中国国民党革命委員会

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中華人民共和国の旗 中華人民共和国政党
中国国民党革命委員会
中国国民党革命委员会
主席 万鄂湘
副主席 鄭健邦(常務副主席)・ 鄧力平劉家強李恵東高小玫何報翔張伯軍田紅旗王紅馮鞏
成立年月日 1948年1月1日[1]
前身政党 中国国民党左派[1]
三民主義同志連合会
中国国民党民主促進会
本部所在地 中華人民共和国の旗 中華人民共和国北京市東城区東黄城根南街84号
全国人民代表大会
43 / 2,980
全国人大常委会
6 / 175
政協全国委員会中国語版
65 / 2,180
省級政府[2]
6 / 264
党員・党友数
131,410人
(2017年)
政治的思想・立場 中国特色社会主義[3]
習近平新時代中国特色社会主義思想[3]
祖国統一[1]
二つの中国[1]
台湾独立[1]
機関紙 団結報[1](党紙)
団結(党誌)
公式サイト 中国国民党革命委員会
中国国民党革命委員会章程
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民革は党大会などで孫文の肖像画を掲げ、党の伝統的なシンボルとしている。

中国国民党革命委員会(ちゅうごくこくみんとうかくめいいいんかい、簡体字: 中国国民党革命委员会、ピンイン: Zhōngguó Guómíndǎng Gémìngwěiyuánhuì、英称: Revolutionary Committee of the Chinese Kuomintang)は、中華人民共和国中国共産党指導下の多党合作と政治協商制中国語版に参与する民主党派衛星政党)のひとつ。略称は「民革」。

概要[編集]

蔣介石率いる中国国民党独裁に反対する国民党の容共左派が中心になり、宋慶齢を名誉主席、李済深を主席として、1948年1月正式に設立。メンバーのなかには、「生産人民党」や「中華民族革命同盟」のメンバーの様に、一度は国民党を脱退した者も含まれる。1948年5月、当時の民革、民連、民促は中国共産党による中国人民政治協商会議の開催に他の民主党派とともに応じて代表者を送り、臨時憲法となる中国人民政治協商会議共同綱領の採択や中央人民政府選挙に参加した。

設立時の綱領では「連ソ、容共、扶助工農」という第一次国共合作の理念を含め、「革命的三民主義」を掲げた。蔣介石率いる中国国民党を「孫文の遺訓に背いた」として敵視していた。なお中華人民共和国成立時の中国国民党民主派には、中国国民党革命委員会のほかに中国国民党民主促進会(民促)と三民主義同志連合会(民連)があり、1949年11月に北京で開催された中国国民党左派第二次代表会議で正式に合併した(民主党派の一つに中国民主促進会があるが、これとは別組織)。民革は新中国の成立後に革命的三民主義や新三民主義の方針を章程から削除しており、現在はこれらを掲げていない。

民革は、台湾の中国国民党と関係のある人物、台湾の各界と繋がりのある中層、上層の知識人の採用に力を入れている。代表的な例としては、民革中央主席であった李済深の子である李沛瑶、北平市(現在の北京市)市長であった何思源の娘である何魯麗、中華民国北洋政府代理大総統を務めた馮国璋の曾孫である馮鞏などが挙げられる。

現在の民革はチベットを除く中国大陸の30の省、自治区、市に党支部を置く。中央は中国国民党革命委員会中央委員会。現在の中央委員会主席は、万鄂湘。党員数は、約13万人。中央委員会には組織部、宣伝部、連絡部、社会服務部、調研部の6部門、経済委員会、三農委員会、社会法制委員会、教科文衛体委員会、人口資源環境委員会、祖国和平統一促進委員会、理論研究学習委員会、婦女青年工作委員会の8委員会が設置されている。新聞『団結報』と雑誌『団結』を発行している。下部機構に中華中山文化交流協会、民革孫中山研究学会、民革中央画院、団結出版社、中国通和経済開発諮詢サービスセンター等がある。

主流ではないにせよ「国民党」という名前であるため、『人民中国』などでは民主党派についての説明があるときは、最初に紹介されている。

著名なメンバー[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年12月5日閲覧。
  2. ^ の正副省長・自治区政府の正副主席・直轄市の正副市長
  3. ^ a b 民革中央 中国国民党革命委員会章程

外部リンク[編集]