千里セルシーシアター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千里セルシー > 千里セルシーシアター
千里セルシーシアター
SENRI SELCY THEATER
情報
正式名称 千里セルシーシアター
開館 1972年11月15日
開館公演 永遠のエルザ
閉館 2014年8月31日
最終公演 最強のふたり
客席数 90
設備 ドルビーデジタル5.1ch
用途 映画上映
運営 近畿興業株式会社
所在地 大阪府豊中市新千里東町1-5-2 千里セルシー地下1階
アクセス 千里中央駅最寄り
テンプレートを表示

千里セルシーシアター(せんりセルシーシアター)は、大阪府豊中市千里ニュータウン(千里中央)に存在していた映画館名画座)。

データ[編集]

歴史[編集]

1972年11月15日、千里中央駅前の中核となる複合商業施設・千里セルシーの開店とともに開館。飲食店などが集まる地階、閉館まで常にパチンコ屋の向かいという立地で営業した。初上映作品は『永遠のエルザ』(ジャック・クーファー英語版監督)だった。

1994年頃にはいち早く会員システムを導入し、映画館が会員システムを採用するモデルケースとなったとされる[1]

1980年頃には豊中市内に7スクリーンの映画館が存在していたが[注 1]、ひとつまたひとつと閉館し、1990年代以降は当館を残すのみとなった[注 2]。2001年6月にいったんは休館となるも同年9月には事業主を変更して再開館し、2003年からはABCラジオの番組『ABCアシッド映画館』のパーソナリティだった平野秀朗が不定期で一日館長を務めた。また、2008年6月14日の『世界はときどき美しい』の上映時には、同作の監督だった御法川修が舞台挨拶で来館している[4]

映画上映集団RCS[注 3]が上映作品のプロデュースを手掛けていた時期もあったが、2010年頃にプロデュースから撤退した。

観客数の低迷に加え、デジタルシネマ化への負担が大きいことを理由に、2014年8月31日に閉館。その日の最終上映作品は、『最強のふたり』(オリヴィエ・ナカシュ&エリック・トレダノ英語版監督)だった[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1980年の映画館(近畿地方) 「消えた映画館の記憶」を参照した[2]
  2. ^ 1990年の映画館(近畿地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[3]
  3. ^ 映画上映集団RCSは京都みなみ会館(京都市南区)や滋賀会館シネマホール(滋賀県大津市)などのプロデュースも手掛けていたが、公式ブログなどで千里セルシーシアターの上映作品の告知が行われる頻度は、京都・滋賀の両映画館に比べて顕著に少なく、プロデュース撤退の告知はひっそりと行われた。

出典[編集]

  1. ^ a b 8/31千里セルシーシアター閉館・42年間ありがとう!”. City Life News (2014年9月1日). 2014年9月1日閲覧。
  2. ^ 『映画館名簿 1980年』 時事映画通信社、1979年。
  3. ^ 日本映画製作者連盟配給部会『映画年鑑 1990年版別冊 映画館名簿』時事映画通信社, 1989年。
  4. ^ 6/14(土) 映画の森”. 放送局日記. 千里ニュータウンFM放送 (2008年6月14日). 2014年9月5日閲覧。

外部リンク[編集]