ヴィエルゾン

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Vierzon
Blason Vierzon.svg

Vierzon pont bassin 4.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏Blason fr Centre-Val de Loire.svg
(département) シェール県Blason département fr Cher.svg
(arrondissement) ヴィエルゾン郡
小郡 (canton) ヴィエルゾン小郡
INSEEコード 18279
郵便番号 18100
市長任期 ニコラ・サンシュ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Vierzon Pays des Cinq rivières
人口動態
人口 27,723人
2007年
人口密度 人/km2
地理
座標 北緯47度13分21秒 東経2度04分10秒 / 北緯47.2225度 東経2.06944444444度 / 47.2225; 2.06944444444座標: 北緯47度13分21秒 東経2度04分10秒 / 北緯47.2225度 東経2.06944444444度 / 47.2225; 2.06944444444
標高 平均:? m
最低:94 m
最高:182 m
面積 74.50km2 (7 450ha)
Vierzonの位置(フランス内)
Vierzon
Vierzon
公式サイト http://www.ville-vierzon.fr
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ヴィエルゾンVierzon)は、フランスサントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏シェール県コミューン

地理[編集]

鉄道駅ヴィエルゾン=ヴィユ駅の存在が知られる。また、コミューンはソローニュの森に近接している。ヴィエルゾンは、イエーヴル川やシェール川など5つの河川の交差路にあり、ベリー運河が横切る。ベリー地方とソローニュ地方の境界にあたるコミューンである。

現在、A71、A20、A80がコミューン内を通る道路のジャンクションになっており、パリトゥールーズ間、ナントリヨン間の鉄道ハブ駅でもある。

歴史[編集]

ノートルダム教会

シェール川南部のベヨンという先史時代の遺跡から、燧石を作る工房が見つかっている。ヴィエルゾンは、カエサルがアウァリクム(現在のブールジュ)を包囲した際、ウェルキンゲトリクスが破壊した20都市の1つであるとみなされている。ローマによるガリア征服後、ガロ=ローマ時代にはオッピドゥムが置かれたとみられる。メロヴィング朝時代には城が築かれていた。

ベリー住民の伝承によると、現在のコミューン庁舎の場所に926年、ベネディクト会派の修道院が建てられたと伝えられている[1][2]。903年にノルマン人による襲撃を受けたサン=ジョルジュ=シュル=ラ=プリの修道士たちが移ってきたのだった。彼らは聖ペルペテュ(fr、3世紀にカルタゴで殉教)の聖遺物をヴィエルゾンへ移した。聖遺物は1807年にノートルダム・ド・ヴィエルゾン教会へ移され、現在に至っている。1632年、ヴィエルゾンはペスト流行に苦しんだ。住民は聖ペルペテュを特別な守護者としてとりなしを願い、聖遺物箱を担いで礼拝行進を行い、神が住民をこの悲劇的状況から救ったあかつきには、銀製の聖遺物箱を率先して奉納すると祈った。すると、たちまち疫病はやんだという。この時から聖ペルペテュはヴィエルゾンの守護聖人となった。

10世紀、ノルマン人たちがヴィエルゾンに自分たちのモット・アンド・ベーリーを築いた。彼らがヴィエルゾン領主となり、町は城の西側城壁において成長していった。

リチャード獅子心王エドワード黒太子の時代、イングランド軍がヴィエルゾンの町を燃やし、城を奪った。1370年にベルトラン・デュ・ゲクランはイングランド軍を敗走させ、ヴィエルゾンはフランス王国に復帰した。町はジャンヌ・ダルク軍の補給基地にもされた。

ユグノー戦争においては、カトリック同盟に属しながらヴィエルゾンは被害を受けた。1789年のフランス革命でヴィエルゾンは衝撃を受けなかった。

第二次世界大戦中の1939年から1945年まで、ヴィエルゾンには境界線が引かれ、南半分はヴィシー政権下に、北半分はドイツ占領下に分断された。1944年7月、ヴィエルゾンは市街の7割が空襲で破壊された。

1937年に共産主義者であるジョルジュ・ルソーが市長に当選して以来、左派傾向の強いコミューンとなっている。ヴィシー政権下にあった1941年には、政権に忠実な人物で構成される議会に替えられていた。解放後の1945年の地方選挙では、共産党や労働組合系の当選者が半数を超えた。

経済[編集]

伝統的に工業の町で、金属化工業や化学工業が行われる。またコミューンの規模と比較しても、鉄道のハブ駅を抱えるために鉄道の存在が大きい。コミューン北部には商業区域がある。

出身者[編集]

  • フェリックス・ピア(1810-1889) - ジャーナリスト。パリ・コミューンの人物の一人。
  • エドゥアール・ヴァイヤール(1840-1915) - 19世紀を代表する社会主義の政治家。パリ・コミューンで議員を務めた人物。
  • パトリック・レイナル(1926-2010) - コメディアン・歌手。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Source: Notice affichée dans la chapelle de sainte Perpétue à Notre-Dame de Vierzon, consultée le 20 août 2008.
  2. ^ Paul Guérin, Les Petits Bollandistes - Vie des Saints , Paris, Bloud et Barral libraires, 1876, tome III, p. 230.