八波則吉

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八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 1953年12月7日)は、日本の日本文学研究者国語教育学者、作詞家旧制第四高等学校教授、旧制第五高等学校名誉教授。

経歴[編集]

福岡県宗像郡下西郷村大字内殿(現・福津市内殿)に生れる。福岡県立尋常中学修猷館旧制第五高等学校を経て、1901年、東京帝国大学国文科を卒業。同年、金沢の旧制第四高等学校の講師となり、その2年半後には教授に昇進している。修猷館の親友には、後に朝日新聞主筆となる高原操福岡市長となる久世庸夫がいる。五高では、当時教授であった夏目漱石に薫陶を受けている。

1909年から1914年にかけて、文部省が『尋常小学唱歌』を編纂した際に編纂委員となり、作詞の芳賀矢一(委員長)、吉丸一昌佐佐木信綱上田万年尾上八郎高野辰之武島羽衣、作曲の湯原元一(委員長)、島崎赤太郎岡野貞一南能衛小山作之助上真行楠美恩三郎田村虎蔵とともに編纂に尽力した。

1916年から1920年にかけて、文部省の教科書編纂官となって尋常小学校国定教科書の改正に専念し、高野辰之等とともに、『尋常小学国語読本』(巻一の冒頭が「ハナ ハト マメ マス」から始まるため「ハナハト読本」の愛称で呼ばれた)を編纂した。これは、1918年4月入学の児童から、1932年4月入学の児童まで、15年間使用されている。

その後、1920年に第五高等学校教授となり、多くの著書を残す。一方で、数多くの小学校、中学校、高等学校の校歌や、唱歌、市歌などの作詞を手掛けている。

参考文献[編集]