上郎幸八

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上郎 幸八[1](こうろ こうはち、1836年10月18日天保7年9月9日[2] - 1917年大正6年))は、日本の資産家[2][3][4]実業家。族籍は神奈川県平民[2][3]

人物[編集]

越前国南条郡白崎村(のち福井県南条郡王子保村白崎、現越前市白崎町)の農家に生まれた。上郎新右衛門の二男[2][3]。横浜で西洋洗濯屋の店員や人力車夫などを経て両替店を開き成功、貸金業[4]金融業や不動産開発で財を成した[5]。横浜における事業の成功者であり、自由党を支援した同県人・吉田健三は資金の融通は幸八に仰いだ[6]。幸八は横浜市内屈指の資産家だった[2]

家督を長男・新二に譲り、大磯に別荘を建て隠居した。別荘は切通し吉田邸の隣に有り、土地は二人の共有地として購入、現在も吉田邸の七賢堂のお堂の上の木々の中に石碑が有る[7]。吉田と上郎の名を刻んだ境界石が残っている[7]。住所は神奈川県横浜市境町[1]、同市南太田町[2][4]中郡大磯町[7]

家族・親族[編集]

上郎家
親戚

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『日本紳士録 第16版』横浜の部し之部80頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『人事興信録 第2版』し1317頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第3版』し70-71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月14日閲覧。
  4. ^ a b c 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月14日閲覧。
  5. ^ 「上郎幸八(こうろこうはち)」伝。
  6. ^ 三井物産の企業者史的研究-山本条太郎の社会化の過程-瀬岡誠 小倉榮一郎教授退官記念論文集(第255・256号)1989、261頁。
  7. ^ a b c d 「大磯今昔」、上郎幸八、大磯町観光協会Facebook
  8. ^ a b c d 『大衆人事録 第3版』コ之部73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月14日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第11版 上』コ157頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月14日閲覧。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1903-1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
  • 『日本紳士録 第16版』交詢社、1911年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。