三代目襲名

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三代目襲名
監督 小沢茂弘
脚本 高田宏治
原作 田岡一雄
製作 田岡満
日下部五朗
今川行雄
出演者 高倉健
松尾嘉代
渡瀬恒彦
音楽 渡辺宙明
撮影 仲沢半次郎
編集 市田勇
製作会社 東映
配給 東映
公開 日本の旗 1974年8月10日
上映時間 91分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 4億1700万円[1]
前作 山口組三代目
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三代目襲名』(さんだいめしゅうめい)は1974年8月10日東映で公開された日本映画。「山口組三代目」の続編であり、三部作『山口組三代目シリーズ』の第二弾[2]

概要[編集]

神戸の小さな組を日本最大の暴力団に育てた田岡の一代記。戦争中の刑務所から戦後の混乱期の神戸にその名を轟かすまでを描く。

山口組三代目』が各地区の防犯協会から上映阻止の運動が起きたため[3][4][5]岡田茂東映社長は「ここ当分は続編を作らない」と言明した[3][4][6]。しかし既に一年近く経ち、"ここ当分"の期間は過ぎたと判断[4]東宝の夏興行が『ノストラダムスの大予言』、松竹が『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』と伝わり、全国の映画館主からの続編要望もあり[7]、映画化しようとしたこの田岡組長の手記続編あたりから、次々現存する人物が登場し、面倒な問題も増えたが[3]、いろいろ対策を練った末、続編をぶつけることに決めた[4]

「儲けのためなら手段を選ばない」[8]「商売になるなら何でもやる東映の体質が問題」などと[9]、マスコミからの猛烈な批判が浴びせられたが[7][10][11]、「暴力礼賛ではない。社会の一つの現実を描くものだ。こちらも商売だ」などと居直り製作を強行[6]。本来『山口組三代目襲名篇』と予定したタイトルは、防犯協会から約束が違うと迫られたため『三代目襲名』に自主規制した[6][10]。1974年7月4日、クランクイン[6]

この後、全国展開する時代を描くシリーズ三作目『山口組三代目 激突篇』も製作予定であったが、制作阻止を狙った警察が、山口組に利益供与しているとプロデューサーの田岡満を22件もの容疑で逮捕するなど[12]、三作目の製作を断念したためこの作品が最終作となった。

評価[編集]

4億1700万円の配給収入を記録、1974年(昭和49年)の邦画配給収入ランキングの第5位となった[1]

総ラッシュを鑑賞した田岡一雄は「一部は叙情的。二部は殺伐として立ち回りが多い。全体としては"甲"のでき」と評した[5]

キャスト[編集]

山口組
荒政組(本家は下関
刑務所
三国人聯盟
その他

脚注[編集]

  1. ^ a b 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年、198-199頁。ISBN 4-87376-595-1
  2. ^ 健さん40年前のインタビューで「いろんな役をやりたい」
  3. ^ a b c 河原畑寧「洋画ファンのための邦画マンスリー 〔GW作品ガイド〕 東映 菅原文太主演『山口組外伝』」、『ロードショー』1974年6月号、集英社、 233頁。
  4. ^ a b c d 河原畑寧「邦画ジャーナル 『山口組三代目襲名』」、『ロードショー』1974年9月号、集英社、 231頁。
  5. ^ a b 「観客の目≪ぴっくあっぷ≫ 田岡一雄氏」、『週刊文春』1974年8月9号、文藝春秋、 21頁。
  6. ^ a b c d 「東映映画『三代目襲名』に防犯協会が猛烈抗議」、『週刊読売』、読売新聞社、1974年8月10日号、 35頁。
  7. ^ a b 「批判の前に消えた山口組三代目続編」、『サンデー毎日』、毎日新聞社、1973年9月23日号、 44頁。
  8. ^ 「銭かメンツか思案投げ首状態の東映社長」、『サンデー毎日』、毎日新聞社、1973年9月9日号、 136頁。
  9. ^ 「やっぱり出た『山口組三代目』批判」、『週刊文春』、文藝春秋、1973年7月16日号、 26頁。
  10. ^ a b 山平重樹 『任侠映画が青春だった』 徳間書店2004年、253-257頁。ISBN 419861797X
  11. ^ 岡田茂 『波瀾万丈の映画人生:岡田茂自伝』 角川書店2004年、220-227頁。ISBN 4-04-883871-7
  12. ^ 高倉健主演任侠映画 次回作妨害のためPが22件の容疑で逮捕山口組組長実子挙式 大物政治家や大スター列席の時代あった

外部リンク[編集]