加計隅屋鉄山

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加計隅屋鉄山
所在地
加計隅屋鉄山の位置(日本内)
加計隅屋鉄山
加計隅屋鉄山
加計隅屋鉄山の位置(広島県内)
加計隅屋鉄山
加計隅屋鉄山
所在地 安芸国山県郡加計
日本の旗 日本
座標 34°36′42″N 132°19′19″E / 34.61167°N 132.32194°E / 34.61167; 132.32194座標: 34°36′42″N 132°19′19″E / 34.61167°N 132.32194°E / 34.61167; 132.32194
生産
産出物 砂鉄
歴史
開山 寛永年間(1625年 - 1645年)
閉山 嘉永6年(1853年
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

加計隅屋鉄山(かけすみやてつざん)は、広島県山県郡安芸太田町(旧加計町)にかつて存在した、砂鉄を産出する鉄山

歴史[編集]

寛永年間(1625年 - 1645年)に地元の郷士・佐々木久盛と、その子の正信らによって開発された鉄山である。

中国地方は石見国大森銀山出雲国砂鉄等、鉱物資源に恵まれていた。この加計の地も例外ではなく、佐々木久盛・正信親子は同地寺尾で銀鉱の採掘で資本を得て、加計本郷に町を作り、「隅屋」を屋号として、たたら吹きを中心とした製鉄業を始めた。これが加計隅屋鉄山の始まりである。

太田川上流に多くの精錬所を設け、広島大阪に支店を出して、隅屋の製品の販売に努めた。江戸時代にはこの地域から鉄の生産量は全国の鉄の10%にも上り、隅屋は江戸期を通じて中国地方で最大手の製鉄商人となった。その隅屋の経済力は広島藩だけではなく、周辺の浜田藩津和野藩にも重視され影響力を持つようになった。

嘉永6年(1853年)に製鉄業が藩営となり、ここに加計隅屋鉄山の歴史も終わりを告げるのである。約200年の間に隅屋が採掘した鉄山は25に上る。

広島市市街地たる太田川デルタの形成は、上流で隅屋ら製鉄商人らが山を切り崩し、土砂を川に流したことが原因だと言われている。製鉄業は周辺の森林を伐採し、山を切り崩し、環境破壊をもたらした。その様子は後に宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」の題材にもなっている。

隅屋とその文化[編集]

隅屋は経済ばかりに目を向けることなく、文化活動にも熱心であった。加計家15代の佐々木正封は、明和年間(1764年~1772年)に、加計隅屋文庫を出版した。その次の16代・佐々木正任吉水園という庭園を造っている。

脚注[編集]

関連資料[編集]

関連項目[編集]