北緯32度41分22秒 東経130度18分26秒 / 北緯32.689528度 東経130.30725度 / 32.689528; 130.30725座標: 北緯32度41分22秒 東経130度18分26秒 / 北緯32.689528度 東経130.30725度 / 32.689528; 130.30725
過去の名称 第五大学区第三中学区尾上小学校
第五大学区第二中学区尾上小学校
東有家学区尾上小学校
東有家学区二等有家小学校尾上分校
簡易尾上小学校
尾上尋常小学校
有家第三尋常小学校
有家町第三国民学校
有家町立第三小学校
有家町立新切小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 南島原市
設立年月日 1876年(明治9年)6月1日
閉校年月日 2021年(令和3年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001900 ウィキデータを編集
所在地 859-2203
長崎県南島原市有家町尾上3040番3号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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南島原市立新切小学校(みなみしまばらしりつ しんきりしょうがっこう)は、長崎県南島原市有家町尾上にある公立小学校

2021年令和3年)3月末に閉校し、南島原市立蒲河小学校とともに南島原市立有家小学校に統合した[1][2]

概要

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歴史
1876年明治9年)に「尾上小学校」として開校。2011年平成23年)に創立135周年を迎えた。創立145年目の2021年(令和3年)3月末に有家地区小学校3校の統合により閉校した。
学校教育目標
校章
中央に校名の「新小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
歌詞は3番まであり、各番に校名の「新切小」が登場する。
校区
住所表記で南島原市有家町の後に「尾上(長田・桜馬場・上尾上・下尾上の4地区[3]を除く)、蒲河(蛇田のみ[4])」が続く地域。中学校区は南島原市立有家中学校[5]

沿革

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  • 1876年(明治9年)
    • 2月 - 長崎県により設立が正式に認可される[6]
    • 6月1日 - 高来郡有田村尾上名[7]新切に「第五大学区第三中学区[8]尾上[9]小学校」が開校。
    • この年 - 有家3カ村が西有家村と東有家村の2村に統合再編される。
      • 有田村と、隅田村の久保名、町村の2名[7](中須川名・小川名)が東有家村となる。
      • 隈田村の4名[7](里坊名・須川名・龍石名・長野名)と町村の2名(慈恩寺名・見岳名)が西有家村となる。
  • 1877年(明治10年)6月4日 - 学区改正[10]により、「第五大学区第二中学区[11]尾上小学校」に改称。
  • 1878年(明治11年)12月24日 - 郡制の施行に伴い学区が改正され、「南高来郡隅田部[12]尾上小学校」となる。
  • 1882年(明治15年)5月 - 教育令の改正により「東有家学区尾上小学校」と改称。
  • 1884年(明治17年)10月 - 統合により「東有家学区二等有家小学校 尾上分校」となる。
  • 1886年(明治19年)8月 - 小学校令の施行により、簡易科(修業年限3年)を設置の上「簡易尾上小学校」として独立。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の実施により、東有家村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)10月 - 小学校令の改正により、「尾上尋常小学校」と改称。
  • 1908年(明治41年)4月 - 義務教育年限が4年から6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1911年(明治44年)- 尾上名新切(尾上3030番地)に移転を完了。
  • 1927年(昭和2年)1月1日 - 東有家村が町制施行により有家町となったため、「有家第三尋常小学校」と改称。
    • この時、同町内の東有家尋常小学校が「有家第一尋常高等小学校」に、蒲河尋常小学校が「有家第二尋常小学校」となった。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行に伴い、「有家町第三国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、有家町第三国民学校の初等科が改組され、「有家町立第三小学校」となる。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 育友会が発足。
  • 1951年(昭和26年)6月1日 - 「有家町立新切小学校」に改称。
  • 1956年(昭和31年)4月29日 - 新校舎が完成。
  • 1967年(昭和42年)10月27日 - プールが完成。
  • 1975年(昭和50年)5月14日 - 体育館が完成。
  • 1976年(昭和51年)2月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 南島原市の発足に伴い、「南島原市立新切小学校」に改称。
  • 2021年(令和3年)
    • 2月7日 - 閉校式を挙行[2]
    • 3月31日 - 閉校。[1][2]

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの県道

周辺

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参考資料

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  • 「有家町郷土誌」(1981年(昭和56年)3月31日発行, 有家町教育委員会)p.488 -
  • 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「有家町」

脚注

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  1. ^ a b 南島原市立有家小学校からのお知らせ - 南島原市教育委員会
  2. ^ a b c 「明治初期開校 歴史に幕 新切、蒲河、有家小が順次閉校式、新・有家小に」- 西日本新聞 長崎県版(第49291号(日刊), 2021年(令和3年)2月8日)第16面「長崎ワイド」
  3. ^ 南島原市立有家小学校の校区。
  4. ^ 蛇田以外の蒲河は南島原市立蒲河小学校の校区。
  5. ^ 小学校通学区域 - 南島原市教育委員会ウェブサイト
  6. ^ 長崎県教育史上巻p.554
  7. ^ a b c 「名」(みょう)は「地区」を表す。
  8. ^ 長崎区を第一中学区、旧大村藩を第二中学区、旧島原藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐対馬は第四中学区に属した。
  9. ^ 尾上の読みは「おのうえ」。
  10. ^ 長崎県教育史上巻p.441- - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
  11. ^ 長崎区を第一中学区、旧島原藩を第二中学区、旧大村藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
  12. ^ 第二中学区(南高来郡)は小浜部・隅田部・神代部・島原部の4部に分けられた。(参照:長崎県教育史上巻p.442 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)

関連項目

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外部リンク

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